—統治に境界を設ければ、誤りも見逃される
尚書省の房玄齢と高士廉が宮城北門の工事について質問したところ、太宗は「南衙の政だけを管轄すればよい」と叱責した。しかし魏徴は、「それでは忠臣の職務を果たせない」と進言する。
大臣とは、君主の手足・耳目であり、善き行いには力を添え、誤った道には諫めるのが務め。場所が北門であろうと、政であろうと、君の行いに関わる以上、黙っていることは忠ではない。
太宗はこの言葉に深く恥じ入り、誤りを認めた。
原文(ふりがな付き引用)
「玄齡(げんれい)はすでに大臣(だいじん)に任(にん)ぜられ、すなわち陛下(へいか)の股肱耳目(ここうじもく)なり。
有(あ)るに営作(えいさく)あれば、何(いか)んぞ知(し)らざるを容(い)れん。
責(せ)めて其(そ)の官司(かんし)を訪問(ほうもん)するを、臣(しん)これを解(かい)せず。
…
君(きみ)臣(しん)の道(みち)とは、君(きみ)は臣(しん)を使(つか)い、臣(しん)は君(きみ)に事(つか)うる所以(ゆえん)なり」
注釈
- 南衙(なんが)/北衙(ほくが):南衙は公的政務機関、北衙は皇帝の私的領域(禁中)。本章では“政”と“私”の象徴。
- 股肱耳目(ここうじもく):太子や大臣が、君主にとっての「手足や目耳」であるというたとえ。補佐の役割を指す。
- 営作(えいさく):建造・工事などの物的な施策。
- 官司(かんし):各種官職や担当部署を指す。
教訓の核心
- 公務と私事の境を設けてしまえば、誤った判断が是正されずに進んでしまう。
- 臣下が本分を果たさぬまま君主に従えば、それは忠誠ではなく怠慢である。
- 君主の側も、臣の指摘を封じるようでは国を誤る。
- 統治とは、君臣が一体となって真理と善を追求する営みである。
以下に『貞観政要』より、貞観八年──魏徴、「北門の営造を問うた罪なし」と諫めるの章句を、既定の構成で丁寧に整理いたします。
『貞観政要』より
貞観八年──北門工事を巡る責任の所在と、魏徴の諫言
1. 原文(整理)
貞観八年、左僕射の房玄齡と右僕射の高士廉が、道中で少府監の竇德素に出会い、「北門で何か工事をしていると聞いたが、今は何をしているのか」と尋ねた。
後日、竇德素がそのことを奏上すると、太宗は玄齡に言った:
「君たちは南衙(政治の場)のことだけ知っていればよい。北門(宮中)の少しの工事ごときに、なぜ関わる必要があるのか。」
玄齡と士廉は恐縮して謝罪した。
これに対して魏徴が諫言した:
「私は、陛下のご叱責が理解できません。そして玄齡・士廉が頭を下げて謝ったのも理解できません。
玄齡は宰相です。宰相とは、陛下の手足・目耳であり、もし北門で工事があるのなら、それを知っておくのは当然のことです。
たとえ工事が陛下の指示でも、善事であれば協力し、悪しきことであれば諫める。
これが『君が臣を使い、臣が君に仕える道』です。
玄齡たちが工事の様子を尋ねたことに何の罪があるでしょう。
それを叱責することは道理に反しますし、何よりも、彼らがそれに対してただ頭を下げるだけで何も申さぬのも問題です。」
太宗はこの諫言に深く恥じ入った。
2. 書き下し文
貞観八年、左僕射・房玄齡、右僕射・高士廉、路において少府監・竇德素に逢い、北門の営作の状を問いぬ。
德素これを奏す。
太宗、玄齡に謂いて曰く、
「君はただ南衙の事を知るのみ。北門の些少の営作、何ぞ関わることあらんや」と。
玄齡等、拝して謝す。
魏徴、進みて曰く、
「臣、陛下の責を解せず、また玄齡・士廉の拝謝をも解せず。
玄齡、大臣の任にあり、即ち陛下の股肱・耳目なり。
北門に営作あらば、何ぞ知らざるを得んや。
責めて官司を問うこと、臣解せず。
且つ、その営作に利あらば、工を助けて陛下を輔け、
非なりとすれば、之を奏して止むべし。
これ、君臣の道なり。
玄齡等の問うに罪なくして陛下責む、臣解せず。
玄齡等、守を識らず、唯拝謝するのみ、臣また解せず」。
太宗、深く愧じたまふ。
3. 現代語訳(まとめ)
貞観八年、左僕射の房玄齡と右僕射の高士廉が、道で出会った官人に宮中北門の工事の進捗を尋ねた。これを奏聞された太宗は、「なぜ南衙(政務)の責任者である宰相が、宮中工事にまで関わるのか」と叱責した。玄齡らは頭を下げて謝罪した。
魏徴は、「宰相は陛下の代行者であり、政務全般を把握して然るべきである。善事であれば協力し、悪事ならば諫めるのが職分。それを問いただしただけで叱責するのは不当であり、それに対して黙って謝る宰相も問題である」と堂々と諫めた。
太宗はその指摘を深く反省した。
4. 用語解説
- 左僕射・右僕射:いずれも三公に次ぐ高官、当時は宰相格で政務全般を統括。
- 南衙・北門:南衙は政治の場、北門は宮廷内の私的な区域。
- 少府監:皇帝の私的な財産・施設の管理を行う官署。
- 営作(えいさく):建築や工事のこと。
- 股肱(ここう):身体の要部、転じて「重臣」「右腕」の意味。
- 耳目(じもく):情報を集め判断する補佐官としての役割。
- 拝謝:叱責に対し、ひれ伏して謝罪すること。
5. 解釈と現代的意義
この章句は、宰相=幹部の責任と権限の正しい理解と運用、また部下がリーダーの不当な指摘に黙って従う危険性を説いています。
- 太宗は「私的領域にまで立ち入るな」という権限分離のつもりだったが、それが制度の信頼を損なう可能性に気づかされました。
- 魏徴は「宰相とは、全体の調和を見てこそ職責を果たす存在」と指摘し、真の補佐役の在り方を示しました。
6. ビジネスにおける解釈と適用
✅ 「担当外だから」と情報を遮断するのは危険
事業部間の調整や横断的なプロジェクトで、他部署の情報を尋ねることはむしろ積極的に行うべき。
✅ 「叱られたから黙って謝る」では成長はない
上司の誤解や偏見に対しては、冷静かつ論理的に指摘できる環境と姿勢が必要。沈黙はむしろ制度を腐らせる。
✅ リーダーの“感情的な指摘”は自省の契機に
太宗のように、後からでも諫言を受け入れ訂正する姿勢こそが、組織の健全な成長を導く。
✅ 中間管理職は“情報の橋渡し役”
宰相が工事内容を把握しようとしたように、現場と経営の間に立つ中間管理職の情報収集は、組織の命綱。
7. ビジネス用心得タイトル:
「全体を見る者こそ、全体に問うべし──職域を超えた責任と声の勇気」
コメント