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最小限管理

目次

まず人員を減らせ

最小限記帳

最小限報告書

社内の業務の多くは、日常的なルーティンワークに過ぎない。ルーティンである以上、そこには一定の法則が存在する。その法則が見出せるならば、それを「標準化」することが可能になる。

仕事を標準化することで、ルーティンワークを効率的に進めることができるにもかかわらず、それを実践している企業は驚くほど少ない。その結果として発生する無駄や不要な混乱は、決して軽視できるものではない。この状況が顧客サービスの質を低下させ、ひいては企業の業績を悪化させる要因となっている。

この章では、繰り返し業務の標準化に焦点を当て、業務の流れをスムーズにするだけでなく、誰が担当しても同じ成果を得られる仕組みを構築するための具体的な方法について解説する。

これは、M建設を訪問した際、総務部次長のS氏(部長が欠員していたため実質的に部長職を兼務)が語ってくれたエピソードだ。

「私が総務部次長に任命された当時、現在の三倍の人員が配置されていました。私は、この人数を半減できると確信していたので、部下たちに『三年後には現在の人員を半分にする』と宣言しました。ただし、同じ仕事を同じやり方で続けていたのでは、ただの労働強化になってしまう。だからこそ、仕事量そのものを半減させる必要があると考えました。

部員それぞれに、自分の仕事を見直し、無駄な作業があれば排除し、効率化を図るための工夫をするよう課題を与えました。そして、『どうしても仕事を減らす方法が見つからない場合は、私に相談してほしい。一緒に解決策を考えましょう』と伝えました。」

「三年後には、人員は見事に半減していました。その間、私のもとに相談に来た部下は一人もいませんでした。」とS氏は語った。

これこそが真の指導者の姿である。自らの意図を明確にし、具体的な方針を示しながら、根気強く部下を導く。その結果を確実に実現する力を持つ。S氏の行動は、まさに模範的なリーダーシップの一例だと言える。

管理部門というのは、気がつけば人員が増えていくという性質を持っている。「パーキンソンの法則」によれば、「役人の数は仕事量に関係なく増加する」とされているが、これは企業においても同様に当てはまる現象だ。仕事の本質や必要性にかかわらず、人員が増える仕組みが自然発生的に働くのが管理部門の特徴と言える。

「管理」という概念の起源をたどると、19世紀にアメリカ人フレデリック・テーラーが提唱した「科学的管理法」に行き着く。この手法は、業務を効率的かつ合理的に進めることを目的としていたが、次第にその適用範囲が拡大し、「すべてのことが管理されなければならない」という風潮が生まれ、やがてそれが社会に根付いていった。

その結果、「管理こそが事業経営で最も重要であり、適切に管理さえできれば経営は成功する」と信じ込む人々が次々と現れるようになった。こうした考え方は、経営の本質を見失わせることにもつながりかねないが、管理偏重の風潮として広がりを見せた。

世の経営学者や自称コンサルタントといった人々は、まさにこの典型だ。彼らは「管理」以外の視点を持たず、それ以外の重要な要素について語ろうともしないし、関心も示さない。その姿勢はまさに「管理亡者」と言うほかない。

管理とは、会社内部の繰り返し業務だけを対象とするものであり、その範囲を超えるものではない。確かに業務は事業経営に欠かせない要素ではあるが、それ自体が事業経営そのものではない。経営とは、本来、もっと広範で創造的な活動を含むものであり、単なる業務の管理に終始するものではないのだ。

管理というものは、仕事を円滑に進めるうえで確かに役立つ。しかしその一方で、必ず「費用」を伴う。管理が意味を持つのは、その費用を上回る成果が得られたときだけだ。つまり、重要なのは「成果対費用」という生産性であり、管理がただのコスト負担に終わらないよう、そのバランスを常に意識する必要がある。

