MENU

弁論は好みではなく、時代の混乱が求める応答である

― 君子は必要があるとき、沈黙を破る

弟子の公都子が孟子に尋ねた。
「世間では、先生は弁論を好む人だと言われていますが、それは本当でしょうか?」

孟子は静かに否定する。
「私は弁論を好んでいるわけではない。ただ、やむをえずやっているのだ」

孟子によれば、天下の歴史は「一治一乱(いちちいちらん)」、つまり安定と混乱の繰り返しである。
堯の時代には大洪水が起こり、中原(中国の中心地)は蛇や龍がすむ水浸しの荒地と化した。
民は住処を失い、低地の者は木の上に巣のような住居をつくり、高地の者は崖に穴を掘って暮らした。

そのような絶望の中、堯は禹を抜擢し、治水を命じた。
禹は地を掘って水を海に流し、蛇や龍を草むらに追いやった。
この治水の結果、揚子江・淮水・黄河・漢水が形作られ、人々はようやく平地を得て、そこに住めるようになったのである。

「然る後に人、平土を得て之に居る」
― 苦難を取り除いて初めて、人は安住の地を得る

孟子がこの逸話を引用したのは、混乱した時代には誰かが声を上げて混乱を治めなければならないという比喩である。
自らが弁論するのは、名声のためでも議論好きでもなく、時代の乱れがそれを要請しているからだ。
まるで禹が沈黙せず、洪水に立ち向かったように、孟子も言葉で乱れを治めようとしているのだ。


原文(ふりがな付き引用)

「予(われ)豈(あ)に弁を好まんや。予、已(や)むことを得ざればなり」
― 私が弁論を好むのではない。ただ、やらねばならぬのだ


注釈

  • 公都子(こうとし)…孟子の弟子の一人。孟子の姿勢や内心を率直に問う場面が多い。
  • 洚水(こうすい)…大洪水。堯の時代を象徴する混乱の比喩。
  • 菹(そ)…沢の草むら。蛇や龍のような害獣を追いやった地。
  • 一治一乱(いちちいちらん)…歴史は治と乱を繰り返すという孟子の時代観。
  • 平土(へいど)…平穏で住みやすい土地。政治的安定の象徴。

パーマリンク候補(英語スラッグ)

  • not-for-love-of-debate(弁論好きではなく)
  • speech-born-of-necessity(必要があってこその言葉)
  • speak-to-rescue-order(乱を治すために語る)

この章は、孟子の弁論家としての姿勢の根底を明らかにします。
それは論破や自己顕示のためではなく、世を正したいという強い志と責任感から出てきた言葉であるということ。
現代にも通じる、「沈黙しない知識人の姿勢」がここにあります。

1. 原文

公都子曰、「外人皆榮夫子好辯。敢問何也。」
孟子曰、「予豈好辯哉。予不得已也。
天下之生久矣,一治一亂。
當堯之時,水逆行,氾濫於中國,蛇龍居之,民無定處。
下者為巢,上者為營窟。
書曰,洚水警余。洚水者,洪水也。
使禹治之,禹掘地而注之海,驅蛇龍而放之菹。
水由地中行,江、淮、河、漢是也。
險阻既除,鳥獸之害人者消。
然後人得平土而居之。」


2. 書き下し文

公都子(こうとし)曰く、
「外の人は皆、先生が議論好きだと申しております。
それはなぜでしょうか?」

孟子曰く、
「私が弁論好きなどと誰が言ったのか。
本当は好んでやっているのではなく、やむを得ずしているのだ。

天下に人が生まれてから久しいが、世の中は一たび治まり、一たび乱れるという繰り返しである。

堯の時代には、水が逆流して中原(=中国)一帯に大洪水が広がった。
蛇や龍がそこに住み、人々は落ち着いて住む場所もなかった。

低地に住む者は巣のような住処を作り、高地に住む者は洞窟に住んだ。

『尚書』には、“大洪水が我に警告を与えた”と記されている。
洚水(こうすい)とは洪水のことである。

禹(う)に命じてそれを治めさせた。
禹は地を掘り、洪水を海へと流し、蛇や龍を駆除して遠くの沼沢に追い払った。

水は地下を通って流れるようになり、
これが現在の江・淮・河・漢(=大河)である。

険しい地形や猛獣の害も無くなり、
その後にようやく、人々は平らな土地を得て定住することができるようになったのだ。」


3. 現代語訳(逐語)

