孟子は、伊尹(いいん)が当初出仕を拒みながら、最終的には湯王(とうおう)に仕えた動機を明らかにし、真の「先覚者(せんかくしゃ)」とは何かを説く。
伊尹は仁義の道を一人楽しむよりも、君を聖人とし、民を聖なる民とし、自らその実現をこの目で見ようとした。
彼は、自分が先に「覚(さと)」った者として、民を教え導く使命があると考えた。
この使命感のゆえに、伊尹は天下を背負う覚悟をもって政治に関与し、夏の桀(けつ)を討ち、民を救う道を選んだのである。
原文と読み下し
湯(とう)、人をして弊(へい)を以て之(これ)を聘(へい)せしむ。
囂囂然(ぎょうぎょうぜん)として曰(いわ)く、
「我(われ)何(なん)ぞ湯の聘を以て為(な)さんや。
我、豈(あ)に畎畝(けんぼ)の中に処(お)り、是(これ)に由(よ)りて以て堯舜(ぎょうしゅん)の道を楽しむに若(し)かんや」と。湯、三たび使いを往(や)って之を聘す。既(すで)にして幡然(はんぜん)として改めて曰く、
「与(とも)に我と畎畝の中に処り、是に由りて堯舜の道を楽しむよりは、
吾(われ)、豈に是の君をして堯舜の君たらしめんに若かんや。
吾、豈に是の民をして堯舜の民たらしめんに若かんや。
吾、豈に吾が身をもって親しく之を見んに若かんや。天の此の民を生ずるや、先知(せんち)をして後知(こうち)を覚(さ)ましめ、
先覚(せんかく)をして後覚を覚ましむ。予(われ)は天民の先覚者なり。
予、将(まさ)に斯(こ)の道を以て斯の民を覚さんとす。予の覚(さ)まさざるにして誰か之を覚まさん」と。天下の民、匹夫(ひっぷ)匹婦(ひっぷ)、堯舜の沢を被(こうむ)らざる者あらば、
之を己(おのれ)推して溝中(こうちゅう)に内(い)るが如し。
其の自(みずか)ら任ずるに天下の重きを以てすること此の如し。
故に湯に就(つ)きて之を説くに、夏を伐(う)ち民を救うことを以てす。
解釈と要点
- 伊尹は最初、田畑の中で静かに仁義の道を楽しむ生き方を選んでいたが、湯王の誠意に心を動かされ、志を翻した。
- 「君を堯舜の君にし、民を堯舜の民にし、その実現を我が目で見る」――理想の実現を見届けることの価値に気づいた。
- 自らを「天民の先覚者」として、啓蒙する責任を自覚し、「自分がやらなくて誰がやるのか」という使命感に突き動かされた。
- 一人でも堯舜の恩沢を受けない者があれば、自分がその人を溝に突き落としたも同じだという思いに至り、天下を背負う覚悟を固めた。
- 最終的には湯に仕えて夏の桀王を討ち、民を救うという、政治的・倫理的決断に至った。
注釈
- 弊(へい):礼物、贈り物。仕官を求める人への形式的な使者の派遣。
- 囂囂然(ぎょうぎょうぜん):無欲で泰然とした態度の形容。
- 畎畝(けんぼ):田畑、溝と畦。農業に従事する場所。
- 幡然(はんぜん):心を改め、志を翻すさま。
- 先知・先覚:先知は先に事実を知る者、先覚は先に道理を悟る者。
- 溝中:溝の中、つまり苦しみ・困窮の象徴。
パーマリンク(英語スラッグ)
mission-of-the-awakened
→「覚醒した者の使命」という伊尹の立場と覚悟を表すスラッグです。
その他の案:
why-i-must-lead
(なぜ私が導かねばならぬか)enlighten-by-duty
(義務としての啓蒙)better-than-solitude-is-service
(静寂よりも奉仕を選ぶ)
この章は、孟子が描く「真の知者」「道を知る者」の責任を鮮明に示し、“先に悟った者は後を導くべき”という儒教的リーダー論の真髄を伝えています。
1. 原文
コピーする編集する湯、使人以弊聘之、囂囂然曰、我何以湯之聘為哉。
我豈若處畎畝之中、由是以樂堯舜之道哉。
湯三使聘之、既而幡然改曰:
與我處畎畝之中、由是以樂堯舜之道、吾豈若使是君為堯舜之君哉。
吾豈若使是民為堯舜之民哉。
吾豈若於吾身親見之哉。
天之生此民也、使先知覺後知、使先覺覺後覺也。
予天民之先覺者也、予將以斯道覺斯民也、非予覺之而誰也。
思天下之民、匹夫匹婦不被堯舜之澤者、若己推而內之溝中。
其自任以天下之重如此。
故就湯而說之、以伐夏救民。
2. 書き下し文
コピーする編集する湯、人をして弊を以て之を聘(へい)せしむ。