ところが、管理亡者たちは、この生産性という本質を忘れ去り、管理そのものを目的化してしまった。彼らは管理を過剰に重視し、何でも管理しようと躍起になり、さらには「高度な管理」や「きめ細かい管理」といった名目で暴走を始める。その結果、必要以上に複雑で過剰な仕組みを作り出し、いわゆる「管理公害」と呼ばれる弊害を引き起こしてしまったのだ。

つまり、管理亡者たちは、管理にかかる費用が成果を上回っていても、それを顧みることなく、「管理することは善である」という迷信にとりつかれてしまった。その根底には、「記録をとることが重要であり、記録をとらないのは前近代的だ」という固定観念がある。そして、ただ記録をとること自体で安心するという、不思議な心理が働いているのだ。これは本質を見失い、手段が目的化してしまった典型的な例と言える。

この問題に拍車をかけるのが、まさに「マネジメント」という名の思想だ。これにより、何の見境もなく記録が取られ、無数の紙屑が生み出されていく。さらに、コンピュータの導入により、紙屑製造のスピードは格段に上がり、それらがファイル化される。その結果、膨大な記録を保管・管理するために人手とスペースが必要となり、いつの間にか過剰な人員を抱え込む状態に陥ってしまう。これは効率化を目指すはずの管理が、逆に非効率を生むという本末転倒の状況を象徴している。

こうした状況に陥ると、今度は「管理人員を削減すべきだ」という主張が生まれる。過去には「定員制」という考え方が存在し、それが形を変えて「MIC計画(間接人員削減計画)」として再登場したこともあった。しかし、これらの施策も結局は実効性を欠き、いつの間にか姿を消してしまった。これらの流れは、問題の本質を見極めず、その場しのぎで対策を講じた結果と言える。

最近では、OWA(オフィス・ワーク・アナリシス)といった新たな手法が登場しているが、これも一時的な話題に過ぎず、やがて誰からも顧みられなくなるだろう。こうした流れはいつものことであり、次にはまた違う名称や装いをまとった同様の主張が繰り返されるのは目に見えている。結局のところ、根本的な解決を伴わないアイデアは、どれだけ新奇に見えても本質的には同じ道をたどる運命にあるのだ。

以上のような手法は、いずれも「各部門の仕事量を科学的に算定し、それに基づいて必要な人員を決定する」という、一見理論的に見えるが、実際には極めて非科学的な思想に基づいている。その理由は明白で、仕事量の調査は通常、面接や報告書などの方法で行われるが、果たして誰が正確で真実の情報を提供できるというのか。人間の主観や状況の変化が介在する限り、仕事量を客観的に数値化することなど到底不可能である。

仕事の速度には個人差があり、季節的な繁閑や判断を要する業務など、当事者でさえ正確に把握することは難しい。このため、調査で尋ねられた場合、多くの人は「勘で答える」ことになる。しかし実際には、それ以上に「この答えが自分にとって不利にならないように」という意識が働き、自分に都合のいい回答をしようとする傾向が強い。

仮に百歩譲って、正確な仕事量を測定できたとしても、その仕事が本当に必要なものなのか、あるいは無駄なのかを判断する能力は、通常の調査員には備わっていない。このような調査に基づいて導き出される結論が、実態とかけ離れたものになるのは必然だと言える。

仮にある業務が不要だと判断され、それが正しい指摘であったとしても、その結論が打合せ会議などで取り上げられた場合、該当部門の管理職から強烈な反撃を受けるのは目に見えている。この反撃を打ち破るのは極めて困難だ。なぜなら、管理職にとってその結論を受け入れることは、自らの無能さを公に認めることに等しいからだ。そのため、たとえ正論であっても感情的な抵抗に直面し、結果として事実をねじ曲げられてしまうことが往々にして起こる。

だからこそ、現状で十名いる部門について「八名で十分だ」と指摘したとしても、必ずと言っていいほど反発が起きる。該当部門は、調査の不備や調査外の仕事を持ち出して「どうしても十名が必要だ」と強硬に主張し、絶対に譲らない。その部門の管理職にとって、これを認めることは自らの価値を否定する行為に等しいからだ。そんな立場を放棄するような人物がいるはずもない。

