― 自らを曲げて権勢に近づくことを恥とせよ
弟子の公孫丑(こうそんちゅう)は、孟子に問いかける。
「先生は諸侯に自ら会いに行かれない。それはなぜですか?」
孟子は答える。古来、仕官していない者は諸侯に自ら会いに行くことはなかったと。
たとえば段干木(だんかんぼく)は、魏の文侯が訪ねてきたとき、臣下でないことを理由に塀を越えて姿を避けた。
泄柳(せつりゅう)は、魯の繆公が来訪しても門を閉ざして中に入れなかった。
孟子はこれらの行動はやや極端としつつも、自ら節を守る姿勢には一理あると評価する。
孔子もまた、陽貨(ようか)という権力者に対して自ら出向くことはしなかった。
しかし、陽貨は礼を装って蒸豚を贈り、孔子が不在時に届けさせた。これにより孔子は、形式上は先に礼を尽くされたことになるため、礼に従ってお返しに訪問した。孟子はこの事例を引用して、形式と節義のバランスを示している。
さらに、曾子の言葉を引き、
「肩を脅(そびや)かし諂笑(てんしょう)するは、夏の田仕事よりも疲れる」
子路の言葉もあげて、
「未だ同じからずして言う。其の色を観るに赧赧然(たんたんぜん)たり」
― 本心と違うことを言い合わせている人の顔を見ると、恥じて赤らんでいる
これらを踏まえ、孟子は言う。
君子とは、日ごろから節義を養い、誇り高くありのままに振る舞う者である。権力に迎合し、心にもない笑顔を浮かべるような者ではないのだと。
原文(ふりがな付き引用)
「君子(くんし)の養(やしな)う所(ところ)、知(し)るべきのみ」
― 君子の内面の修養は、このようなところにあらわれる
注釈
- 段干木(だんかんぼく)…魏の隠者。礼を重んじ、文侯の訪問を避けた。
- 泄柳(せつりゅう)…魯の賢人。無礼な面会には応じなかった。
- 陽貨(ようか)…魯の権力者。『論語』でも孔子を巧みに呼び出そうとする策士として描かれる。
- 諂笑(てんしょう)…媚びへつらって笑うこと。
- 赧赧然(たんたんぜん)…恥じて顔が赤くなるさま。
- 夏畦(かけい)…夏の農作業。体力を使う重労働の象徴。
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(徳ある者の誇り)no-flattery-for-power
(権力に媚びぬ姿勢)character-is-built-in-silence
(節は静かに養われる)
この章は、孟子自身の「君子とはどうあるべきか」という哲学がもっとも端的にあらわれている一節です。
権威に迎合せず、自らの信念に従って生きることが、君子の品格であるという強いメッセージが込められています。
1. 原文
公孫丑問曰、不見諸侯、何義。孟子曰、古者不為臣不見。
段干木踰垣而辟之、泄柳閉門而不内、是皆已甚、迫斯可以見矣。
陽貨欲見孔子、而惡無禮、大夫賜於士、不得受於其家、則拜其門。
陽貨矙孔子之亡也、而饋孔子蒸豚、孔子亦矙其亡也、而往拜之。
當是時、陽貨先、豈得不見。
曾子曰、脅肩諂笑、病於夏畦。
子路曰、未同而言、觀其色、赧赧然、非由之知也。
由是觀之、則君子之所養可知已矣。
2. 書き下し文
公孫丑(こうそんちゅう)問いて曰く、「諸侯に会わぬとは、どのような義か。」
孟子曰く、「昔は、臣たらざれば会わなかった。
段干木(だんかんぼく)は垣を越えてこれを避け、泄柳(せつりゅう)は門を閉じてこれを入れなかった。
これらはやや過剰である。切迫した状況であれば、これにおいて会ってよい。」
陽貨(ようか)は孔子に会おうとし、非礼であると批判されることを嫌った。
大夫が士に贈り物をする場合、その家で受け取ることはできない。ゆえに門に行って礼をする。
陽貨は孔子が留守であることを見計らい、蒸し豚を贈った。孔子もまた陽貨の留守を見計らって、その贈り物に対し拝礼した。
そのとき、陽貨が先に行動したので、孔子が見ぬというわけにはいかなかった。
曾子は言った、「肩をすくめてへつらい笑うのは、夏の畦(うね)よりも不快である」と。
子路は言った、「まだ心が通じてもいないのに話す。顔色を見ると恥ずかしげである。それは由(子路)にも理解できないことだった。」
これによって見るに、君子が日ごろどう身を養うか、うかがい知れる。」
3. 現代語訳(逐語)
