弟子の公孫丑が孟子に問うた。伊尹は、「自分の君に道に外れたことをさせたくない」と言い、暴君となった太甲を一時的に桐へ追放した。民はこれを喜び、のちに太甲が反省して賢明になったため、再び都に迎え入れた時も、民は喜んだ。このように、賢者が君の臣下として仕えるとき、君が賢くなければ容赦なく追放してもよいのかと問うた。
孟子は、それは伊尹のように、天下と民を第一に考え、まったく私心を持たない正しい志がある場合にのみ許されることであり、そうした志がなければ、それは単なる「簒奪(さんだつ)」――君の地位を奪う行為に過ぎないと答えた。
「孟子曰(もうし)く、伊尹の志有らば、則ち可なり。伊尹の志無くば、則ち簒うなり」
「伊尹のように天下を思い、私心なく正義に従う志があるならば、それは許される。しかし、そのような志がなければ、たとえ結果が同じでも、それは単なる権力の簒奪に過ぎない」
孟子は、正義の行為と簒奪的な行為は、見た目には似ていても、その心の在り方によって全く異なると教えている。補佐役の者こそ、徹底して私心を排し、公のために行動することが求められる。
※注:
「狎れしめず」…君を不道に慣れさせない、という意味。
「太甲」…殷王朝初期の王。暴政ののち、伊尹の指導で賢君に立ち直ったとされる。
「簒(う)」…簒奪。正統ではない形で地位を奪うこと。
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