N社は名古屋を拠点とする建材メーカーで、販売網は全国に広がっている。特に名古屋を中心とする地元地域、静岡県、北陸地方、広島県でのシェアが高い一方、それ以外の地域では存在感が薄い状況だ。
N社長は、まず東京エリアでの売上拡大を目指していた。しかし、東京営業所を設ける余裕はなく、月に一度程度の出張でディーラーを訪問するだけでは思うような成果を上げることができなかった。また、特に弱いとされる東北地方の強化にも取り組みたいと考えていた。
北海道は、季節変動を補う上で重要な市場と見ていたものの、売上はわずかにとどまっていた。一方、近畿地方では大阪のディーラーが力不足で、大阪市内よりも地方での売上が中心となっており、それが大きな課題となっていた。
四国地方では、大阪のディーラーが積極的に動いていないことに不満を抱えていた。また、九州・沖縄地方については、ほぼ成り行き任せの状況で、積極的な展開は難しい状態だった。「全国に販路を持つ」とは言えども、実態はこうした状況であり、一部の強い地域を除けば、限界的な生産者としての位置づけに過ぎなかった。
「日本全国に無計画に販路を広げ、あれもこれも伸ばしたいと考えるだけでは失敗する」と私は指摘した。そして、「正しい市場戦略を構築し、それを社長自らの手で推進する必要がある」と強く勧告した。
市場戦略を立てるにあたり、自社と競合他社の勢力分布を詳細に調査した。多くの業者が全国規模の販路を展開しているものの、地域ごとに細分化して分析すると、次のような強弱の傾向が浮かび上がってきた。
東京には有力な業者が三社存在していた。一社は関東と東北に強固な地盤を築き、もう一社は関東と北海道での影響力が際立っていた。地元には競合会社が一社あったものの、特段の脅威とは見なされていなかった。
関西地方では、大阪に複数の業者が拠点を置き、近畿全域に加えて岡山県や四国地方までをしっかりと掌握していた。一方、九州には地元に根ざした有力業者が一社あり、その地盤の強さを背景に九州全域で圧倒的な存在感を示していた。
結局のところ、N社が強いとされる地域は、競合他社が手薄なエリアに過ぎなかった。つまり、それらの市場で得た成果は、N社の努力によるものではなく、単に競争の少なさに助けられただけのものだった。
というのも、N社を含むどの会社もセールスマンの人数は極めて限られ、販売活動はほぼ代理店任せ。生産第一主義とコスト重視に徹した、いわば職人会社に過ぎなかったからだ。このような業界に、明確な市場戦略を持つ企業が参入すれば、瞬く間に占有率を拡大することが可能な状況だったのである。
この市場戦略をN社に導入したいところだが、大きな壁となっているのが圧倒的なセールスマン不足だ。何しろ、セールスマンの人件費が総付加価値のわずか40分の1以下という状況で、販売に本格的に力を入れる余裕が全くないのである。
セールスマン一人あたりに年間1億円以上の付加価値を課している現状では、実際のところ市場戦略を展開するのは不可能に近い。まともな戦略を実行するためには、現状の4倍のセールスマンを確保する必要がある。
試しに、セールスマンを4倍に増員したとして、仮に新たに増えたセールスマンが全く売り上げを上げなかった場合の損益を計算してみた。それでも売上高経常利益率は4%を超える水準を維持できるのだ。この結果は、増員が会社にとって合理的であるだけでなく、戦略の実行可能性を広げる鍵になることを示している。
こんな大胆な計画が実現不可能どころか、これだけのセールスマンを動員して市場戦略を展開すれば、N社が大躍進を遂げることは間違いない。この戦略の有効性は、この後で具体的に証明することになる。そして決定された市場戦略は以下の通りだ。
1. 静岡地区と広島地区:防御地域
静岡地区と広島地区は、現在の営業活動を維持し、これまで通りの訪問活動による「防御地域」と位置付ける。
2. 名古屋地区:「蛇口作戦」の展開
地元である名古屋地区はさらに強化を図る。具体的には、「蛇口作戦」を導入する。この戦略のためにセールスマンを0.5人配置する計画だが、深刻な人員不足のため専任者を置くことができない状況が課題となる。
3. 北陸地方:現状維持
北陸地方については強化を目指すものの、セールスマン不足の影響で新たな戦略展開は見送り、これまで通りの活動を継続する。
4. 近畿地方:「蛇口作戦」と新戦略展開
