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からだを自分と見なさぬとき、真の自由が訪れる


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🔖 原文(日本語訳)

「われらは何物をももっていない。いとも楽しく生きて行こう。
身体を自分と見なす(見解に)とらわれることなく、喜びを食む者となろう。」
――『ダンマパダ』第5章「愉楽品」第50偈


📝 逐語訳と要点解説

  • 何物をももたない(akiñcana):財物や欲望、概念、立場に執着せず、精神的に自由であること。
  • 身体を自分と見なす見解にとらわれず(anattasaññī):この肉体が「我」であるという誤解(我見)を超えること。
  • 喜びを食む者(modamānā bhakkhāma):物質に頼らず、内から湧き出る喜び・平安を栄養とする生き方。

🧩 用語解説

用語意味・補足
我見(attavāda)「この身体・心こそが“私”である」という執着的見解。仏教では煩悩の源とされる。
無我(anattā)実体としての“我”は存在せず、五蘊(身体・感受・認識・行為・意識)の流れにすぎないとする根本教理。
modamānā(喜びを食む)無執着・慈悲・平安によって自然と得られる、内発的な喜びの感覚。

🌐 全体の現代語訳(まとめ)

私たちは何も所有せず、自由で、喜びにあふれて生きていこう。
この身体こそが「自分である」と執着することをやめ、
本質的な喜びを味わう者となろう。


💡 解釈と現代的意義

この偈は、現代人にとって特に深い示唆を与えます。
私たちはしばしば、

  • 見た目
  • 年齢
  • 健康状態
  • 肉体的な能力

などを「自分」だと思い込み、
それが失われたときに不安や執着を感じます。

しかし仏教では、「身体=自分」という見解は迷いの根であり、
それを超えたところに、永続しないものへの恐れからの解放があると説きます。

「身体への執着を手放すこと」は、
自己価値の基準を内面の平安や慈悲の実践へと転換する第一歩でもあるのです。


🏢 ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈・応用例
自己認識容姿や年齢、健康などの身体的条件にとらわれず、本質的な役割と志に焦点を当てる。
アンコンシャス・バイアスの克服「外見=能力」「性別・年齢=価値」という誤った評価を超える多様性尊重への転換。
健康経営の深層身体を酷使する働き方ではなく、心身を統合した持続可能な幸福感の実現へ。
自己肯定感の刷新「何を持っているか」ではなく、「どう在るか」を評価する文化形成。

✅ 心得まとめ

「この身に執着しないとき、心は空のように自由になる」

肉体も財産も、
すべては変わる。

変わらぬものがあるとすれば、
それは内なる慈悲と静けさを喜びとする生き方

私たちは「所有」や「身体」にしばられず、
喜びそのものを味わう者として、
光る神々のように自由に生きよう。


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