― 民意と天命が去れば「君主」ではなくなる(易姓革命の思想)
斉の宣王が孟子に尋ねた。「殷の湯王が夏の桀王を追放し、周の武王が殷の紂王を討ったというが、それは本当か?」
孟子は答える。「古い記録にはそのように記されています」。
さらに宣王は問う。「家来が君主を討ってもよいというのか?」
ここで孟子は、王とは何者かという根本に立ち返って語る。
「仁(じん)を損なう者は賊(ぞく)と呼び、義(ぎ)を損なう者は残(ざん)と呼ぶ。
仁義の二つを踏みにじった者――つまり『残賊(ざんぞく)』は、もはや王ではない。
その者はただの『一夫(いっぷ)』、つまり天命を失い、民からも見放された一個人にすぎない」と。
孟子は断言する。「私は、武王が一夫たる紂(ちゅう)を誅したことは聞いているが、君主を弑した(し)という話は聞いていない」。
この考えは、後の中国思想における**「易姓革命(えきせいかくめい)」**の根本となり、
天命を失った王は政権交代の正当な対象となるという論理を支えていく。
仁義を守らぬ王に、王たる資格はない――孟子の厳格な倫理観と政治観が示されている。
引用(ふりがな付き)
「斉(せい)の宣王(せんおう)問(と)うて曰(い)わく、
湯(とう)、桀(けつ)を放(はな)ち、武王(ぶおう)、紂(ちゅう)を伐(う)つ。諸(これ)有(あ)りや。
孟子(もうし)対(こた)えて曰(い)わく、伝(でん)に於(お)いて之(これ)有(あ)り。
曰(い)わく、臣(しん)にして其(そ)の君(きみ)を弑(しい)す、可(か)ならんや。
曰(い)わく、仁(じん)を賊(そこ)なう者(もの)之(これ)を賊(ぞく)と謂(い)い、
義(ぎ)を賊(そこ)なう者(もの)之(これ)を残(ざん)と謂(い)う。
残賊(ざんぞく)の人(ひと)、之(これ)を一夫(いっぷ)と謂(い)う。
一夫(いっぷ)紂(ちゅう)を誅(ちゅう)するを聞(き)く、未(いま)だ君(きみ)を弑(しい)するを聞(き)かざるなり。」
注釈
- 賊う(そこなう)…仁や義など、道徳的価値を傷つける・ないがしろにすること。
- 一夫(いっぷ)…ただの人。王としての資格を失った存在。
- 残賊(ざんぞく)…仁義をともに欠いた者。王たる者の道を外れたとされる。
- 易姓革命(えきせいかくめい)…天命が新たな王朝に移るという古代中国の王朝交替論。孟子のこの思想がその正統性を支える。
1. 原文
齊宣王問曰:「湯放桀,武王伐紂,有諸?」
孟子對曰:「於傳有之。」
曰:「臣弑其君,可乎?」
曰:「賊仁者謂之賊,賊義者謂之殘。賊殘之人謂之一夫。聞誅一夫紂矣,未聞弑君也。」
2. 書き下し文
斉の宣王、問いて曰く、
「湯王が桀を追放し、武王が紂王を討ったことは、本当にあったのか?」
孟子、対えて曰く、
「伝(歴史書)にそのように記されております。」
宣王、さらに問うて曰く、
「家臣が自分の君主を殺すことは、許されるのか?」
孟子、答えて曰く、
「仁を損なう者は“賊”といい、義を害する者は“残”という。
そうした“仁義を損なう者”は、もはや一人の暴徒(=一夫)にすぎない。
私は“紂という一夫を誅した”とは聞いたが、
“君主を弑した(殺した)”とは聞いていない。」
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「湯が桀を放逐し、武王が紂を討ったというのは事実か?」
→「歴史書にそう記録されています。」 - 「では、家臣が主君を殺すのは許されるのか?」
→「いいえ。仁義を破った者は“もはや君主ではない”。」 - 「仁を損なう者は“賊”、義を損なう者は“残”と呼ぶ。
そのような者はただの“一夫(ならず者)”でしかない。」 - 「私は“紂という一夫を討った”とは聞いたが、
“君を弑した”とは聞いたことがない。」
4. 用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
湯・桀(とう・けつ) | 湯は殷(商)王朝の創始者。桀は夏王朝最後の暴君。 |
武王・紂(ぶおう・ちゅう) | 武王は周の創始者。紂王は殷最後の暴君。 |
弑君(しいくん) | 臣下が主君を殺すこと。儒教では最も重い逆行(大罪)とされる。 |
仁(じん)・義(ぎ) | 仁=思いやり・慈しみ、義=道徳的な正しさ。 |
賊(ぞく)・残(ざん) | 賊=仁を損なう者、残=義を損なう者。 |
一夫(いっぷ) | 単なる一人の男=道徳的資格を失った者。君主の資格を否定する表現。 |
5. 全体の現代語訳(まとめ)
斉の宣王が孟子に尋ねた。
「歴史にある、湯が桀を追放し、武王が紂を討ったという話は本当なのか?」
孟子は答えた。
「その通りです。記録にあります。」
さらに王が聞いた。
「それでは、家臣が自分の主君を殺すのは許されるということか?」
孟子は厳然と答えた。
「いいえ、ただしこう考えます。
思いやりを失った者を“賊”、正義を失った者を“残”と呼びます。
そのような者は、君主でもなければ人の上に立つ資格もない。
単なる“ならず者”であり、“一夫”にすぎないのです。
私は“暴徒である一夫=紂を誅した”とは聞いたが、
“君主を殺した”という話は聞いたことがありません。」
6. 解釈と現代的意義
孟子はこの対話を通じて、**「君主の地位は道徳によって裏付けられるべきであり、暴政を行う者はその地位を失う」**という革命的な政治思想を提示しています。
「君主だから従え」ではなく、
**「仁義を失えば君主たり得ない」**という基準は、
現代のリーダーシップや組織運営においても極めて重要な示唆です。
7. ビジネスにおける解釈と適用
✅ 「肩書きが人を決めるのではない。品格と実行が資格を証明する」
- 役職やポジションを得たからといって、
道徳的責任や人間的信頼を失えば“資格”は消える。 - リーダーは“形式的な権威”ではなく、“仁と義”によって人を導くべき。
✅ 「不正を看過する組織は、トップの資格を疑われる」
- モラルを欠いたトップは、部下から見れば“もはやリーダーではない”。
- 「部下から信頼を失った上司は、形式的には上司でも“実質的には一夫”である。
✅ 「義ある改革は“反逆”ではなく“正義”である」
- 社内の不正・非道を正す行動は、形式的な上下関係にとらわれず、
“義による正しい行為”と評価されるべき。
8. ビジネス用の心得タイトル
「仁義なき者、もはや“君”にあらず──正義をもって“地位”を超えよ」
この章句は、孟子の“道徳による統治”思想の核心です。
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