近畿地方を新戦略の展開地域と定め、専任のセールスマン1名を新たに配置。「蛇口作戦」を導入し、増員が可能になり次第さらに2名を追加投入する。近畿地方が選ばれた理由は、本社からの距離が近いこと、また競合業者に弱点や盲点が多く見られるためである。
5. その他の地域:訪問の停止
上記以外の地域については、セールスマンによる訪問活動を全面的に停止。代わりに、社長と専務が年に1〜2回、代理店への表敬訪問を行うのみとする。これにより、セールスマンの時間を戦略地域に集中させると同時に、頻繁な訪問で得られる効果が乏しいことを考慮している。
6. セールスマンの増員目標
セールスマンを急ピッチで増員し、現状の人数を倍増することを目標とする。
7. 近畿地方の戦略:「三点攻略法」
近畿地方の新戦略では、「三点攻略法」を基本とする。これは、地域内に三つの戦略拠点を設定し、それらを結ぶ三角形のエリアを制圧することで、広範囲の市場を「面」として抑える作戦である。
「薬ヒグチ」は、創業当初から全国展開を目指し、「目標、427店!」というスローガンを掲げていた。この数字は、当時の全国薬局数約42,700店の1%に相当する。その後、427店を達成すると、次なる目標として「1,327店」を掲げた。これは、百の位の「4」を「1」と「3」に分解して設定された数字である。
このように、独自の目標設定と戦略を駆使して全国展開を進めた「薬ヒグチ」の手法は、N社の市場戦略においても参考になる。特に、戦略的な拠点配置と目標設定の明確化は、効果的な市場浸透に寄与する。この市場戦略を確実に実行することで、N社は現状の制約を乗り越え、競合に対する優位性を確立することが期待されている。
薬ヒグチが掲げた427店という目標は、当時の全国の薬局総数の約1%に相当していた。最初の店舗は大阪の京橋店に開設され、次に約2キロ離れた千林店、そして三店舗目に枚方店がオープンした。しかし、この枚方店が期待通りの成果を出せず、結果的に失敗に終わった。
この失敗は、戦略的な店舗展開における初期の教訓となり、以後の展開において重要な判断材料となった。立地条件や地域需要の把握がいかに重要かを示すエピソードでもある。
樋口社長は「三角商法」について次のように説明している。「三角商法とは、原則として約2キロ離れた地点に3つの店舗を三角形の形に配置し、その三角形の範囲内に住む消費者をしっかりと取り込む戦略である。」
この手法は、店舗の近接性を活用して地域内での認知度と利便性を高め、効率的に顧客を囲い込むことを目的としている。さらに、店舗間の距離を最適化することで、顧客層の重複や隙間を最小限に抑え、地域密着型の競争優位性を確立しようとする考え方が根底にある。
チェーン方式を採用する以上、店舗を単に散在させて配置しても効果は薄い。三角商法のように、店舗を戦略的に配置すれば、その地域の消費者は自然とヒグチを意識するようになる。枚方店が失敗した理由は、三角形を形成する配置になっておらず、地域内での認知度や集客力を十分に発揮できなかったことにある。
そこで次に選ばれたのが、京橋と千林を結ぶ位置にある徳安だった。この徳安店は三角形の頂点として機能し、消費者を効率的に取り込むことに成功した。戦略的な店舗配置がもたらす効果を実証した例と言える。
それ以来、薬ヒグチの店舗増設計画はすべて「三角商法」に基づいて進められるようになったという。これは『第二のソニーを狙え』(学研ブックス刊)からの要約だが、この三角商法は、理論から生まれたものではなく、経験――特に枚方店での苦い失敗――を通じて体得されたものだ。
しかしながら、この商法は理論的にも極めて合理的である。消費者の動線を考慮した店舗配置により、効率的に認知度を高め、地域のマーケットシェアを確保するという点で、成功するべくして成功した戦略だといえる。経験に基づいて生まれた実践的な知恵が、地域密着型の商売における新たな基準を示したと言えるだろう。
この「三点商法」は、小売店の配置にとどまらず、広範な地域戦略にもそのまま応用可能な手法だ。県内という限られたエリアでの戦略にも、地方ブロック全体を対象とした広域戦略にも十分に通用する。
その理由は、この戦略が極めて優れた「面作戦」の理論に基づいているからだ。三角形を形成する拠点を設定し、その範囲を「面」として制圧することで、効率的かつ持続的に影響力を拡大できる。この手法は、規模の大小を問わず、あらゆる市場で応用可能な汎用性の高さを持つ点が特徴である。
