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自然は、心で味わう音楽であり、絵画である

――人工を超えた、天地の“鳴佩”と“文章”

林の奥から聴こえる松風の音、
石の上を滑る泉の流れの響き――
これらを**静かな心で聴いていると、**それがただの自然音ではないことに気づく。
**それは、天地が奏でる最上の音楽「鳴佩(めいはい)」**である。

また、野の端にたなびく霞、
水面に静かに映る雲の影――
こうした風景を心静かに見つめていると、
それは、天地自然が描く“芸術作品”だと分かってくる。

自然こそが、最高の芸術家であり、音楽家である。
そして、静かな心で向き合う者にだけ、それは作品として姿を現す。


引用(ふりがな付き)

林間(りんかん)の松韻(しょういん)、石上(せきじょう)の泉声(せんせい)、静裡(せいり)に聴き来(き)たりて、天地自然(てんちしぜん)の鳴佩(めいはい)を識(し)る。
草際(そうさい)の煙光(えんこう)、水心(すいしん)の雲影(うんえい)、閒中(かんちゅう)に観去(み)りて、乾坤(けんこん)最上(さいじょう)の文章(ぶんしょう)を見る。


注釈

  • 松韻(しょういん):松風の音、さやさやとした風の響き。自然の中にある“無言の音楽”。
  • 鳴佩(めいはい):佩玉(はいぎょく)が鳴る美しい音のこと。古代中国で高貴な人が身につけた装飾。ここでは、自然が奏でる繊細で奥深い音楽の象徴。
  • 煙光(えんこう):野の果てにかかる霞、たなびく柔らかな光。
  • 水心の雲影:水面に映る雲の影。常に形を変える自然の“動的な絵画”。
  • 文章(ぶんしょう):本来の意味は「美しい文」、転じてここでは美的な造形・芸術作品を意味する。

関連思想と補足

  • 『荘子』では、「天地は偉大なる音楽家であり、名匠である」といった比喩が登場します。
     自然のすべてに、言葉なき芸術性が宿るという思想です。
  • 禅の教えでも、「無心にして見れば、風も草も仏法を語る」とされ、
     心を空にすることで、自然が“作品”として現れるという感覚が重視されます。
  • まさに本項は、**“観る者の心が静かであるときにのみ、自然は芸術となる”**という境地を描いています。
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