孟子は、恵王が仇敵と見なす秦や楚のような強国について、こう語る。
それらの国々は:
- 民が農業で最も忙しい「時(とき)」を奪い、
- 過酷な夫役を課して、親を養うこともできなくし、
- その結果、父母は飢え凍え、
- 兄弟・妻子は離散し、家庭も社会も崩壊している
それはまるで民を「穴に突き落とし、水に溺れさせる」ような非道な政治であり、もはや自壊的な国家運営だと孟子は断じる。
だからこそ、王がもし前項で語ったような仁政を実行した上で、その仁を備えた兵を率いて出征すれば――
**「誰が王と敵対できようか? 仁者に敵なし」**と。
孟子は、これがただの理想論ではなく、歴史に裏打ちされた実践的真理であることを強調する。
引用(ふりがな付き)
「彼(かれ)は其(そ)の民(たみ)の時(とき)を奪(うば)い、耕耨(こうどう)して以(も)って其の父母(ふぼ)を養(やしな)うことを得(え)ざらしむ。
父母凍餓(とうが)し、兄弟妻子(けいていさいし)離散(りさん)す。彼は其の民を陥溺(かんでき)す。
王(おう)往(ゆ)きて之(これ)を征(せい)せば、夫(そ)れ誰(たれ)か王と敵(てき)せん。
故(ゆえ)に曰(い)う、『仁者(じんしゃ)に敵(てき)無し』と。王請(こ)う疑(うたが)うこと勿(なか)れ。」
注釈
- 民の時…民が最も農作業に忙しい時期。これを奪う=生活を破壊する。
- 耕耨(こうどう)…耕す・草を取ること。農の基本。
- 陥溺(かんでき)…穴に落ちる・水に溺れる。ここでは政治による民の破滅。
- 仁者に敵無し…徳をもって統治する者には、誰も敵対できないという古言。孟子の思想の中でも最も有名な言葉の一つ。
パーマリンク案(英語スラッグ)
no-enemy-for-the-benevolent
(仁ある者に敵なし)virtue-defeats-force
(徳は武に勝る)people-will-follow-the-just
(民は正義に従う)
補足:仁政は勝利への最短の道である
孟子のこの主張は、単に「道徳が大事だ」という説教ではありません。
彼は明確に「仁政=戦略的優位」と位置づけています。
民の心を得られない国家は、いかに武力を蓄えていようとも内部から崩れます。逆に、民の心を得た仁者の軍は、民の支持と士気をもって、たとえ小国でも大国を打ち破ることができる。
この構図は、現代のリーダーシップ、政治、組織運営においても変わりません。
いかに制度や武装を整えても、人心が離れれば、その力は長くは持たない。
仁のある統治こそが、最大の戦略であり、持続可能な勝利の鍵なのです。
1. 原文
彼奪其民時、使不得耨以養其父母。
父母凍餒、兄弟妻子離散。
彼陷溺其民、王往而征之、夫誰與王敵?
故曰、仁者無敵。王請無疑。
2. 書き下し文
彼(か)の者は、その民の時(とき)を奪い、耨(くさぎ)して以てその父母を養うことを得ざらしむ。
父母は凍(こご)え、餒(う)え、兄弟・妻子は離散す。
彼、その民を陥溺(かんでき)す。王、往きてこれを征(せ)めば、夫(そ)れ誰か王と敵せん。
故に曰(い)う、「仁者に敵(てき)無し」と。王、請(こ)う疑うことなかれ。
3. 現代語訳(逐語・一文ずつ訳)
- 「彼はその民の時間を奪い、草取りによって親を養う暇も与えない」
→ ある国の君主は、民の働くべき時を奪い、農作業に従事させず、親を養うことさえできなくしている。 - 「そのため、父母は凍え飢え、兄弟や妻子は離れ離れになっている」
→ そうした政治のせいで、家族は困窮し、崩壊してしまっている。 - 「そのような政治は、民を苦しみに陥れている。王がその国を征伐すれば、誰が敵になりましょうか?」
→ そうした君主は自ら民を苦しめているのだから、あなたがその国を討っても、誰もあなたを敵と見なすことはないでしょう。 - 「だから“仁者に敵なし”と言うのです。王よ、どうか疑わないでください」
→ このように、仁政を行う者は敵をつくらないのです。王よ、どうかこの道を疑わず進んでください。
4. 用語解説
- 時(とき)を奪う:農業や生活に必要な時間を不適切に奪うこと。重労働・戦役・税役など。
- 耨(どう):草取り、農作業の一環。家庭の生計を支える基本的営み。
- 凍餒(とうだい):凍えることと飢えること。貧困の象徴。
- 陥溺(かんでき):陥れる、苦境に沈ませること。
- 征(せ)める:正義の戦いとしての討伐。
- 仁者無敵(じんしゃむてき):仁徳をもって政治を行えば、敵は自然といなくなるという孟子の名言。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
ある君主は、民が働くべき時間を奪い、草取りをして両親を養う余裕さえも与えない。
その結果、父母は凍え飢え、兄弟や妻子は離散してしまう。
このような政(まつりごと)は、民を苦しみに陥れるものだ。
王がこのような暴政を敷く国を征伐すれば、いったい誰が王に敵対するだろうか?
だからこそ、昔から「仁者に敵なし」と言われるのです。
王よ、どうか疑わずに、仁の道をお進みください。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、孟子が「仁政=正義の力」を絶対的な政治の武器として説いた、戦略論と倫理観の融合といえる名言です。
孟子は「正しい政治を行う者には、敵がいない」と断言します。
それは単に軍事力の優劣ではなく、民心がどこにあるかを基準とした統治論です。
暴政によって民を苦しめる国に対し、仁政の王が介入すれば、民はその王を敵とは見なさない――。
道徳的優位が、政治的正当性と実効性をもたらすという儒家の核心を語る一節です。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
- “奪うマネジメント”は民(社員)を壊す
過度な会議・報告・業務負荷で社員の本来の仕事時間や家庭の時間を奪っていないか?
それは結果として「家庭崩壊」「精神疲弊」「モチベーションの喪失」へとつながる。 - “仁の経営”が支持される組織をつくる
社員の生活、学び、休息、家族との時間を保障する仕組みを持った会社は、
転職市場・顧客・取引先においても「敵がいない」強さを持つ。 - 正義ある行動は、自然と支持される
不当な競合・ブラック企業に対し、誠実で思いやりある企業が対峙すれば、
市場や社会が味方になる。「仁者無敵」とは社会的信用の源泉でもある。
8. ビジネス用の心得タイトル:
「仁のある組織に、敵はいない──人を大切にすることが最強の戦略」
この章句は、『孟子』の中でも特にリーダーに勇気を与えるメッセージです。
どんなに強敵に見えても、民心を得る者に勝る者はいない。
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