N社の三点攻略作戦では、第一拠点を京都に、第二拠点を和歌山に、第三拠点を姫路に設定するという戦略が採られた。この戦略は、これらの拠点を順次強化していき、激戦地である大阪を周囲から包囲することを目的としている。
最終的には、これらの拠点が確実に機能し、地域での支配力を高めた段階で、大阪地区に攻勢を仕掛けるという作戦だ。このアプローチは、大規模な直接対決を避けつつ、周辺からの圧力を高めて大阪市場に進出するという、堅実かつ効果的な地域制圧戦略を表している。
幸運にも、この三点(京都、和歌山、姫路)は、大阪を本拠とするどの競合業者もさほど力を注いでいない地域だった。この状況はN社にとって大きな利点となった。
京都は、名古屋からのアクセスが良いだけでなく、大阪攻略の足場として、さらには山陰地方への進出拠点としても理想的な位置にある。この地域をしっかり押さえることで、大阪への包囲網を形成するだけでなく、さらに広いエリアでの影響力拡大が見込める戦略的な重要拠点となった。
さらに、粟東地区を制圧することができれば、北陸地区の強化に向けた重要な足場にもなる。地理的に北陸との接点を持つこのエリアを押さえることは、次の段階の市場拡大において大きな戦略的意味を持つ。
一方、和歌山は蜜柑の大産地であり、有田地方を中心に購買力のある地域を控えているにもかかわらず、競合業者からの注目は意外にも低い。この隙を突き、和歌山を拠点として地域の需要をしっかりと取り込むことで、大阪攻略を含むさらなる市場拡大の足がかりとすることができる。
姫路は比較的競争が穏やかで、作戦展開が比較的容易と見込まれる地域だった。さらに、この拠点には将来的な可能性も含まれていた。大阪の業者が強い岡山地域への進出を目指す際、姫路を拠点とすることで大阪地区との分断を図ることができる。
加えて、いざ作戦開始となれば、N社の広島拠点と連携し、岡山地域に対して挟撃作戦を展開することが可能となる。このように、姫路は現在の作戦における重要拠点であるだけでなく、将来の拡大戦略においても欠かせない要となる地域である。
この三点作戦を立案する過程で、N社は大阪市場への早期進出を強く望み、大阪に近い神戸と堺の流通業者に接触を試みた。しかし、どちらの業者も大阪に拠点を持つメーカーとの結びつきが非常に強固であり、N社の提案にはほとんど関心を示さなかった。事実上、これらの業者を通じた大阪進出の道は完全に閉ざされていた。
つまり、神戸や堺といった3地区は、激戦地である大阪地区の一部と見なされるエリアに完全に含まれている。この状況では、「激戦地は避けよ」の法則を適用せざるを得ない。競合がひしめく地域で無理に戦うよりも、周辺地域を着実に固め、大阪を包囲する形で進出の機会を伺う方が、戦略的に見てはるかに合理的である。
このように周到な戦略を立案したものの、根本的な問題である兵力不足はどうにも解決できず、やむを得ず、作戦地域を名古屋と京都のみに絞ることとなった。これにより、他の拠点での展開は一旦見送り、限られたリソースを最優先地域に集中させる選択を迫られたのである。この制約は、戦略の本格的な展開を遅らせる一方、重要地域での着実な基盤固めに注力する機会ともなった。
名古屋地区で展開した「蛇口作戦」は、開始からわずか6カ月で売上を3割も伸ばす成果を上げた。それだけでなく、ディーラーとの関係がこれまで以上に親密になり、毎月1回の定期会合が開かれるようになるなど、信頼関係の強化にもつながった。
一方、京都地区での「蛇口作戦」も順調に進み、確実に成果を上げていた。この戦略により、地域内ディーラーの態度にも変化が見られ、これまで以上に協力的な姿勢を示すようになってきた。このように、限られた作戦地域にリソースを集中させた結果、目に見える効果が得られている。
N社は、自らの経験を通じて「蛇口作戦」の効果を実感した。しかし、さらなる戦略の拡大は、新たな戦力――具体的にはセールスマンの増員――がなければ実現できない状況に直面している。
皮肉にも、この状況から得られたのは、セールスマンを増員しさえすれば「蛇口作戦」をより広範囲に展開でき、N社が大きく飛躍する可能性があるという確信である。現状の制約が、逆に潜在的な成長の可能性を際立たせているのである。
全国戦略を立案・推進する際には、N社の事例が示すように、以下のポイントをしっかりと押さえることが重要である。
- 全般的な状況判断に基づく戦略設計
自社の置かれた状況や競合他社の動きを冷静に分析し、現状を正確に把握することを出発点とする。 - 強い地域の占有率確保と向上を最優先に