このように、仕事量算定に基づく議論は、「人間は論理だけで動かない」という現実を無視している。この点を理解できない限り、それは空虚で非現実的な空論に過ぎない。論理だけで解決しようとする考え方では、人間社会の複雑な本質には到底立ち向かえないのだ。

挙げた例のように、最末端の業務は明確化が可能であり、明確化することに大きな効果がある。その理由は、それらが繰り返し行われる仕事であるからだ。

人員削減は理屈だけで実現できるものではない。社長の方針として、「各管理部門の人員数をこう決める。その形になるよう工夫しろ。無理なら相談しろ」というスタンスが最も適切であり、むしろそれ以外に選択肢はないと言い切ったほうがよい。ほかの方法を取れば、無駄な議論を生むだけだということを理解してもらう必要がある。

さらに、そうして決めた人員であっても、外部の情勢が変化すれば再び見直さなければならない可能性が常につきまとう。

これを実行するには、経営計画の一環として要員計画を作成し、それを社内の目標として提示するのが最善の方法だ。一年に一度、要員計画の見直しを行う程度で、よほどの急激な変化がない限り外部環境の変動にも対応できる。実際、この方法で社内に不要な論議が起きたことはない。これは長年の経験に基づく確かな実感だ。

T社で本社人員(製造部門を含む)を450名から400名に減らした際の事例は興味深い。五年間で生産量がほぼ三倍に増加していたため、削減の中心は管理部門に向けられた。まず、5年間で本社人員を400名にするという目標が設定された。その一方で、長期計画では社員の士気に配慮し、人員数を横ばいに保つ計画を立てた。

その方法は極めてシンプルだった。「退職者数の半数を新規採用する」という方針を採用したのだ。この方針は厳密に適用されるものではなく、状況に応じて柔軟に運用されていた。

そして、5年後には極めて自然な形で、しかも社員のほとんどが減員に気づくことなく目標が達成された。これは、上層部から厳しい減員指令が出されたわけではなく、退職者5名に対して新入社員を2〜3名採用するような柔軟な対応を続けた結果である。この方法こそが、厄介な仕事量と管理人員の問題を解決するためのノウハウと言える。

会社にとって、「仕事の管理」よりも「事業の経営」のほうが重要だ。本当に求められるのは、経営上の最大の要請である「生き残る」ための知恵である。この点をしっかりと理解し、本末転倒の判断をしてはならない。

事業の観点から言えば、理想的には管理をせずに済ませたいところだ。管理費がかからないため、コスト削減につながるからだ。しかし、現実には管理をしないことでロスが発生する。そのロスを削減するための管理費がそれ以下で済む場合に限り、管理を行うほうが合理的であり、事業にとって有利と言える。

当然ながら、求められるのは高度で細密な管理ではなく、「最小限の管理」であるべきだ。では、最小限の管理とは何か、そしてそれをどのように実現すればいいのか。本項では、その中でも「管理人員」の削減に焦点を当てて考えた。もう一つの重要な要素である「仕事」については、どのようにアプローチすべきだろうか。次項からは、この点に焦点を絞り、具体的に述べていくこととする。

最小限の記帳を実現するには、まず無駄な記帳を排除する必要がある。多くの企業では、不必要な記帳が氾濫しており、特に会社の規模が大きくなるほど、その傾向が顕著になる。こうした書類には、必ずといっていいほどF記帳や報告が伴い、それがさらに手間とコストを増大させている。

無駄な記帳が生まれる理由は主に三つある。第一に、「記録することは良いことだ」という固定観念が背景にある。第二に、過剰な管理人員が存在するために「手空き時間」が生じ、その時間を埋める目的で作られた書類が多い点である。第三に、ある時点で何らかの必要性から作成された記録が、その必要性が消滅した後も慣例として存続し、無駄な記帳として残り続ける場合だ。

