MENU

自分だけが楽しむ王に、民は苦しみを覚える

音楽を好む王が、もしその喜びを民と分かち合わず、ただ自らの楽しみのために用いるのであれば――
それは、民が苦しむ政治のしるしに他ならない。

孟子は、王が演奏を楽しんでいるときに民がどのように感じるかを描写する。
彼らは鐘や太鼓、笛の音を聞いて頭を抱え、顔をしかめ、こう嘆く。
「王は音楽ばかり楽しんでいるが、私たちは貧困にあえぎ、家族は離れ離れになっている」と。
また、王が狩りを楽しむときにも同じことが起きる。
車馬の音、華美な旗を見るたびに民は嘆く。「王の狩り好きのせいで、我々はこんなにも苦しいのだ」と。

孟子は断じる。
これが起きるのは、「民と楽しみを同じくしていないから」――
すなわち、喜びを共にする政治(仁政)が行われていないからである。

王が楽しみを独占するなら、それは苦しみの裏返しとなって民に跳ね返る。
喜びを共にできてこそ、政治は調和へと向かうのだ。

目次

原文

今、王鼓樂於此、
百姓、聞王鐘鼓之聲、管籥之音、
擧疾首蹙頞、而相吿曰、
吾王之好鼓樂、夫何使我至於此極也、
父子不相見、兄弟妻子離散、

今、王田獵於此、
百姓、聞王車馬之音、見羽旄之美、
擧疾首蹙頞、而相吿曰、
吾王之好田獵、夫何使我至於此極也、
父子不相見、兄弟妻子離散、

此無他、不與民同樂也。

書き下し文

今(いま)、王(おう)、此(ここ)に鼓楽(こがく)せんに、
百姓(ひゃくせい)、王の鐘鼓(しょうこ)の声、管籥(かんやく)の音を聞き、
首(こうべ)を挙(あ)げて疾(や)ましめ、頞(び)を蹙(しか)めて、
而(しか)して相(あい)告(つ)げて曰(いわ)く、
「吾(わ)が王の鼓楽(こがく)を好(この)む、夫(それ)何(なん)ぞ我(われ)をして此(この)極(きょく)に至(いた)らしむるや。
父子(ふし)相(あ)い見(まみ)えず、兄弟(けいてい)妻子(さいし)離散(りさん)す」と。

今、王、此に田猟(でんりょう)せんに、
百姓、王の車馬(しゃば)の音を聞き、羽旄(うぼう)の美(び)を見て、
首を挙げて疾ましめ、頞を蹙めて、
而して相告げて曰く、
「吾が王の田猟を好む、夫れ何ぞ我をして此の極に至らしむるや。
父子相見えず、兄弟妻子離散す」と。

此れ他(た)無し、民(たみ)と楽しみを同(おな)じくせざればなり。

現代語訳(逐語/一文ずつ訳)

  • 今、王、此に鼓楽せんに
     → 今、王がここで音楽を奏でて楽しんでいると、
  • 百姓、王の鐘鼓の声、管籥の音を聞き
     → 民は、王が鳴らす太鼓や鐘、笛の音を聞いて、
  • 首を挙げて疾ましめ、頞を蹙めて
     → 顔をしかめ、額にしわを寄せて、
  • 相告げて曰く
     → 互いに言い合った。
  • 吾が王の鼓楽を好む、夫れ何ぞ我をして此の極に至らしむるや
     → 「我々がこのように苦しい生活をしているのは、王が音楽ばかり楽しんでいるからではないか。」
  • 父子相見えず、兄弟妻子離散す
     → 「父と子が顔を合わせることもできず、兄弟や妻子は離れ離れになっている。」

(以下同様に)

  • 王が田猟(狩猟)を楽しめば
     → 民は「王が狩猟ばかり楽しんでいるから、我々はこんなに苦しんでいるのだ」と嘆く。
  • 此れ他無し、民と楽しみを同じくせざればなり
     → これは他の理由ではない。ただ「王が民と楽しみを共有していない」からである。

用語解説

  • 鼓楽(こがく):音楽を奏でて楽しむこと。古代中国では政治と密接に関係。
  • 管籥(かんやく):笛や簫などの管楽器。雅楽に使われた。
  • 頞(び)を蹙める:鼻のあたりにしわを寄せ、苦悩や不満を表す表情。
  • 田猟(でんりょう):狩猟を楽しむこと。王侯貴族の娯楽の一つ。
  • 羽旄(うぼう):羽飾りをつけた旗。王の権威や美を象徴。
  • 此無他(これたなし):他の原因ではない、つまり唯一の原因は──の意。

全体の現代語訳(まとめ)

今、王が音楽を楽しんでいると、
民は鐘や笛の音を聞き、苦しそうに顔をしかめてこう言った:
「なぜ王は音楽を好むことで、我々をこんなに苦しい状況に追い込むのか。
家族は離れ離れになり、父と子も顔を合わせられない。」

また、王が狩猟を楽しんでいると、
民は車馬の音や立派な旗を見て、同じように言った:
「なぜ王は狩猟を好むことで、我々をこんなに苦しめるのか。」

これは他に理由はない。
ただ、王が“民と楽しみを共有していない”からである。

解釈と現代的意義

この章句は、孟子の**「共感なき統治は失敗する」**という警鐘であり、
「権力者の享楽が民の苦しみと断絶しているとき、国家は機能しない」とする強い批判です。

孟子は、「王が音楽を好む」こと自体を否定しているのではありません。
問題は、それが民の苦しみの上に成り立っているとき、王の楽しみが“搾取”や“独善”に堕するという点です。

すなわち、「民とともに楽しむ」ことこそが、為政者の資格であり道徳であると説いています。

ビジネスにおける解釈と適用

「上の楽しみが、下にとっての苦しみになっていないか」

経営層が高級な福利厚生・特別待遇・自由な時間を享受している一方で、
現場が疲弊し、不公平感に満ちている──そんな企業は少なくありません。
それこそが、「不與民同樂(民と楽しみを共有せず)」の状態です。

「共感」と「共創」がないリーダーは、組織を壊す

部下や社員の実態や声に耳を傾けず、自分の快適さ・満足だけを追い求めていれば、
やがて組織は不満・分断・無気力に覆われていきます。
「一緒に喜びを分かち合う姿勢」こそが、真に人を動かすリーダーシップです。

「現場とともに喜び、苦しむ文化」をつくる

経営層や管理職が、「社員と同じ視点で物事を見ているか」「成果を一緒に喜んでいるか」──
それが信頼と団結の核になります。
理念・ビジョン・喜びの源泉を“共に持てる”ことが、持続的な組織力に繋がります。

まとめ

「リーダーの楽しみは、皆で分かち合ってこそ価値がある」
──“民と同じく楽しむ心”が、信頼と統治の根を育てる。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次