公孫丑問曰、不見諸侯、何義。
公孫丑が問うた:「あなたが諸侯に会おうとしないのは、どのような道義に基づくのですか?」
孟子曰、古者不為臣不見。
孟子は答えた:「古人は、仕官して臣下となるのでなければ、君主には会わなかった。」
段干木踰垣而辟之、泄柳閉門而不内、是皆已甚、迫斯可以見矣。
「段干木は垣根を越えて逃れ、泄柳は門を閉じて入れなかった。
これらは極端な例だが、もし緊急の状況であれば、会ってもよい。」
陽貨欲見孔子、而惡無禮、大夫賜於士、不得受於其家、則拜其門。
「陽貨は孔子に会いたがったが、無礼だとされるのを嫌った。
大夫が士に贈る際、士の家で受け取るのは不適切なので、門前で礼をするのがしきたりだった。」
陽貨矙孔子之亡也、而饋孔子蒸豚、孔子亦矙其亡也、而往拜之。
「陽貨は孔子の留守を見計らって蒸し豚を贈り、孔子も陽貨の留守を見て門前に赴き拝礼した。」
當是時、陽貨先、豈得不見。
「そのときは陽貨が先に出たのだから、孔子としても会わないではいられなかった。」
曾子曰、脅肩諂笑、病於夏畦。
「曾子は言った、“肩をすくめて媚びるような笑いは、夏の畑の畦よりも不快だ。”」
子路曰、未同而言、觀其色、赧赧然、非由之知也。
「子路は、“まだ心が通じてもいないのに語ろうとする。顔つきを見ると恥ずかしそうだ。自分(子路)には理解できないことだ。”と言った。」
由是觀之、則君子之所養可知已矣。
「このやりとりから見れば、君子がどのように自分を養っているかがよくわかる。」
4. 用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
段干木・泄柳 | 古代の高士(徳の高い人物)。君主に仕えず接見も拒否した。 |
陽貨 | 魯国の権力者。孔子に会おうとしたが礼を欠いていた。 |
矙(かん) | 留守や不在をうかがうこと。 |
蒸豚 | 蒸した豚肉。贈答用の食物。 |
賜 | 上位者から下位者への贈与。 |
脅肩諂笑 | ごまをするように肩をすくめ、媚び笑いすること。 |
夏畦 | 夏の畑の畝。泥濘や不快の象徴として用いられている。 |
赧赧然 | 顔が赤くなるほど恥ずかしいさま。 |
5. 全体の現代語訳(まとめ)
公孫丑が孟子に、「なぜ諸侯に会おうとしないのか」と問う。
孟子は「古来、仕官していなければ主君に会うべきではないという倫理があった」と説明する。
段干木や泄柳のように極端な例もあるが、事情によっては会ってもよい場合もある。
孔子の例を挙げ、陽貨が贈り物をしてきたことに対し、孔子は礼儀をもって形式的に応じたことを挙げる。
しかしそれは、相手が先に動いたからであって、君子から進んで媚びることはない。
曾子や子路の言葉を引き、**「君子とは、自分の内面の誠を養い、軽々しく媚びない者である」**と結ぶ。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、君子の「礼節」と「独立心」、そして**環境や立場に左右されない「自尊」**を説いています。
- 会うに値するかどうかは、地位や利益ではなく、その人が「道義を守っているか」で判断される。
- 君子は、たとえ相手が権力者でも、媚びず、迎合せず、礼をもって自らを保つ。
- 公的な行動や接遇は、見せかけではなく内面的な倫理に基づいているべきである。
7. ビジネスにおける解釈と適用
① 「権威に媚びず、礼をもって接す」
利害関係者や上司に対しても、媚びるのではなく、節度ある誠意をもって関わることが信頼を生む。
② 「組織のルールに即した行動」
形式や手順(例:門前で礼をするなど)を軽んじない姿勢は、企業文化の一貫性と品格を守るためにも重要。
③ 「真に信頼される人材は、独立した倫理観を持つ」
君子のように、自分の内面を整え、必要以上に干渉されず、他人に媚びず、判断基準を持った行動ができる人材が、組織の核となる。
8. ビジネス用心得タイトル
「媚びるな、敬して距て──君子の礼と独立」
この章句は、「礼」と「誠実さ」を両立させた現代的なリーダー像を考える上で、非常に有用です。
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