パーキンソンの法則を借りるならば、「記帳は必要性に関係なく増え続ける」という現象がまさにそれを物語っている。これは極めて厄介な問題だ。これを効果的にコントロールするためには、以下のようなアプローチが考えられる。

  1. 記帳の目的を明確化する
    すべての記帳について、その目的や必要性を再評価する。不要なものや目的が曖昧なものは削除する。
  2. 定期的な見直しを行う
    記帳や書類の必要性を定期的に検討し、廃止可能なものを排除する仕組みを構築する。
  3. 手順を簡略化する
    必要な記帳であっても、そのプロセスを最小限に簡略化する。記録方法やフォーマットを標準化することで手間を削減できる。
  4. デジタル化を進める
    記帳を紙からデジタルに移行し、検索や保存、共有の効率を向上させることで無駄を減らす。
  5. 管理人員の適正化
    過剰な管理人員を適正化し、余剰な手間を生むような行動を抑制する。
  6. トップダウンの改革
    記帳削減を経営課題として認識し、組織全体で取り組むようにする。トップのリーダーシップが重要となる。

これらを組み合わせることで、無駄な記帳の氾濫を抑え、効率的な管理体制を構築できる可能性が高まる。

会社内の書類で記帳が必要とされるものは、大きく次の三種類に分けられる。

  1. 金銭に関するもの
    つまり経理的帳票類であり、会計処理に必要な書類。
  2. 法律で規定された書類
    会社法や労働基準法などで作成・保存が義務付けられているもの。
  3. 日常業務に必要な帳票類
    業務遂行や管理に使用される、会社独自の書類。

このうち、経理的帳票類と法律で決められた書類については、基本的には問題はない。どちらも確実に備え、正確に記帳することが求められる。しかし、一つだけ課題がある。それが「伝票式会計」の運用だ。伝票式会計は、一品一葉を基本としたワンライティング(複写)方式で進められるが、これが非効率の温床になる場合がある。ここに手を入れることで、より効率的な運用が可能になるはずだ。

伝票式会計が推奨される理由は、転記ミスを防ぎ、分類や整理が容易になる点にある。しかし、ワンライティング方式であるがゆえに、「なくてもよい伝票」が生まれることがある。さらに、その不要な伝票が増えることで、分類作業自体に多くの時間が費やされるケースも少なくない。結果として、必ずしも効率的とは言えず、むしろ非効率を助長する側面があるのが現実だ。

私のところには、「以前より手間が増えた」や「帳簿の冊数が増えて困っている」といった苦情が頻繁に寄せられる。それだけでは済まない問題もある。伝票が元帳を兼ねる形式のため、一覧性が失われ、全体像を把握しにくくなることで監査が困難になるのだ。これにより、不正が発生するリスクも高まりかねない。この点は、単に非効率なだけでなく、企業の信頼性や透明性を損なう可能性がある重大な課題だ。

社長としては、この問題の実態をしっかり調査し、伝票式会計を存続させるべきか、廃止すべきかを早急に判断する必要がある。そのために費やす時間はごくわずかであり、一度きりの決断で済む。そのため、ぜひ実行してもらいたい。無駄を放置すれば、その方式が続く限り無駄が生じ続ける。経営資源の効率的な活用を阻害しないためにも、迅速な対応が求められる。

問題の核心は、二番目の「日常の仕事に必要な帳票類」にある。まず指摘すべきは、「仕事に必要な帳票」とは具体的にどのようなものなのか、その定義や目的が明確でないまま運用されているケースが非常に多いという点だ。多くの場合、誰もが「何となく必要だろう」という感覚だけで記帳しているにすぎない。この曖昧さが、無駄な帳票作成や記帳作業を生む原因となっている。

