舜は、自身を何度も殺そうとした弟・象を罰するどころか、有庳(ゆうひ)という国に封じて君にした。
その姿勢は一見、不公平にさえ見えるが、孟子は言う――それこそが仁の極みなのだと。
君子は怒りを隠さず、怨みを心に留めず、ただ「親愛」に徹する。
愛するがゆえに、富ませ、貴くする。それが舜のとった行動であり、仁者の心である。
原文と読み下し
万章(ばんしょう)問(と)うて曰(いわ)く、象(しょう)は日に舜(しゅん)を殺すを以(も)って事(こと)と為(な)す。立って天子と為(な)れば、則(すなわ)ち之(これ)を放(ほう)するは何ぞや。
孟子(もうし)曰く、之を封(ほう)ずるなり。或(ある)ひと曰く、放(ほう)す、と。万章曰く、舜は共工(きょうこう)を幽州(ゆうしゅう)に流(なが)し、驩兜(かんとう)を崇山(すうざん)に放(はな)ち、三苗(さんびょう)を三危(さんき)に殺(ころ)し、鯀(こん)を羽山(うざん)に殛(きく)す。四罪(しざい)して天下咸(ことごと)く服(ふく)せり。不仁(ふじん)を誅(ちゅう)すればなり。
象は至って不仁なり。之を有庳(ゆうひ)に封ず。有庳の人、奚(なん)ぞ罪あるや。仁人は固(もと)より是の如(ごと)きか。他人に在(あ)りては則ち之を誅し、弟に在りては則ち之を封ず、と。曰く、仁人の弟に於(お)けるや、怒(いか)りを蔵(ぞう)さず、怨(うら)みを宿(やど)めず。親愛(しんあい)するのみ。
之を親しんでは其の貴(たっと)からんことを欲(ほっ)し、之を愛しては其の富(と)まんことを欲す。
之を有庳に封ずるは、之を富貴(ふうき)にするなり。
身(み)天子と為(な)り、弟匹夫(ひっぷ)たらば、之を親愛すと謂(い)うべけんや。
解釈と要点
- 舜が象に「罪に見合う罰」を与えなかったのは、家族としての「親愛」の情からである。
- 君子たる仁者は、怒りを抱いてもそれを隠さず、怨みを抱いてもそれを引きずらない。むしろ、赦して包み込む。
- 舜は象を国に封じて君としたことで、「弟が自分と共に富貴である」ことを実現した。
- 自分だけが天子として栄え、弟を下賤なままにしておくのは**「親愛」ではない**というのが孟子の考えである。
- この態度は、儒教における「家族愛」や「仁」の極致とされ、怒りよりも愛をもって応じる態度こそ、聖人の徳であるとされた。
注釈
- 封ずる:国を与えて一国の君とする。爵位と領地を授ける意味。
- 殛(きく)す:誅する。牢に閉じて殺す、または幽閉する意味もある。
- 匹夫(ひっぷ):身分の低い一般人。
- 仁人:仁徳ある人。ここでは理想の君子像を指す。
- 怒りを蔵さず、怨みを宿めず:心に溜め込まず、引きずらず、あらわにもせず、ただ消化して愛に転じること。
パーマリンク(英語スラッグ)
no-grudge-only-love
→「怨みなく、ただ愛する」という孟子の真髄を端的に表す表現です。
その他の案:
forgive-without-forgetting
(忘れぬまま許す)benevolence-over-justice
(正義よりも仁)riches-for-my-brother
(弟に富貴を)
この章は、仁と情との深い結びつきを描き、「個別の善」を超えた儒教的理想を体現しています。
1. 原文
コピーする編集する萬章問曰、象日以殺舜為事、立為天子、則放之何也。
孟子曰、封之也。或曰、放焉。
萬章曰、舜流共工於幽州、放驩兜於崇山、殺三苗於三危、殛鯀於羽山。
四罪而天下咸服、誅不仁也。
象至不仁、封之有庳、有庳之人、奚罪焉。
仁人固如是乎、在他人則誅之、在弟則封之。
曰、仁人之於弟也、不藏怒焉、不宿怨焉、親愛之而已矣。
親之欲其貴也、愛之欲其富也。
封之有庳、富貴之也。
身為天子、弟為匹夫、可謂親愛之乎。
2. 書き下し文
コピーする編集する万章(ばんしょう)問(と)うて曰(いわ)く、
象(しょう)は日に舜(しゅん)を殺すを以(もっ)て事(こと)と為(な)す。
立(た)ちて天子と為(な)れば、則(すなわ)ち之(これ)を放(はな)つは何(なん)ぞや。
孟子(もうし)曰(いわ)く、之を封(ほう)ずるなり。或(ある)ひとは曰(いわ)く、放(はな)つ、と。
万章曰く、
舜は共工(きょうこう)を幽州(ゆうしゅう)に流(なが)し、
驩兜(かんとう)を崇山(すうざん)に放(はな)ち、
三苗(さんびょう)を三危(さんき)に殺(ころ)し、
鯀(こん)を羽山(うざん)に殛(きく)す。
四罪して天下咸(ことごと)く服(ふく)せり。
不仁(ふじん)を誅(ちゅう)するが為(ため)なり。
象は至って不仁なり。之を有庳(ゆうひ)に封(ほう)ず。
有庳の人、奚(なん)の罪かある。
仁人(じんじん)は固(もと)より是(かく)の如(ごと)きか。
他人に在(あ)りては則(すなわ)ち之を誅し、弟に在りては則ち之を封ず。
曰く、
