孟子は、伊尹(いいん)の言葉を通じて「先覚者とは何か」を力強く描く。
伊尹は、天下が治まっていても乱れていても、堯舜(ぎょうしゅん)の道を広め、民を導くために自ら進んで仕えた。
彼は「私は天が民のために遣わした先覚者である」と自任し、一人でもその恩沢にあずかれない民があれば、それは自分の責任だと感じた。
このように、伊尹の行動は「道徳的な使命感」と「天命に基づく啓蒙意識」によって貫かれていた。
原文と読み下し
伊尹(いいん)曰(いわ)く、
「何(いず)れに事(つか)うるとして君に非(あら)ざらん。何れを使(つか)うとして民に非ざらん。
治(おさ)まるも亦(また)進み、乱(みだ)るるも亦進む」と。また曰く、
「天の斯(こ)の民を生ずるや、先知(せんち)をして後知(こうち)を覚(さ)まさしめ、
先覚(せんかく)をして後覚(こうかく)を覚ましむ。
予(われ)は天民の先覚者なり。予、将(まさ)に此(こ)の道を以(もっ)て此の民を覚さんとす」と。天下の民、匹夫匹婦、堯舜の沢(たく)を与(あず)かれざる者有(あ)らば、
己(おのれ)推(お)して之(これ)を溝中(こうちゅう)に内(い)るが如(ごと)し。
其の自(みずか)ら任(にん)ずるに天下の重きを以てすればなり。
解釈と要点
- 伊尹は、どの君主に仕えようと、どの民を治めようと、自らの使命は変わらないと明言する。
- それは「堯舜の道(仁義)を民に広め、覚醒させるため」であり、政治の安定・混乱に関係なく行動する信念を示す。
- 「先覚者(さきに悟った者)こそが、後に悟る者を導く責任を負う」という思想は、孟子自身の指導者観にも重なる。
- たとえ一人でも、堯舜の恩恵(仁義・善政)を受けられない者がいれば、それは自分がその人を苦しみに突き落としたも同然だという強い自責と連帯感がある。
- 伊尹は、自分の存在を「天下の重責を担う者」として定義し、その責任に自覚的に応えていく人物像として描かれている。
注釈
- 堯舜の道:仁義を中心とした聖人の統治・徳の体系。
- 先知・後知、先覚・後覚:「知」は事実・現象の理解、「覚」は真理・道理の覚醒を指す。前者は情報、後者は悟りの意味合い。
- 匹夫匹婦:名もなき一般庶民。
- 溝中(こうちゅう):溝、つまり苦境や地獄のような場所の比喩。
- 自ら任ずる:自ら使命・責任を担っているという強い自負。
パーマリンク(英語スラッグ)
mission-of-the-awakened-leader
→「覚醒した者の使命を担うリーダー」としての伊尹の姿勢を表現したスラッグです。
その他の案:
burden-of-the-enlightened
(啓蒙者の責任)no-one-left-behind
(誰一人、仁の恩恵から取り残さぬ)heaven-sent-to-lead
(天により遣わされた指導者)
この章は、「為政者の責任」「道の普及」「先覚者の倫理」という三つの儒教的テーマが融合した重要な一節です。
孟子は伊尹の姿を通じて、「徳ある者が世を導くとはどういうことか」を示しており、
現代のリーダー像にも深く通じる洞察が含まれています。
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