その結果として、これらの帳票は仕事に役立つどころか、かえって処理を複雑にしてしまうことが多い。その典型的な例が、市販されているコクヨの手形帳である。この手形帳は、支手(支払手形)と受手(受取手形)を発生順に記載する仕様となっているが、実務においては極めて不便だ。支払手形と受取手形を明確に分けて管理する必要があるにもかかわらず、一つの帳簿に混在させる設計は、効率性を著しく損ねるだけでなく、ミスの温床にもなりかねない。

その理由は明白だ。手形において重要なのは「振出日」ではなく、「決済日」である。実務上、手形の管理は決済日ごとに行うべきものであり、発生順に記載する形式では必要な情報を効率的に把握することが難しくなる。このような不適切な帳票設計は、コクヨの手形帳に限った話ではなく、実務現場では同様の例が数え切れないほど存在している。こうした帳票類が仕事の効率を損ね、無駄を生み出す大きな要因になっている。

例えば、売上や仕入れに関する情報を、発生したすべての品物を一冊の帳簿にまとめて記入する形式では、実務上まったく使い物にならない。入出庫日報や検査日報など、このような非効率的な帳簿は現場でよく見られる問題だ。

経理的な観点から言えば、こうした情報は得意先別や仕入先別に記帳されるべきであり、管理業務の観点から見ると、品目別に整理されていなければ実用性を欠く。つまり、目的に応じた記帳の方法を採用しないと、帳簿が単なる記録のための記録に成り下がり、業務の効率化や正確性の向上に全く寄与しなくなるのだ。

記帳には必ず「目的」が必要であり、その目的が明確でなければ、記帳は単なる無駄な作業になってしまう。目的に合った記帳とは何かを考えることが重要だ。目的が具体的で明確であれば、それに合致した記帳方法は自然と見えてくるものだ。記録は単なる形式的なものではなく、経営や業務に実際に役立つ情報を整理・活用するために行うべきものである。

多くの企業で、目的を忘れた記帳が横行している。この問題の解決については、拙著『社長学シリーズ』第七巻「社長の条件」の「近代化への夢想からさめよ」(125頁)で詳しく解説しているので参考にしてほしい。

それにもかかわらず、多くの企業で目的を欠いた記帳が散見される。この解決策については、拙著『社長学シリーズ』第七巻「社長の条件」の「近代化への夢想からさめよ」(125頁)に詳しく記しているので、参照してほしい。

要するに、「社長自ら全帳票を点検し、不要なものは廃止する」こと、そして「新規の帳票類は必ず事前に社長の決裁を経る」という仕組みを設けることが重要だ。

これを怠れば、気づかないうちに帳票類が増え続けることになる。「そんなことまで社長がやるべきなのか」と疑問に思う人もいるだろうが、これは間違いなく社長が率先して行うべき仕事である。

なぜなら、これを実行することで無駄な記帳を恒久的に排除できる上、全ての書類を確認するのに大した時間はかからず、一度やれば済む作業だからだ。

200名や300名規模の会社なら半日もあれば終わるし、1,000名や2,000名規模の会社でも部門ごとに進めれば、同じく半日程度で済む作業だからだ。

蛇足ながら付け加えるが、「事務分析」などは絶対に行ってはならない。そんなものに頼らなくても、三年も経験があれば、帳票を一日見れば必要かどうか、便利か不便かは即座に判断できる。ましてや社長であればなおさらだ。事務分析では、こうした判断を正確に導くことはできない。

事務分析とは、言わば「素人」が行うものであり、それによって帳票類を削減できる効果はごくわずかに過ぎない。効率的な改善を求めるなら、経験に基づいた迅速な判断こそが重要だ。

