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食は心を満たさず、ただ身体を養う


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■原文(一七)

この(体)は、食べなければ生きてゆくことができない。
食物は心胸を静かならしめるものではない。
食物は身体を存続させるためのものである。
そのことを知って、托鉢の行をおこなえ。


■逐語訳

  • この(体)は、食べなければ生きてゆけない:肉体は物質的エネルギーなくして機能しない。最低限の摂取は不可欠。
  • 食物は心胸を静かならしめるものではない:心の安らぎや悟りは、食物によって得られるものではない。
  • 身体を存続させるためのもの:食は手段であり目的ではない。修行の土台としての身体を維持する道具。
  • そのことを知って托鉢の行をおこなえ:この原則を心にとどめ、欲望ではなく必要に基づいて食を受け取るべし。

■用語解説

  • 托鉢(たくはつ):僧が施主から食物の布施を受ける修行。物乞いではなく、「他者の施しを無欲で受け、感謝し、自らを律する行い」。
  • 心胸(しんきょう):心と胸、すなわち精神全体の比喩。感情・気分・内的安定を意味する。
  • 存続:ここでは「仏道の実践を継続するための肉体の維持」。

■全体の現代語訳(まとめ)

この肉体は、食べなければ存続できない。だが、食べ物は心を静めるものではない。
食とはあくまで、修行や人生の務めを果たすために必要な、身体を維持する手段にすぎない。
この真理を深く理解し、欲望ではなく目的意識に基づいて托鉢(食の受け取り)を行いなさい。


■解釈と現代的意義

この句は、「何のために食べるのか/何のために得るのか」という根本的な問いを提示しています。
現代社会では、「食」はしばしば娯楽・報酬・慰め・逃避の対象となり、心の代償物として消費されがちです。
しかし仏教は、「食は心を満たすものではない」と明言します。
本当の心の平安は、精神の鍛錬・気づき・慈悲から生まれるのであって、食物や所有物によっては得られないのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈・適用
消費行動「ストレス食い」や「ご褒美消費」のような、感情を満たすための消費に自覚的になる。
報酬制度報酬や福利厚生で“心”を満たそうとするよりも、**「働く意義」「信頼関係」「貢献の実感」**に重きを置くべき。
ライフスタイル「快楽のための食」から、「健康と実行のための食」へ。目的を定めた摂取が、行動力を支える。
マインドフルネス「何のために食べるか」「それが心にどう影響するか」を意識し、欲望と必要の区別を明確にする習慣をつける。

■心得まとめ

「食は手段、心は志で整える」

食物によって心を満たそうとすることは、空腹を満たしても、心の渇きを増すことがある。
本当に心を安らかにするのは、誠実な行い・感謝・思いやりである。
だからこそ、食べることすら慎みと目的意識のもとに行うべきであり、
それが、日々のあらゆる選択に「心の品格」を宿す第一歩となる。


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