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飢える民がいる限り、王は民の父母とは言えない

孟子は、王の暮らしぶりと民の現状の対比から、強い非難を込めて言う。

王の調理場には脂の乗った肉が並び、馬屋には肥えた馬がつながれている。しかしその一方で、民は飢えに苦しみ、野には倒れて死んだ者(餓莩)が転がっている――。

このような政治のあり方は、まるで獣を率いて人間を喰わせているようなものである、と孟子は断じる。

しかも、人は獣どうしの共食いでさえ忌み嫌う。それなのに、民の父母であるべき王が、みずからその「共食い」に加担しているような状況では、いかにして王に「民の父母」と呼ぶ資格があるだろうか。


引用(ふりがな付き)

「曰(い)わく、庖(ほう)に肥肉(ひにく)有(あ)り、廏(きゅう)に肥馬(ひば)有り。民(たみ)に飢色(きしょく)有り、野(の)に餓莩(がひゅう)有り。此(こ)れ獣(けもの)を率(ひき)いて人(ひと)を食(くら)わしむるなり。
獣相食(たがいにくら)むすら、且(か)つ人(ひと)之(これ)を悪(にく)む。民の父母(ふぼ)と為(な)りて行政(ぎょうせい)を行(おこな)い、獣を率いて人を食ましむるを免(まぬが)れず。悪(いずく)んぞ其(そ)の民の父母たるに在(あ)らんや。」


注釈

  • 庖(ほう)…調理場。王の豊かな食生活を象徴。
  • 廏(きゅう)…馬屋。王侯の富の象徴。
  • 餓莩(がひゅう)…飢え死にした者、またはその遺体。
  • 獣相食む…動物の共食い。自然界でも忌むべき行為。
  • 行政(ぎょうせい)…ここでは政治を行うこと。原文は「為政」の具体表現であり、日本語「行政」の語源ともされる。

パーマリンク案(英語スラッグ)

  • not-a-parent-to-starving-people(飢えた民に親なし)
  • unfit-to-rule(支配者の資格なし)
  • leaders-feed-people-not-beasts(王は獣を養うのではなく民を養え)

補足:孟子のリーダー観――富ではなく民の姿を見よ

この章では、孟子が王権の本質は“親”であることだと位置づけています。王は、ただ命令を下す存在ではなく、民の「父母」としての役割を担うべきだという、極めて高い倫理基準を課しています。

この視点は、単なる道徳的な批判にとどまりません。政治的正当性は、民の命を守り、飢えを防ぐ具体的な行動によって示されるべきであるという、政策的現実への鋭い眼差しでもあります。

現代においても、政府や企業のリーダーがどれだけ豊かに暮らしていても、その下で人が苦しみ、命を落としているのであれば――それは組織の正統性を問われるべき状態であるという孟子の警告は、いまなお有効です。

1. 原文

曰、庖有肥肉、廏有肥馬、民有飢色、野有餓莩。
此率獸而食人也。
獸相食、且人惡之。
爲民父母、行政、而不能免於率獸而食人者、惡在其爲民父母也。


2. 書き下し文

曰(い)わく、庖(ほう)に肥肉(ひにく)有り、廏(きゅう)に肥馬(ひば)有り。
民に飢色(きしょく)有り、野に餓莩(がひょう)有り。
此(こ)れ、獣(けもの)を率(ひき)いて人を食(くら)わしむるなり。
獣、相食(あいた)べ)すら、且(なお)人これを悪(にく)む。
民の父母と為りて政(まつりごと)を行い、しかもこの「獣を率いて人を食ましむる」ことを免(まぬか)れざるは、
悪(いず)くんぞ其(そ)の民の父母たるに在らんや。


3. 現代語訳(逐語・一文ずつ訳)

  • 「庖に肥肉あり、廏に肥馬あり」
     → 台所には脂ののった肉があり、馬小屋には太った馬がいる。
  • 「民に飢色あり、野に餓莩あり」
     → 一方で、民は飢えて顔色が悪く、道ばたには餓死した人が転がっている。
  • 「これは、獣を率いて人を食わせているようなものだ」
     → それはまるで、獣をけしかけて人を食わせているのと同じだ。
  • 「獣が互いに食い合うさえ、人はそれを嫌悪する」
     → 獣同士で食い合う姿すら、人間は本能的に忌み嫌うものである。
  • 「民の父母たる統治者が政を行いながら、それを止められないなら…」
     → 民の“親”たるべき君主が政治を行いながら、それを防げないのであれば…
  • 「どうしてそれが民の父母と呼べようか」
     → もはや民のためにあるべき存在とは言えない。

4. 用語解説

  • 庖(ほう):台所、調理場。王や貴族の食事の場を象徴。
  • 廏(きゅう):馬小屋。戦車や貴人の乗馬用。
  • 飢色(きしょく):飢えて血色の悪い顔つき。
  • 餓莩(がひょう):餓死体。野に捨てられたままの死者。
  • 率獸而食人(けものをひきいてひとをくらわしむ):獣をけしかけて人を襲わせる、統治の比喩表現。
  • 民の父母:民の生活を守るべき君主・為政者の理想像。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

王宮の台所には脂ののった肉があり、馬小屋には太った馬がいる。
しかしその一方で、民は飢えて顔色も悪く、道には餓死した人が転がっている。
これはまるで、獣をけしかけて人を食わせているようなものだ。
獣が互いに食い合う光景すら、私たちは嫌悪するのに、
政治を行う者がそれを見過ごすなら、それがどうして“民の父母”と呼べるだろうか?


6. 解釈と現代的意義

この章句は、支配者の贅沢と民の困窮が並存する社会の不条理さを、容赦のない言葉で断じたものです。

孟子は、「為政者が直接手を下さずとも、民が飢え死ぬ社会を放置することは、獣を率いて人を殺すに等しい」と言い切ります。
特に強調されているのは、“民の父母”としての統治者の倫理的責任です。
親であるなら、子を見捨てたり、餓死させたりはしないはずだ。
それを止められないなら、王は名ばかりで、もはや民の父母ではない──この批判は痛烈です。


7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)

  • トップが贅沢する一方で、現場が疲弊していないか?
     経営層が高待遇である一方、現場は慢性的な疲労と不満にあえいでいる。
     それは、まさに“庖に肥肉、民に飢色”の状態です。
  • 組織の“父母”としての責任を果たしているか?
     リーダーはただ指示を出す存在ではなく、「部下の生活と尊厳に責任を持つ存在」です。
     福利厚生、安全衛生、心身のケア──実際に守られてこそ“父母”と呼べる。
  • “施政の不作為”も、間接的加害となりうる
     問題を知っていながら対応を怠れば、それは“獣を率いて人を害する”のと同じ構造。
     トップは「見て見ぬふり」をしてはいけない。

8. ビジネス用の心得タイトル:

「飢える者の前で贅を尽くすな──支配ではなく、育む統治を」


この章句は、単なる政策論ではなく、リーダーの魂を問う厳しい倫理の声です。
孟子の王道政治が、なぜ今もビジネスや組織運営に通じるのかを象徴する名言です。

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