社長が自ら帳票を調べる際の着眼点としては、以下が挙げられる。

  1. 目的の明確化
    その帳票は何の目的で作られているのか。経理的な処理か、仕事の管理かを明確にする。
  2. 経理的処理の純粋性
    経理的な帳票は、純粋に「簿記」の要件を満たすものでなければならない。
  3. 仕事の管理の実用性
    管理用の帳票は、「仕事の流れ」や「物の動き」が正確に把握できる形式になっているかを確認する。
  4. 統計類の必要性の精査
    統計や統計図表、分析表、一覧表は、仕事の管理にはほとんど不要である。必要だとしても、極めて限定的な場合にのみ使われるべきである。

これらを基準に帳票の有用性を判断し、不要なものを排除することが重要だ。

最小限の報告書については、拙著『社長学シリーズ』第七巻「社長の条件」の「近代化への夢想からさめよ」の節で詳しく述べているので、そちらを参照していただきたい。さて、社長への報告としてどのようなものが必要なのだろうか。

結論を言えば、社長への定期報告に関しては、形式的な報告書は一切不要であり、むしろ「何もない」が正解と言える。形式にとらわれず、必要な情報を必要なときに直接伝達することが重要だ。

なぜなら、社長が定期的に確認すべき報告事項は、すべて経営計画書に含まれているべきだからだ。経営計画書の実績欄に記載される数字こそが、報告そのものを表している。もし経営計画書に含まれていない事項で定期的に確認したいものがあれば、それを経営計画書に組み込むだけで十分である。

経営計画書に関連する資料として存在するのは「年計グラフ」だけである。社長が定期的に確認すべきものはこれ以外には何もない。それ以外の報告は、社長が必要性を感じたときに、その都度提出させれば十分だ。ただし、このような報告を安易に恒常化してはならない。必要な時だけ、必要な情報を求めることが重要である。

必要な報告は、大きく次の三つに分類される。

  1. プロジェクト計画に対する報告書
  2. クレーム報告書
  3. 社長の指令に対する報告書

クレーム報告は、文字通り発生した時点で即時に行う。一方、プロジェクト計画や指令に関する報告は、秘書を通じて日時を指定し、計画的に行う形を取るべきである。

管理職が受ける報告も、基本的には社長の場合と全く同じ方針で進めるべきだ。ただし注意すべき点として、管理職の性格によっては、不必要な報告を部下にやたらと求める場合がある。これを防ぐため、管理職が自ら受け取る定期報告については、事前に必ず社長の承認を得る仕組みを設けるべきである。

経営計画書のない会社や、経営計画書があるにもかかわらず、計画書の内容を反映せずに従来通りの報告書を提出している会社が存在する。こうした無駄を抱える中で、特に目立つのが、経理担当者が毎月の実績を個別に報告するケースだ。これは本来、経営計画書に集約されるべき情報であり、重複した報告作業を生む非効率な慣行である。

経理担当者は、日々会社の厳しい数字や資金繰りに直面しているため、どうしても「心配症」になりやすく、「臆病風」に吹かれがちだ。その結果、何とかして会社の現状を社長に伝えたいという思いから、毎月実績を報告することになる。その意図は尊重すべきだが、経理担当者は事業そのものを理解していないことが多いため、経理的な視点に偏った報告しかできないのが現実である。

その報告は必ず「断面データ」にすぎない。つまり、「先月の実績」だけを切り取ったものだ。そこに「対前月比」や「対前年比」といった数字が付記されているが、このようなデータは事業経営にはほとんど役立たない。経営には、数字の背景や将来への示唆を含む動態的な情報が必要であり、単なる断面データでは判断材料として不十分なのである。

数字は「断面」だけを見ても意味をなさない。必ず「傾向」として捉えるべきであり、さらに重要なのは、目標との対比によって初めて状況を正確に把握できるという点だ。数字そのものではなく、その動きや目標達成度を見てこそ、経営の判断材料となる。

「対前月比」という数字はほとんど意味を持たない。重要なのは「累計」や「年計」のデータであり、それらを目標と対比することこそが意味を持つ。経営判断において必要なのは、短期的な断面ではなく、長期的な傾向と進捗を把握する視点である。

