孟子は、孔子の弟子・**曾子(そうし)**が父・曾晳(そうせき)に仕えたときの逸話を引き、
「親孝行」の本質は、ただ肉体を養うのではなく、「親の心=志」を汲んで応えることにあると教えている。
◆ 曾子の孝養のあり方:志を養う
曾子は父の食事に際し、必ず酒と肉を添え、
お膳を下げるときには、
「余りをどちらに差し上げましょうか?」
と尋ねた。
父・曾晳が、
「余りはあるのか?」
と問えば、たとえなくても「あります」と答えた。
これは、
- 「親が誰かに分け与えたい」という思いを汲み、
- その志を満たそうとする心づかいである。
◆ 曾元のやり方:口体(こうたい)を養う=身体を満たすのみ
曾子が亡くなった後、彼の子である曾元が、今度は父・曾子に仕える番となった。
彼もまた酒と肉を添えて食事を供したが、
- お膳を下げるときに、何も尋ねず、
- 「余りはあるか?」と問われれば、
- 「ありません。でも、お望みなら、また作ります」と答えた。
これは、
- 親の身体を気遣い、必要に応じて動こうという姿勢ではあるが、
- 親の「志」を先回りして汲み取るまでには至っていない。
孟子は、この差を次のように表現する:
「曾元のようなやり方は、**口体を養う者(=身体のみを養う者)**であり、
曾子のような仕え方こそが、志を養う者である。
親に仕えるなら、曾子のようでなければならない」
原文(ふりがな付き)
孟子(もうし)曰(いわ)く、
曾子(そうし)、曾晳(そうせき)を養(やしな)うに、
必(かなら)ず酒肉(しゅにく)有(あ)り。
将(まさ)に徹(てっ)せんとすれば、必ず与(あた)うる所を請(こ)う。
「余(あま)り有りや?」と問(と)えば、必ず「有り」と曰(い)う。
曾晳死(し)す。
曾元(そうげん)、曾子を養うに、必ず酒肉有り。
将に徹せんとすれども、与うる所を請わず。
「余り有りや?」と問われて曰く、
「亡(な)し。将に以(もっ)て復(ふたた)び進(すす)めんとするなり」と。
此(こ)れ、口体(こうたい)を養う者なり。
曾子の若(ごと)きは、則(すなわ)ち志を養うと謂(い)うべきなり。
親に事うるに、曾子の若き者は可なり。
注釈
- 志(こころざし)を養う:親の意図や気持ちを汲み取り、それに沿って行動すること。
- 口体(こうたい)を養う:口=食、体=身体。単に飲食・健康など物理的な面だけを整えること。
- 徹(てっ)す:膳を下げること。
- 復び進めんとするなり:望まれるなら新たに用意しよう、という意。だが、孟子はそれでは志を汲んでいないと見る。
パーマリンク案(英語スラッグ)
- nourish-the-heart-not-just-the-body(身体だけでなく心を養え)
- filial-piety-is-mindful(孝は志を読む)
- true-service-is-anticipation(本当の仕え方は察すること)
- serve-with-heart-like-zengzi(曾子のように心で仕えよ)
この章は、「孝」とは単なる世話ではなく、親の内なる思いをくみ取る「心の共鳴」であるという孟子の孝観を象徴しています。
現代にも通じる、**本質を汲み取る配慮の姿勢=“本当の思いやり”**とは何かを示す名言です。
原文
曾子、曾晳、必有酒肉、將徹、必請所與、問有餘、必曰有、
曾晳死、曾元養曾子、必有酒肉、將徹、不請所與、問有餘、曰亡矣、將以復進也、
此之謂養口體者也、若曾子、則可謂養志也、事親若曾子者、可也。
書き下し文
曾子、曾晳(そうせき)を養うに、必ず酒肉有り。
将に徹せんとすれば、必ず与うる所を請う。余り有りやと問えば、必ず有りと曰う。
曾晳死す。曾元、曾子を養うに、必ず酒肉有り。
将に徹せんとするも、与うる所を請わず。余り有りやと問えば、亡しと曰う。
将に以て復び進めんとするなり、と。
此れ所謂「口体を養う者」なり。曾子の若きは、則ち「志を養う」と謂うべきなり。
親に事うること曾子の若き者は、可なり。
現代語訳(逐語/一文ずつ)
- 曾子は、父・曾晳を養うにあたり、食事には必ず酒と肉を備えた。
そして父の食事を下げる際には、必ず「これは誰に与えるか」と尋ねていた。
また、「余りはあるか」と問えば、必ず「あります」と答えていた。 - 曾晳が亡くなった後、曾子の息子・曾元が曾子を養う際にも、同じく酒肉を用意していた。
しかし下げるときには「誰に与えるか」と尋ねず、
「余りはあるか」と聞かれると「ありません、また後でお出しします」と答えた。 - これはただ「口(食)と体を養っている」にすぎない。
- 曾子のように「志(こころ)を養う」のが、まことの孝養である。
- 親に仕えることにおいて、曾子のように行う者は、理想といえる。
用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
曾子 | 孔子の弟子で、儒家における孝の実践者。 |
曾晳 | 曾子の父。 |
酒肉 | 食事の中でも上等なもの、敬意をこめた供膳。 |
徹(てっ) | 食事を下げること。 |
養口体(ようこうたい) | ただ食べさせ、肉体の維持だけを考えること。 |
養志(ようし) | 心・志・人間の尊厳まで含めて敬意をもって接すること。 |
全体の現代語訳(まとめ)
曾子は、父・曾晳の食事において、酒と肉を欠かさず備えた。
食事を下げる時には「この残りはどなたに」と尋ね、父の心が穏やかになるよう常に気を配った。
父が亡くなった後、曾子の子・曾元も形式上は同じことをしたが、
心を込めた所作はなく、形式だけで応じた。
孟子はこの違いに着目し、「ただ食べさせるだけでは口と体を養っているにすぎず、
曾子のように心を敬し、志を重んじて仕えるのが真の孝である」と語る。
解釈と現代的意義
この章句は、形式的な行為と、内面からの誠意を込めた行為の違いを示すものです。
1. “すること”より、“どうするか”が孝の本質
- 食事を与えるという行為は同じでも、そこに心と尊敬があるか否かで、その価値はまったく異なる。
2. 孝とは“存在への敬意”
- 相手の人格・志・存在を尊重し、「その人の心を重んじて接すること」が孝の本質。
- 単なる生存補助ではなく、心の尊厳を養う行為が重視されている。
3. “志を養う”とは、感謝と尊敬の実践
- 親を尊ぶとは、ただ衣食住を提供するだけでなく、「感謝をもって誠を尽くす」こと。
ビジネスにおける解釈と適用
1. 上司・部下・顧客対応の“心がけ”を問う
- 指示や成果を出すだけでなく、「相手の立場・尊厳・気持ちを尊重して行動しているか」が問われる。
2. “形式的なケア”と“心あるケア”の違い
- 福利厚生があるかよりも、「誰かが本当に気にかけてくれている」と感じさせる運営が組織に求められる。
3. “志のあるマネジメント”
- リーダーシップは単に成果や管理ではなく、「相手の志・成長・尊厳を育てること」が根本的な価値を持つ。
ビジネス用心得タイトル
「口体を養うなかれ──“志を養う”仕え方が信頼を生む」
この章句は、家族においても組織においても、
「誠意ある行為」と「形式だけの行為」の差を明確にし、
本質的な“仕える姿勢”とは何かを教えてくれます。
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