自社が優位性を持つ地域では、その地位をさらに確固たるものにするための施策を最優先で実施する。 - 新戦略展開の基本構想の策定
将来的な拡大を見据えた基本的な戦略構想を明確にし、長期的な視点での計画を立てる。 - 現有戦力に基づく作戦決定
現在のリソースで無理なく実行可能な作戦を選定し、確実に成果を上げる。 - 将来の市場戦略展開のための布石
今後の市場拡大に備えた基盤づくりや拠点の確保、人的資源の準備を進める。
これらのステップを一つずつ丁寧に推進していくことが、全国規模の成功を実現する鍵であることを、あらためて認識していただきたい。
全国戦略の考察
N社のケースでは、市場戦略の展開における重要なポイントがいくつか明確に示されています。以下にそのポイントを整理し、戦略の構築方法を考察します。
1. 市場戦略の基本方針
N社が直面していた問題は、全国に販路を広げているにもかかわらず、一部の地域においてのみ強い地盤を築いていた点です。強い地域は名古屋地区、静岡、北陸地方、広島県などに集中し、その他の地域では競争に苦しんでいました。特に、東京、東北、近畿地方、四国、九州地方では弱い状況にありました。
そのため、N社は戦略地域をさらに細分化し、以下の方針で戦略を推進することが求められました:
- 強い地域の強化: 名古屋、静岡、広島、北陸などでの占有率を確保し、さらなる強化を目指す。
- 弱い地域の見直し: 東京、東北、近畿、四国、九州地域をどう活性化させるかを検討し、新たな戦略を展開。
2. 戦略地域の選定とアプローチ
N社が選定した戦略地域にはいくつかの指針がありました。特に「激戦地を避ける」ことが重要なポイントとなります。以下のような地域戦略が立てられました:
- 金城湯池の地域(静岡、広島)を防御地域として維持。
- 名古屋地区を強化するために「蛇口作戦」を展開。
- 近畿地方に新戦略展開を試みるために専任者を一名投入。
- 北陸地方はセールスマン不足により現状維持とする。
- その他の地域はセールスマンの訪問を控え、年に1〜2回、社長と専務による間屋訪問のみとする。
このように、地域戦略の段階的アプローチを行い、限られたリソースで最大の効果を上げるようにします。
3. 蛇口作戦の展開
名古屋地区と京都地区で実施された蛇口作戦は、顕著な成果を挙げました。特に、名古屋では定期的なディーラー訪問を通じて、売上が三割増加し、ディーラーとの関係が強化されました。このような戦略を通じて、N社は短期間で市場占有率を向上させることができました。
4. 三点攻略法
新戦略地域である近畿地方には、「三点攻略法」を使用しました。この方法は、三つの拠点を結んで地域全体を制覇する「面作戦」です。薬ヒグチの「三角商法」に触発された戦略で、京都、和歌山、姫路の三つの拠点を強化し、大阪地区を包囲する作戦が立てられました。
- 京都は名古屋から近く、大阪攻略の拠点として重要。
- 和歌山は購買力が高いが業者の関心が薄く、攻める価値がある。
- 姫路は平穏な地域であり、戦略展開がやりやすい。
この「三点攻略法」を使うことで、N社は大阪地区の激戦地を避け、効果的に戦略を展開できる土台を作りました。
5. セールスマンの増員とその重要性
N社の最大の課題は、セールスマンの数が不足していることでした。セールスマンが不足しているため、市場戦略を十分に展開することができず、より多くのセールスマンを投入する必要がありました。増員した場合、N社はその効果を短期間で実感することができると予想されました。
具体的な増員案としては、以下のように計画されました:
- セールスマンの増員: セールスマンの数を現在の4倍に増やす。
- 増員後の目標: 新たに戦略地区(特に近畿地方)で積極的に展開する。
この増員により、N社は市場戦略を加速させ、大躍進を果たすことが期待されました。
6. まとめ
N社の戦略は、限られたリソースの中で最大の効果を上げるために、地域戦略を詳細に分析し、優先順位をつけて実行する方法でした。特に、強い地域をさらに強化し、弱い地域には慎重にアプローチを行いました。また、セールスマンの増員を積極的に計画し、未来の市場戦略に備えることで、N社は競争力を高めました。
このようなアプローチにより、N社は市場占有率を着実に拡大し、長期的に成功を収めることができるという確信を得たのです。
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