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連坐は悪を隠す温床となる

―『貞観政要』巻三より:太宗の統治観より

🧭 心得

上に立つ者が、すべての過失に責任を負わされれば、組織は真実を隠す方向へ傾く。
貞観十四年、戴州刺史・賈崇の部下が**「十悪(重大犯罪)」**に相当する罪を犯したため、御史により賈崇まで弾劾された。このとき、太宗は「聖人ですら悪人を変えることはできなかった」として、連坐によって上司を罰することは適切でないと断じた。

罪を隠して保身に走れば、むしろ不正の摘発が妨げられ、正義が損なわれる。重要なのは、上司が全責任を負うことではなく、不正を明らかにし悪を正す制度を保つことである。これが、太宗の言う「明察と公正による統治」の要である。


🏛 出典と原文

貞觀十四年、戴州刺史賈崇、部下(ぶか)に十悪(じゅうあく)を犯せる者あり、御史(ぎょし)これを劾奏(がいそう)す。

太宗、侍臣に謂(い)いて曰く、
「昔、陶唐(とうとう=堯)は大聖、柳下惠(りゅうかけい)は大賢なれども、子の丹朱(たんしゅ)は甚(はなは)だ不肖、弟の盜跖(とうせき)は極悪人なり。

もとより、聖賢の訓(おし)え、父子兄弟の親しみあれど、必ずしも悪人を感化して善に変えることはできぬ
今の刺史に、部下をすべて善人にすることを期待するのは、あまりに無理であろう。

もしこのようなことで皆降格させれば、罪を隠して自己保身に走る者が出る。結果として、罪人は罰せられずに逃れてしまう。

よって、諸州で十悪を犯す者がいても、刺史にまで責任を負わせてはならない
むしろ、明確に調査を行い、しかるべき罰を下せば、奸悪(かんあく)は除かれるであろう」。


🗣 現代語訳(要約)

太宗は、賈崇のように部下の罪によって上司が連坐されるべきではないとし、「聖人でさえ悪人を善に導くことは難しい。だからこそ、上司に過度な責任を課せば、罪を隠す動きが生まれ、結果として悪人を取り逃がす」と警鐘を鳴らした。


📘 注釈と解説

  • 十悪(じゅうあく):重大な刑罰対象となる十大罪。大逆、謀反、不孝など。
  • 刺史(しし):地方州を統治する長官。実質的な地方行政責任者。
  • 劾奏(がいそう):官吏の不正を訴え出ること。
  • 連坐(れんざ):部下や家族の罪によって上司や親族も処罰される制度。秦や漢に見られたが、時代が下るにつれて濫用の危険が問題視された。
  • 陶唐氏(堯)と丹朱:堯は理想の聖王として讃えられるが、子の丹朱は愚かであったとされる。
  • 柳下惠と盜跖:柳下惠は礼儀の賢者、盜跖は悪逆の象徴。兄弟間での善悪の対比を表す典型。
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