仁人の弟に於(お)けるや、怒(いか)りを蔵(ぞう)さず、怨(うら)みを宿(やど)めず。
之を親愛(しんあい)するのみ。
之を親(した)しめば其(そ)の貴(たっと)からんことを欲し、
之を愛(あい)せば其の富(と)まんことを欲す。
之を有庳に封ずるは、之を富貴(ふうき)にするなり。
身(み)天子と為(な)り、弟(おとうと)匹夫(ひっぷ)たらば、之を親愛すと謂(い)うべけんや。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「象は舜を殺すことを日々考えていた。それなのに、舜が天子となった後、象を追放するどころか封じたのはなぜですか?」
→ 舜はなぜ厳罰ではなく、象に地位を与えたのか? - 「それは“追放”ではなく“封建(領地を与えた)”のだ。」
→ 罰ではなく、待遇を与える形にした。 - 「共工は幽州に流罪、驩兜は崇山に流し、三苗は三危で討伐、鯀は羽山で処刑した。舜は不仁を誅して天下を服させたのではないか?」
→ 他の者は明確に罰せられたのに、なぜ象だけが例外なのか。 - 「象こそが極めて不仁であるのに、有庳に封じた。そこに住む民に何の罪があるのか?」
→ 象のような危険な人物を民のもとに封じるのは、かえって不公平ではないか。 - 「仁人が他人には罰を与え、弟には領地を与えるとは、そんな矛盾が許されるのか?」
→ 万章は、“身内びいき”を疑問視している。 - 「仁者は、弟に対して怒りをため込まず、恨みも残さない。ただ親しみ愛するのみである。」
→ 舜は、徳の人として、私情ではなく仁愛から象を赦した。 - 「親しければ貴くなってほしいと願い、愛すれば富んでほしいと願う。」
→ 舜の動機は、弟に対する真の親愛である。 - 「象を有庳に封じたのは、彼を富貴にしたということ。自分が天子で弟が一般人であることは、親愛とは言えない。」
→ 舜の行為は、象を“身分的に報いた”ことで親愛を示したのだ。
4. 用語解説
- 共工(きょうこう)・驩兜(かんとう)・三苗(さんびょう)・鯀(こん):いずれも舜の時代に不忠や不義を働いた者たちで、厳しい処分を受けた。
- 殛(きく):死刑に処する。特に見せしめ的な刑罰。
- 不仁(ふじん):仁のない者。道徳に反する行為や心を持つ人。
- 有庳(ゆうひ):象が封じられた地名。
- 匹夫(ひっぷ):地位も権力もないただの人。
- 封ずる:領地を与えて貴族として処遇すること。中国古代の制度。
- 親愛(しんあい):家族的な深い愛情。ここでは兄弟愛。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
万章は問うた。「弟・象は、日頃から舜を殺そうとしていた。舜が天子となった今、それを罰するどころか領地を与えて封じたのはなぜか?」
孟子は答える。「封じたのだ。追放したわけではない。」
万章はさらに反論した。「舜は他の悪人を厳しく処分した。それに比べて象の処遇は甘い。それは公平であろうか?もし仁者というなら、なぜ他人には厳しく、弟には甘いのか?」
孟子は語る。「仁者は、弟に対しては怒りをため込まず、恨みも残さず、ただ愛情をもって接するものである。親しければ、立派になってほしいと思い、愛していれば豊かになってほしいと思う。象に領地を与えたのは、そうした兄弟愛の表現だ。天子である自分の弟が、何の地位もないのでは、真に親しんでいるとは言えないのだ。」
6. 解釈と現代的意義
この章句は、「正義」と「愛情(親族関係)」の両立について、儒教倫理における深い問いを提示しています。
孟子は、「仁」は冷酷な平等主義ではなく、関係性に応じた配慮と愛を含むと解釈します。
仁者は、私情に流されないが、冷淡でもない。
愛するからこそ、過去の罪を水に流し、相手の未来を信じて処遇する。これは、“赦すこと”もまた仁の一形態であることを教えているのです。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
- 「感情に基づく処遇は不公平か?」
企業でも「身内びいき」や「特別扱い」が批判される場面がありますが、背景にある“育てる意志”や“信頼関係”が正当であれば、必ずしも悪とは限りません。 - 「過去より“将来への信頼”に重きを置く」
部下やメンバーの過去の過ちを赦し、将来への希望を託して新たなポジションを与えること。これはリーダーの度量であり、人材育成の核でもあります。 - 「職責に応じた処遇が“愛”の証」
象に領地を与えたのは、対等な存在として認めたということ。役割と報酬を一致させるのは、リーダーとしての責任と愛の表れです。
8. ビジネス用の心得タイトル
「赦しは情、任せるは信──“愛ある処遇”が人を立たせる」
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