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問題意識のない者は教えようがない

——「どうすればいいか」と問う心が、学びのはじまり

孔子は、学びの根本にあるべきものとして「問題意識」を強調した。

「これをどうしたらよいか、あれはどうあるべきか」と自ら問いかけない者には、
いかなる教えも届かないし、導きようがないという。

学びは外から与えられるものではない。
それは、自分の中から湧き出る“問い”が起点である。

教える者の務めはあっても、「問う者」の準備がなければ、知識も知恵も意味をなさない。
つまり、学ぶ姿勢こそが、学びの最大の資質なのだ。

この言葉は、現代における教育や研修、自己成長の現場にも深く響くものです。
「どうすればよいか」と問う小さな一歩が、真の学びと変化を引き寄せる力となるのです。

目次

原文

子曰、不曰如之何如之何者、吾末如之何也已矣。

書き下し文

子(し)曰(いわ)く、「之(これ)を如何(いかん)、之を如何(いかん)」と曰(い)わざる者は、吾(われ)之(これ)を如何(いかん)ともする末(な)きのみ。

現代語訳(逐語/一文ずつ)

  • 「子曰く、『之を如何、之を如何』と言わざる者は」
     → 孔子は言った。「『どうしたらよいか』『どうすべきか』と自ら問い、考えようとしない者は──」
  • 「吾これを如何ともする末きのみ」
     → 「私にも、もうどうすることもできないのだ」。

用語解説

  • 如之何(いかんせん):どうすればよいか。どうすべきか。=問題に対して主体的に考える姿勢を表す。
  • 曰わざる者(いわざるもの):それを口にしない者。つまり、「考えない・問わない・悩まない人」。
  • 末如之何(これをいかんともするなし):打つ手がない。手の施しようがない。
  • 已矣(やんぬるかな):終わった、どうしようもない、諦めの嘆息(この語は本文では省略形として含まれる)。

全体の現代語訳(まとめ)

孔子はこう言った:

「『どうすればよいか』『何とかしよう』と自ら問い、考える姿勢のない者に対しては、私もどうしようもない」。

解釈と現代的意義

この章句は、**「自ら課題を問い、改善を志す主体性こそが成長の鍵」**であるという孔子の深い教えを簡潔に示しています。

  • 教育者やリーダーがいくら導こうとしても、「自ら問題を問う意志」がなければ、助ける術はない
  • 一方で、たとえ無知であっても、「どうしたらよいか?」と考える人には、いくらでも教えられ、導ける。
  • 「悩み、問うこと」の価値を最大限に評価した、孔子の学習観・人間観が凝縮されています。

ビジネスにおける解釈と適用

◆ 「“問い”を持つ人だけが、成長できる」

知識やスキルよりもまず、「どうしたらよいか」「何が問題か」を自分で問えるかが、成長のスタートライン。

◆ 「指示待ち人間には、育成の余地がない」

「言われたことしかしない」「考えようとしない」部下には、教育も訓練も機能しない。まずは「自分で考える姿勢」を育む必要がある。

◆ 「悩みを口にすることは、行動の第一歩」

「どうすればいいですか?」という問いが出た瞬間、人は動き始めている。“相談する力”や“問題提起力”こそ、社会人に求められる資質

◆ 「自走型人材の核心は、“内なる問い”を持てるか」

リーダーや経営者は、「答えを教える」よりも、「問いを引き出す」ことに集中すべき。

まとめ

「考えぬ者は、導けぬ──“問い”を持つ者に道は拓かれる」

この章句は、教育・人材育成・自己成長すべてに通じる、普遍的で力強いメッセージです。
「変化する力」「学ぶ力」「問題解決力」といった現代社会で求められるすべての基盤に、「問いを持つ力」があることを教えてくれます。

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