孟子は、前項で語った“志はお金で買えない”という姿勢をさらに押し進め、「龍断(ろうだん)=利益の独占」がいかに卑しく、許されざる行為であるかを語る。
ここでは、経済の原点としての市場の倫理性が論じられている。
孟子によれば、古代の市場(いちば)とは、互いの「あるもの」と「ないもの」を等しく交換する場であった。
役人の仕事はあくまで治安を守り、争いを防ぐことだけ。市場は、公平で自然な経済活動の場であった。
ところが、そこに一人の「賤丈夫(せんじょうふ)」――欲深く卑しい男が現れる。
この男は、小高い場所に登って市場全体を見渡し、利の集まる場所に目をつけては網を張り、自分一人だけが利益を得ようとした。
これが「龍断(ろうだん)」――すなわち、市場の仕組みを利用して利益を独占する行為である。
利益の独占は「賤しさ」の象徴である
孟子は、人々がこのような独占者を「賤(いや)しい者」と見なし、やがてそれを放置できなくなって課税が始まったと語る。
つまり、商人への課税は、そもそも「独占を行う不正な者」を規制するために始まったのである。
この一節の核心は次の通り:
- 本来の経済活動は互恵と平等の交換によって成り立つものである。
- それを利用して私利をむさぼる者は、倫理的に卑しい存在である。
- 国家が課税を始めたのは、そのような「不当な富の集中」を抑制するためだった。
これは現代の独占資本や市場操作への批判にも通じる、孟子による倫理的経済論の原型とも言える。
原文(ふりがな付き引用)
古(いにしえ)の市(いち)を為(な)すや、其(そ)の有(あ)る所(ところ)を以(も)って、
其の無(な)き所に易(か)うる者なり。
有司者(ゆうししゃ)は之(これ)を治(おさ)むるのみ。
賤丈夫(せんじょうふ)有(あ)り。必(かなら)ず龍断(ろうだん)を求(もと)めて之(これ)に登(のぼ)り、
以(も)って左右(さゆう)望(のぞ)して市利(しり)を罔(もう)せり。
人(ひと)皆(みな)以(も)って賤(いや)しと為(な)す。
故(ゆえ)に従(したが)って之(これ)を征(せい)せり。
商(しょう)に征(ぜい)すること、此(こ)の賤丈夫(せんじょうふ)より始(はじ)まる。
注釈(簡潔な語句解説)
- 有司者:市場を監督するだけの役人。統制ではなく調整・治安維持が任務。
- 賤丈夫:欲にまみれた卑しい男のこと。名指しせずとも、広く独占者を指す。
- 龍断(ろうだん):利益を独占すること。語源的には「壟(りょう)断」、高所から見下ろして利を奪う行為。
- 罔する:あざむく、網をかけて捕らえる。ここでは「市場の利を網でさらうようにして奪う」こと。
- 征する:課税すること。租税制度の始まりとして語られている。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
- no-place-for-monopoly(独占は場を壊す)
- markets-require-fairness(市場には公平が不可欠)
- greed-births-tax(貪欲が課税を生んだ)
この章は、孟子が語る道義に基づいた経済の原型を描いています。
市場が「公平な交換」の場であるべきこと、そして欲の暴走が社会秩序と倫理を崩壊させることへの深い洞察がここに凝縮されています。
1. 原文
古之爲市也、以其有者易其無者。
有司者治之耳。
賤丈夫焉、必求龍斷而登之、以左右望而罔市利。
人皆以為賤。
故從而征之。
征商、自此賤丈夫始矣。
2. 書き下し文
古(いにしえ)に市(いち)を為すや、
其の有る所を以て、其の無き所に易(か)うる者なり。
有司(ゆうし)なる者は、之を治むるのみ。
賤丈夫(せんじんぷ)、焉(ここ)にあり。
必ず龍断(りょうだん)を求めて之に登り、
以て左右を望み、市利を罔(あなど)る。
人皆以て賤しと為す。
故に従いて之を征す。
商を征するは、此の賤丈夫より始まる。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 昔の市場(いちば)は、
人々が自分の持っている物を、持っていない物と交換するための場所だった。 - 市場の役人(=有司)は、
その運営と秩序を守るだけであった。 - そこに一人の卑しい男(賤丈夫)が現れた。
彼は権限(=龍断)を求め、市場の上に立ち、
左右を見渡しながら市場の利益をむさぼるようになった。 - 人々は皆、それを「卑しいこと」と見なした。
- だからこそ、後に彼のような者から税を取るようになった。
- 商人に課税するという習慣は、
まさにこの「賤丈夫」から始まったのである。
4. 用語解説
- 市(いち):市場。物々交換を行う公共の場。
- 有司者:役人、公的な市場運営者。ここでは中立的管理者を指す。
- 賤丈夫(せんじんぷ):卑しい男、品格を欠く男。利己的な小人物。
- 龍断(りょうだん):裁断・決定権の意。自分の利益のために“裁く立場”になろうとする態度。
- 罔市利(いちりをあなどる):市場の利益を不正に搾取すること。
- 征(せい)する:税を課す。取り立てる。
- 征商:商人に課税すること。ここで“商人”は単に交易者ではなく、利を私する不正な存在への批判も含む。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
昔の市場は、
人々がそれぞれの持ち物を交換し合い、不足を補い合うための平和で公平な場所だった。
その運営を任されていた役人は、あくまで秩序を保つだけの中立的存在にすぎなかった。
ところが、そこに一人の“卑しい男”が現れた。
彼は自分の利益のために裁量権(龍断)を求めて市場を仕切り、
市場の様子を見回しながら、利益をむさぼり始めた。
人々はこの振る舞いを恥ずべきこととし、
このような者からは「税を取っても構わない」と考えるようになった。
こうして、“商人に課税する”という習慣は、この「賤丈夫」から始まったのである。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、制度が利のためにねじ曲げられる瞬間を鋭く描いた警句です。
孟子は「市場は本来自然な補完の場」であり、
そこに私利私欲を持ち込んだ者によって、「税制(課税)」という制度が発生したと喝破します。
つまりここでは、公共の場を私物化した者に対して、人々が制度によって自衛せざるを得なかった構図を示しているのです。
現代社会における「課税」「制度」「市場運営の正当性」などの根源的な問いに通じる、非常に含蓄ある内容です。
7. ビジネスにおける解釈と適用
✅ 「市場とは“共有”と“交換”の場である」
- 市場の本質は、欠けたものを補い合う善意の場。
- そこに「独占」や「不正な裁量」を持ち込むと、公正性が崩れる。
✅ 「ポジションは“裁量”ではなく“秩序維持”のためのもの」
- 組織における管理職は、“利益の先取り”を目的とするのではなく、
あくまで“秩序と信頼”を守るためにある。
✅ 「制度(ルールや課税)は、信頼を破る者への“自衛手段”」
- 市場や組織の中に「私利に走る人物」が出ると、
それを抑えるための制度や規制が生まれる。
ルールが増える背景には、常に“信頼の崩壊”がある。
8. ビジネス用の心得タイトル
「市場を私すれば信を失う──制度は“卑しき欲”への防壁なり」
この章句は、制度設計と信頼の関係、そして“なぜルールは必要になるのか”という原点を深く問うものです。
公平な市場・組織・社会を守るには、**“管理する側の私心を戒めること”**が何よりも重要であると教えてくれます。
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