—皇子も功臣の子も、教えなければ道を誤る
貞観十七年、太宗は、「なぜ国家の創業者の子孫が代を重ねるうちに国を乱すのか」と問いかけた。
臣の房玄齢は、「幼い君主が世の中を知らずに育つためです」と答えたが、太宗はその見方を否定する。
「それはむしろ、支えるはずの臣下の責任だ」と太宗は語る。
功臣の子弟は、多くが才能も徳も備えず、先祖の恩蔭(おんいん)によって高位に就く。
幼い主君に仕える臣が無能であれば、転んでも助け起こせず、国政は乱れる。
逆に、主君に尽くすはずの臣が謀反を起こすようでは、もはや恩義も忠誠も形ばかりにすぎない。
太宗の言葉は、自らの子孫と臣下の子弟を戒め、未来にわたって国家を乱さぬための深い警告でもあった。
原文(ふりがな付き引用)
「功臣(こうしん)の子弟(してい)、多(おお)くは才行(さいこう)なく、祖父(そふ)の蔭(おん)を藉(か)りて大官に処(お)り、徳義(とくぎ)を修(おさ)めず、奢縱(しゃしょう)を好む。
主(しゅ)幼(いとけな)くして、臣(しん)また才(さい)なく、顚(たお)るとも扶(たす)けず。豈(あに)乱れ無からんや」
注釈
- 蔭(おん):父祖の功績によって与えられる地位や特権。蔭位の制。
- 顚(たお)るとも扶(たす)けず:転倒しても手を差し伸べない。無能な臣下のたとえ。
- 宇文化及・楊玄感:隋朝で恩を受けながら謀反を起こした功臣の子弟。
- 君子と小人:人格のある者(君子)と、欲望に従う者(小人)の対比。古代儒教倫理の基本概念。
教訓の核心
- 子弟の身分よりも、その人の“人間力”を見よ。
- 家柄による抜擢は、教育と節制を伴って初めて正義となる。
- 幼主を支えるはずの臣下が無能であれば、政は乱れる。
- 恩義を受けた者こそ、それに報いる心と徳を育てねばならない。
- 君主も臣下も、小人(自己中心)になれば、国を損ねる。
題材章句:
『貞観政要』巻一「貞観十七年」太宗と侍臣の対話
1. 原文
貞觀十七年、太宗謂侍臣曰「自古草創之主、至于子孫多亂、何也」。
司空房玄齡曰「此爲幼主生長深宮、少居富貴、未嘗識人間之僞、治國安危、不可以爲政多亂」。
太宗曰「公意推過於主、則歸咎於臣。夫功臣子弟多無才行、藉祖父之蔭、處大官、德義不修、奢縱是好。主既幼弱、臣又不才、顛而不扶、豈能無亂。隋煬帝錄宇文化及在藩之功、擢用於高位、不思報效、遂行弑逆。此非臣下之罪歟。朕發此言、欲公等戒勗子弟、使無愆尤、卽家國之慶也」。
太宗又曰「王世充與宇文化及・元玄感、卽隋大臣受恩深者子孫、皆反。其故何也」。
岑文本對曰「君子乃能懷德荷恩。玄感・文化及之徒、幷小人也。古人貴君子而賤小人」。
太宗曰「然」。
2. 書き下し文
貞観十七年、太宗、侍臣に謂(い)いて曰く、
「自古、草創の主より、子孫に至るまで多く乱る。何ぞや」。
司空・房玄齢(ぼうげんれい)曰く、
「これは、幼主が深宮に育ち、少して富貴に居し、人間の偽(いつわ)りを知らず、国家を治める安危を理解せずして、政治を行うゆえに、乱れることが多いのです」。
太宗曰く、
「公の意は、過ちを主に推し、咎(とが)を臣に帰せざるなり。そもそも功臣の子弟は多く才行なく、祖父の蔭を藉(か)りて大官に処(お)り、徳義を修めず、奢り縱(ほしいまま)を好む。主が幼く、臣が不才なれば、顛(たお)れても扶けず、豈(あに)乱れ無からんや。隋の煬帝、宇文化及(うぶんかきゅう)が藩に在りし功を録して高位に擢(ぬき)んず、報いを思わずして遂に弑逆を行う。これ、臣下の罪に非(あら)ずや。朕、この言を発するは、公等(なんじら)に子弟を戒め励まし、過ち無からしめんと欲す。すなわち、家国の慶(よろこ)びなり」。
太宗また曰く、
「王世充(おうせいじゅう)・宇文化及・元玄感(げんげんかん)は、隋の大臣に恩を受けし者の子孫にして、皆反す。これ、いかなる故ぞ」。
岑文本(しんぶんぽん)対(こた)えて曰く、
「君子のみ、よく徳を懐(おも)い恩に荷(にな)う。玄感・文化及の徒(ともがら)は、皆小人なり。古人、君子を貴(たっと)び小人を賤(いや)しとせり」。
太宗曰く、
