孔子は、最も信頼し愛した弟子・**顔淵(がんえん/顔回)**について、深い惜別の思いとともにこう語った。
「本当に惜しい人を亡くした。
私は彼が常に成長している姿を見ていたが、
立ち止まっているところは一度も見たことがなかったのだ」
この一言は、顔回がいかにひたむきに、休むことなく、自らを磨き続けていたかを物語っている。
孔子は「優秀であること」以上に、「進み続けようとする意志」を尊んでいた。
どんなに優れた能力があっても、立ち止まってしまえばそこで終わる。
逆に、どんなに小さな一歩でも、歩み続ける者は成長し、道を切り拓いていく。
この章句は、“今より少しでも前に”という志を持ち続けることが、真の尊さであると教えてくれる。
原文(ふりがな付き)
「子(し)、顔淵(がんえん)を謂(い)いて曰(いわ)く、惜(お)しいかな。吾(われ)は其(そ)の進(すす)むを見(み)るも、未(いま)だ其(そ)の止(と)まるを見(み)ざるなり。」
注釈
- 顔淵(がんえん)/顔回(がんかい)…孔子が最も信頼した高弟。学ぶことを愛し、謙虚で誠実な人柄だったが、若くして早世した。
- 惜しいかな…失ったことへの深い嘆きと残念さ。心からの惜別の言葉。
- 進むを見る…日々成長し続けている姿を指す。
- 止まるを見ざる…努力をやめた様子を一度も見たことがないという意味。顔回の生涯を貫いた姿勢。
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