囂囂然として曰く、我何ぞ湯の聘を以て為さんや。
我、豈に畎畝(けんぼ)の中に処り、是に由りて以て堯舜の道を楽しむに若かんや。
湯、三たび往きて之を聘せしむ。
既にして幡然として改めて曰く、
我、畎畝の中に処りて是に由りて堯舜の道を楽しむよりは、
吾れ、豈に是の君をして堯舜の君たらしめるに若かんや。
吾れ、豈に是の民をして堯舜の民たらしめるに若かんや。
吾れ、豈に吾が身において親しく之を見るに若かんや。
天の此の民を生ずるや、先知をして後知を覚さしめ、
先覚をして後覚を覚さしむ。
予は天民の先覚者なり。
予、将に斯の道を以て斯の民を覚さんとす。
予の覚すに非ずして誰ぞや。
天下の民、匹夫匹婦にして堯舜の沢を被らざる者あるを思うこと、
己れ推されて之を溝中に内るるがごとし。
其の自ら任ずるに天下の重きを以てすること、此の如し。
故に湯に就きて之を説き、以て夏を伐ち民を救う。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 湯王が、粗末な贈り物をもって伊尹を三度も訪ねて仕官を求めた。
- 伊尹は最初、「私はなぜ湯王の使いを受けねばならないのか?畑にいて堯舜の道を楽しんでいた方がいい」と拒絶。
- だが三度目に心が変わり、「畑にいるより、この君主を堯舜のような君主に育てるほうが、民を堯舜の民に導くほうが、そしてそれを自分の目で確かめるほうが、もっと尊い」と自覚。
- 「天が民を生むのは、先に目覚めた者が、後に目覚める者を導くためだ。私はその“先覚者”なのだ。私以外に誰がこれをなすべきか?」
- 「堯舜の徳を受けられない民がいる。それは、自分が彼らを溝に突き落としているようなものだ」と責任を感じた。
- 「自らが天下の重責を背負うべきと悟った」
- そして湯王に仕えて夏王朝を討ち、民を救うことを決意した。
4. 用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
弊(へい) | 粗末な贈り物。誠意を示すが、贅沢ではない。 |
畎畝(けんぼ) | 田畑・農地のこと。隠者が暮らす象徴。 |
囂囂然(ごうごうぜん) | 騒々しく拒否するさま。伊尹が強く拒絶した様子。 |
幡然(はんぜん)改む | 急に心を変えるさま。強い自覚を得て態度を変える。 |
先覚(せんかく) | 先に真理に目覚めた人。社会の啓蒙者を意味する。 |
溝中(こうちゅう) | どぶ。見捨てられた状態のたとえ。 |
5. 全体の現代語訳(まとめ)
伊尹は当初、畑仕事に従事し、堯舜の道を楽しんでいた。
湯王のたび重なる招聘にも応じなかったが、
ある時「自分がこの王を堯舜のような聖王に導き、民を徳の民とするなら、 それこそが最大の喜びだ」と思い直す。
「私は“天民の先覚者”であり、道を示して民を覚醒させる使命がある」と自覚し、
「もし自分がこのまま民を見捨てれば、それは自ら溝に落とすようなもの」と、天下の重責を自ら引き受けた。
こうして湯王に仕え、暴政の夏を伐ち、民を救うことを決意したのである。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「個人の安寧より、社会全体への責任を取るリーダーシップ」**を象徴しています。
- 自らが“先覚者”であるという覚悟:
知識ある者、徳ある者が気づき、動くべきという強い社会的責任。 - 他者を溝に突き落とすな:
行動しなければ、それは放置であり、結果的に加害者と同じであるという意識。 - 「個」の善を超え、「公」の道に身を投じる倫理:
自分の中で完結する善から、他者や社会を導く責任へと意識が昇華していく過程が明瞭。
7. ビジネスにおける解釈と適用
- 知る者が動かねば、組織は変わらない
気づいた人が手を上げる。知っていながら傍観することは、結果的に害を許すことと同義。 - リーダーは“自覚”が始まり
役職よりも、「私がやらねば誰がやる」という自覚が、真のリーダーを生む。 - 民=顧客/社員の幸福を置き去りにしない
経営の本質は「徳をもって人を導くこと」。利益よりも信頼、売上よりも福祉。
8. ビジネス用の心得タイトル
「先に知る者、先に動く──民を導く責任から逃げるな」
コメント