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権力ではなく、天理に従え ― 媚びることでは何も守れない

衛の権力者・王孫賈が孔子に、「奥(おく)の神よりも、竈(かまど)の神に媚びよ」ということわざの意味を尋ねた。
これは、「目に見えぬ本来の権威(君主)より、実権を持つ自分にこそへつらうべきだ」という皮肉交じりの問いかけだった。
これに対して孔子は、毅然としてこう答えた。「それは間違っている。人が天(道理)に背いて罪を得たなら、どの神に祈ろうと無意味だ」。
孔子にとって大切なのは、人の上に立つ者への媚びではなく、正しい道=天の理に従うことだった。

「其(そ)れ奥(おく)に媚(こ)びんよりは、寧(むし)ろ竈(かまど)に媚びよ、とは何の謂(い)いぞや。子(し)曰(のたま)わく、然(しか)らず。罪(つみ)を天(てん)に獲(え)れば、禱(いの)る所(ところ)無(な)きなり」

天に背くことなく、自らの正しさを貫く――それが真の敬意であり、信義の道である。


※注:

  • 「奥」…家の奥の神、つまり主君の象徴。
  • 「竈(かまど)」…台所の神。日常の生活を司るもの。ここでは実権を握る権力者の象徴。
  • 「媚びる」…へつらい、気に入られようと振る舞うこと。
  • 「獲罪於天」…天(道理・天命)に逆らって罪を得ること。
  • 「禱る所無きなり」…何に祈っても無駄である、という強い否定。
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