――親王にはその位にふさわしい生き方を
太宗は、愛する子・呉王李恪に対しても、あえて都から遠ざけ、地方の長官とした。
それは、親として共にいたいという情よりも、国家の秩序を優先する君主としての決断だった。
兄弟同士が皇位をめぐって争うことがないよう、若いうちから「定分」――立場をわきまえる心得を養わせようとしたのである。
皇太子の座は、一族の誰でも望んでよいものではない。
血筋や才能の前に、まずは自らの位置と役割を弁えること。それが、家を、そして国を安んじる。
引用とふりがな(代表)
「且(か)つ其(そ)の早(はや)く定分(ていぶん)有らしめ、覬覦(きゆ)の心無からしめ、我(わ)が百年の後(のち)、其の兄弟(けいてい)をして危害(きがい)の患(うれ)い無からしめんと欲す」
――わが死後も兄弟間に争いが起きぬよう、若いうちから立場をわきまえさせたい
注釈(簡略)
- 定分(ていぶん):身分に応じた節度ある立ち居振る舞い。
- 覬覦(きゆ):本来望んではならない地位や権力を狙うこと。僭越な野心。
- 藩屛(はんぺい):地方を守る藩鎮。皇族や重臣が都から離れて担うべき任務。
- 百年後(ひゃくねんご):自身の死後を指す婉曲表現。君主の立場からの未来への配慮。
ありがとうございます。以下に『貞観政要』巻一より「貞観七年、王恪を齊州都督に任ずる詔と太宗の言葉」をご指定の構成で整理いたしました。
『貞観政要』巻一より:王恪を齊州都督に任ずる件
1. 原文
貞觀七年、授王恪齊州都督。太宗謂侍臣曰「父子之情、豈不欲常相見耶。但家國事殊、須出作藩屛。且令其早有定分、絶覬覦之心、我百年後、使其兄弟無危疑之患也」。
2. 書き下し文
貞観七年、王恪に齊州都督を授く。太宗、侍臣に謂いて曰く、「父子の情、豈に常に相見えんと欲せざらんや。但し、家と国の事は殊なり、須(すべから)く出て藩屛と作すべし。かつ其の早く定分あらしめ、覬覦の心を絶たしめば、我が百年の後、其の兄弟危疑の患い無からしめん」。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「父子の情、豈に常に相見えんと欲せざらんや」
→ 父と子の間柄としては、当然いつも顔を合わせていたいと思うものである。 - 「但し、家と国の事は殊なり、須く出て藩屛と作すべし」
→ しかし、家庭と国家の事情は異なり、やはり地方に出して国家の守りとしなければならない。 - 「かつ其の早く定分あらしめ、覬覦の心を絶たしめば」
→ さらに早い段階で役割を明確にしておけば、野心を抱くこともなくなる。 - 「我が百年の後、其の兄弟危疑の患い無からしめん」
→ 自分の死後においても、兄弟の間で疑心や争いが起こることがなくなるであろう。
4. 用語解説
- 王恪(おうかく):太宗の皇子の一人。ここでは齊州都督として地方に赴任。
- 齊州都督(せいしゅうととく):現在の山東省一帯を治める軍政官。
- 藩屛(はんぺい):国家を防衛するための地方拠点やその長官。文字通り「屏風(守り)」。
- 定分(ていぶん):身分や役割などを明確に定めること。
- 覬覦(きゆ):地位や権力を狙う野心。
- 百年後(ひゃくねんのち):自分が亡くなった後の意。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
太宗は王恪を齊州都督として地方へ派遣した際に、側近に対してこう述べた。「父子としては本来、いつも一緒にいたいものである。しかし国家のためにはそうはいかない。あえて早く地方へ出して役割を明確にしておけば、後々、地位を狙うような野心も起こらず、自分が死んだ後でも兄弟間で争いが起きることはないであろう」と。
6. 解釈と現代的意義
この章句には、感情と公務を分ける政治的リアリズムと、長期的な安定を見据えたリスクマネジメントの視点が見られます。
太宗は父子の愛情を否定するのではなく、個人の情を超えて、国家全体の秩序を優先すべきであるという理念を体現しています。早い段階で「役割」と「立場」を明確にすることが、組織や家族の将来にとって重要であることを示唆します。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
- 「愛情と業務は分けて考える」
→ 身内や仲の良い社員であっても、公私混同せず、適材適所に配属する姿勢が必要。 - 「役割の明確化がトラブルを防ぐ」
→ 早めに責任やポジションを明確にしないと、将来的に役割の重複や権限争いの原因となる。 - 「早期の任用がリーダーシップを育てる」
→ 若いうちに地方や現場での責任ある任務を経験させることで、長期的な成長と安定につながる。
8. ビジネス用の心得タイトル
「情より任、早期の定分が組織を救う」
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