公都子曰、外人皆榮夫子好辯、敢問何也。
→ 公都子が尋ねた。「世間では皆、先生が弁論を好むと言っていますが、それは本当でしょうか?」

孟子曰、予豈好辯哉、予不得已也。
→ 孟子は答えた。「私が弁論好きだと? とんでもない。やむを得ずしているのだ。」

天下之生久矣、一治一亂。
→ 「人類の歴史は長く、秩序ある時代と混乱する時代を繰り返してきた。」

當堯之時、水逆行、氾濫於中國、蛇龍居之、民無定處。
→ 「堯の時代、大洪水が起きて水が逆流し、中国中が水浸しになった。
そこには蛇や龍のような怪物が住みつき、人々は住む場所すら失っていた。」

下者為巢、上者為營窟。
→ 「低地の者は木に巣のような住居をつくり、高地の者は穴に住んだ。」

書曰、洚水警余。洚水者洪水也。
→ 「古典『書経』には“洚水(こうすい)我を警す”と記されている。洚水とは大洪水のことだ。」

使禹治之、禹掘地而注之海、驅蛇龍而放之菹。
→ 「堯は禹に命じてこれを治水させた。禹は地を掘って水を海に流し、
蛇や龍を追い払って湿地帯に移した。」

水由地中行、江・淮・河・漢是也。
→ 「水は地下の道を通って流れるようになり、それが江・淮・河・漢である。」

險阻既除、鳥獸之害人者消、然後人得平土而居之。
→ 「険しい地形や猛獣の害も無くなって、
そのとき初めて人々は平らな土地を得て住めるようになった。」


4. 用語解説

用語解説
好辯(こうべん)弁論や議論を好むこと。
洚水(こうすい)洪水の古名。特に『尚書』で用いられる語。
『尚書』。古代の歴史的・政治的記録書。
禹(う)治水の功績で知られる伝説的な帝王。「夏王朝」の始祖。
菹(そ)沼沢、湿地帯の意。蛇や龍を遠ざける場所。
江・淮・河・漢長江・淮河・黄河・漢水。中国の主要な大河。
險阻険しい地形や障害のある場所。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

公都子が孟子に「あなたは議論好きだと世間が言っていますが?」と尋ねると、
孟子は「好んで議論しているわけではない。必要に迫られてしているだけだ」と答える。

そして、例として堯の時代の大洪水と禹の治水を語る。
自然の脅威を克服し、人が安心して暮らせる土地を得るまでには、
多くの困難を乗り越える努力が必要だったのだと。

この話を通して、**「理を正すための議論は、混乱した世の中を治めるための不可欠な行動である」**と説く。


6. 解釈と現代的意義

この章句は、「議論=好きでしているのではない。やむを得ず、必要だからしている」という
**孟子の“使命感”と“公共的責任”**の思想がよく表れています。

  • 世の中に不条理があるからこそ、言うべきことは言わねばならない
  • それは好みの問題ではなく、「善をなす」ための必然的行為である。
  • 禹の治水=環境を整えて人々の暮らしを守ることになぞらえ、
    議論を通して社会秩序を回復する行動の象徴として用いている。

7. ビジネスにおける解釈と適用

① 「議論は対立ではなく、課題の是正のための道具」

言うべきことを避け、波風を立てない選択をするのは「平和」ではない。
本質的な問題に向き合うための議論こそが、組織を良くする力になる。

② 「“やむを得ず動く”人が、組織を変える」

議論好きな人が組織を動かすのではない。
使命感と正義感から“必要だから動く人”が変革を起こす。

③ 「整えなければ、人は住めない」

環境整備──制度の不備、文化の歪み、慣習の悪影響をそのままにしていては、人は安心して働けない。
小さな“不具合”の是正は、やがて組織の安定と発展につながる。


8. ビジネス用心得タイトル

「好んで争わぬ、されど正義は黙さず──議論は道を拓く礫なり」


よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次