「然(しか)り」。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「太宗は侍臣に尋ねた、『昔から建国の主の後を継いだ子孫は多く乱れてしまう。なぜだろうか』」
- 「房玄齢が答えて、『幼い皇子が深宮で育ち、裕福な環境に慣れ、人の偽りや国の危機に無知なまま政治を行うためです』」
- 「太宗は言った、『君は責任を主君の未熟さに押し付け、臣下には責任がないというのか』」
- 「『功臣の子弟は多くが能力も人格もなく、祖先の恩に頼って高官となりながら、徳義を養わず、贅沢にふける』」
- 「『主が幼く、臣が無能で、倒れても支える者がいなければ、乱が起きるのは当然だ』」
- 「『隋の煬帝は宇文化及の功を認めて高位に登用したが、恩に報いず逆に主を弑した。これは臣下の罪である』」
- 「『この話をしたのは、諸君の子弟を戒め励まし、誤りのないようにさせるためだ。それこそが国家の喜びである』」
- 「さらに太宗は言った、『王世充・宇文化及・元玄感らは、隋の重臣の子孫でありながら、みな反逆した。それはなぜか』」
- 「岑文本が答えた、『君子だけが徳を心に刻み、恩に報います。玄感や文化及らは小人(しょうじん)です。古人もまた、君子を尊び、小人を軽んじました』」
- 「太宗は言った、『そのとおりだ』」
4. 用語解説
- 草創之主(そうそうのしゅ):建国・新政権を起こした創始者。
- 深宮(しんきゅう):宮中の奥、皇族が閉じ込められるように育つ環境。
- 小人(しょうじん):道徳や礼を欠いた利己的な人。君子の対義語。
- 顛而不扶(たおれてもたすけず):倒れそうでも助けようとしない無責任な補佐の意。
- 弑逆(しいぎゃく):臣が君を殺すこと。大逆罪。
- 戒勗(かいきょく):いましめて励ますこと。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
太宗が「なぜ建国の君主の後、子孫の代で乱れることが多いのか」と問うと、房玄齢は「若い主君が富貴の中で育ち、人間の裏表や国の難しさを知らずに政治をするからです」と答えた。
太宗は「それは主のせいではなく、臣下の責任だ。功臣の子は多く無能で、徳を修めず贅沢を好む。主が幼く、臣が無能では、乱れて当然。隋の宇文化及もそうだった。私はこの話を、諸君に自らと子弟を戒めてほしいと思って語っているのだ」と述べた。
さらに、隋の有力者の子孫がことごとく反乱を起こした理由を問うと、岑文本は「君子だけが徳を忘れず恩に報いる。彼らは小人だったからです」と答えた。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「権力の継承」と「後継者育成」「身内への甘さの弊害」**について鋭く指摘しています。
- 国家や組織の創業期は優秀な人物がそろっていても、その子孫が実力を伴わず地位を得ると、腐敗が始まる。
- リーダーの資質だけでなく、その補佐役、取り巻きの能力と倫理が国家・組織の命運を決める。
- 太宗の発言は、「個人の徳行ではなく、組織全体の構造が乱れを招く」という組織論の視点を持っており、今日の企業経営にも通じる。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
A. 世襲やコネ登用の危険
- 「功臣の子弟多無才行」は、創業者の親族・信任者の後継者が、能力や倫理に欠けると組織を乱すという警告。
B. トップが未熟でも支えられる組織構造を
- 若手リーダーや新任役員が未熟でも、優れた参謀や補佐が機能すれば、全体としての安定が保てる。逆に「顛而不扶」なら崩壊は避けられない。
C. 子弟教育と倫理継承の必要性
- 太宗の「戒め勉める」という姿勢は、リーダーが単に経営を行うだけでなく、後継者育成・人格教育に関わる重要性を説いている。
8. ビジネス用の心得タイトル
「親の功、子は継がず──徳なき継承は組織を崩す」
この章は、リーダーシップの継承問題や社内の身内主義に警鐘を鳴らす内容として、現代の家業・企業にも非常に示唆に富んだ一節です。
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