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中におさまり、時に応ずる。その慎みが人を高める


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■引用原文(『中庸』第二〜第五章より)

仲尼曰、君子中庸、小人反中庸。君子之中庸也、君子而時中。小人之反中庸也、小人而無忌憚也。
子曰、中庸其至矣乎、民鮮能久矣。
子曰、道之不行也、我知之矣。知者過之、愚者不及也。道之不明也、我知之矣。賢者過之、不肖者不及也。人莫不飲食也、鮮能知味也。
子曰、道其不行矣夫。


■逐語訳

  • 君子中庸、小人反中庸:君子は中庸の徳を実践するが、小人はこれに背く。
  • 君子而時中:君子が中庸を実践するのは、常に時と場に応じて中道を選べるからである。
  • 小人而無忌憚也:小人は慎みがなく、過剰か不足かを省みない。
  • 中庸其至矣乎、民鮮能久矣:中庸は実にすぐれた徳であるが、それを長く保てる者はきわめて少ない。
  • 知者過之、愚者不及也:賢い者は過ぎてしまい、愚かな者は及ばない。
  • 人莫不飲食也、鮮能知味也:人は誰しも食べるが、味をよくわかる者は少ない。道も同じである。
  • 道其不行矣夫:道は実に行なわれていないものだなあ(嘆息)。

■用語解説

  • 中庸(ちゅうよう):偏らず、過不足のない中正な徳行。
  • 時中(じちゅう):「常に中」であるのではなく、その時々にふさわしい中道をとること。
  • 忌憚(きたん):慎みや遠慮。これがない者は自制を欠く。
  • 過(すぎる)・不及(およばぬ):どちらも中庸を失った状態。
  • 知味(ちみ):本質を味わい、理解すること。
  • 道(みち):人として正しくあるべき普遍の原理。

■全体の現代語訳(まとめ)

孔子は言う――
君子は中庸を守るが、小人はそれに背く。君子が中庸を貫けるのは、その場その場で適切な行動をとる柔軟な知恵を持つからだ。小人は慎みを欠き、極端に走ってしまう。
中庸の徳は極めて高いものだが、それを真に長く続けることができる人は少ない。
人は、知者であっても出過ぎてしまい、愚者は及ばない――それが道が実行されない理由だ。人は皆食事はするが、味の真価を理解できる者はまれである。道もまたそうしたものである。
――孔子は深く嘆いた。「道が行われないとは、なんとも口惜しいことだ」と。


■解釈と現代的意義

この章群では「中庸」が一つの理想状態ではなく、時と状況に応じて中道を選ぶ実践の知恵であることが説かれます。
特に重要なのは、単なる均衡や平凡さではなく、「行き過ぎず、足らずともせず」という生きた感覚――それが「時中」の精神です。

また、聡明な人も愚かな人も「道」を誤るという指摘は、知識や能力ではなく、節度と慎みの有無こそが実践の成否を分けることを示しています。

中庸は、たとえるなら「味の真価」を見抜く繊細な感覚のようなもの。誰でもその入口には立てるが、真に味わい、深められる者は少ない――それが孔子の憂いでした。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈・適用例
判断と意思決定「正論」だけではなく、その時々の人・状況に応じた対応(時中)が求められる。原理に忠実でありつつ柔軟に動けることがリーダーの条件。
慎重さと自制心小人は「忌憚」なく自分の欲望や感情をぶつけてしまうが、君子は内省を伴い慎みを忘れない。
スキルと実践の乖離知識や能力があっても、それをどう使うかによって成果は異なる。「知っていても実行できない」ことの本質に気づく必要がある。
継続する力中庸は一時的な節度ではなく、「常に整い続ける心の習慣」であり、それを持続する力こそが徳の真価である。

■心得まとめ

「その時に応じて節度を守る。中庸とは、動的な智慧である」

中庸とは、ただ均衡を保つだけの固定的な徳ではない。それはその場に応じた“ちょうどよさ”を選び取る柔らかな力であり、驕らず怯まず、自分を律する「慎み」の実践である。
才ある者も、愚かな者も、真に道を外さず歩み続けることは難しい――だからこそ、継続して「中庸」を貫く人は、人格的にも信頼に値するのだ。

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