「対前年比」という考え方は、競争社会の中では全く無意味だ。本当に重要なのは「対他社比」や「対業界比」であるべきだ。ともかく、経理部門が自主的にデータを提出する習慣はやめさせるべきであり、必要なデータは目標達成度や業界との比較を前提に経営計画に基づいて提供されるべきだ。

次に統計資料や分析資料についてだが、これも社長が許可したもの以外は一切作成させるべきではない。経営計画書があれば、それらの資料はほとんど不要である。必要なのはせいぜい「不良率」や「返品率」といった、事業の健全性を直接測るごく限られた指標だけだ。

統計資料や分析資料は、年に一度、社長が経営計画を立てる際に必要に応じて一度だけ作成させれば十分だ。それも、ごく限られた範囲のものだけで事足りる。頻繁に作成する必要はない。

私が経営計画の支援を行う際に活用する資料は、以下のようなものに限られる:

  1. 売上年計グラフ
  • 総売上高、商品別、得意先別、営業所別の売上を視覚化。
  1. 占有率分析表
  • 総売上高の地域別、商品別、得意先別の占有率を示す。
  • ランチェスター・グラフを用いて視覚的に分析。
  1. 売上高ABC分析表
  • 商品別および得意先別の売上高をABC分析で分類。
  1. 商品別または商品群別粗利益率一覧表
  • 粗利益率を商品別・商品群別に整理したデータ。
  1. 商品別賃率一覧表
  • 商品ごとの賃率を示す一覧表。

これだけで、経営計画を立案するうえで必要な情報は十分に揃う。

財務分析は、経営計画の一部として組み込まれるべきものであり、年に一度行えば十分である。もし期中で財務状況を分析したい場合は、利益計画の実績や目標バランスシートの期中データを活用して随時行えばよい。毎月定期的に行う必要はなく、必要に応じて実施する形で十分対応可能だ。

売上年計は、グラフで確認するのが最も分かりやすく、便利だ。このため、グラフの記入責任者をあらかじめ決めておき、毎月データを更新させればよい。ただし、年計グラフのコピーを関係者に配布することは避けるべきだ。必要があれば、関係者に直接閲覧させる形で十分である。

その理由は、年計グラフは毎月データを追加していくものであり、会社全体として一枚あれば十分だからだ。必要以上にコピーを配布するのは無駄である。また、占有率分析表、ランチェスター・グラフ、売上高ABC分析表、粗利益率一覧表、賃率一覧表といった資料は、年に一度作成すれば事足りる。状況によって必要であれば年に2〜3回作成する場合もあるが、それ以上の頻度は不要だ。

次にグラフについてだが、どの会社でも不要なグラフや、役には立つがなくても困らないグラフが多すぎる。その原因は、経営計画書がないために会社の実態を把握できず、何とか状況を理解しようとする努力が一つ。そしてもう一つは、「グラフ化は良いことだ」という固定観念に基づき、管理職や社員が無意味なグラフを乱立させることが合わさっているためだ。この結果、グラフが無駄に増え、本当に必要な情報が埋もれてしまう。

棒グラフ、線グラフ、円グラフ、パレートグラフ、Zチャート、レーダーチャート、さらには三角グラフと、さまざまな形式のグラフが賑やかに作られている。しかし、私の経験や多くの経営計画書を持つ社長たちの意見を総合すると、社長が実際に必要とするのは「各種年計グラフ」と「ランチェスター・グラフ」の二種類だけである。それ以外のグラフは不要であり、数字をそのまま「数表」として見るだけで十分だ。

さらに、数表だけで実態を把握できない社長や管理職では、そもそも論外である。このような観点から、不要なグラフを排除することも「最小限管理」を実現するうえで重要なポイントとなる。グラフに頼りすぎず、本質を捉える力が求められるのだ。

この節で繰り返し述べている「経営計画書があれば、あれもいらない、これもいらない」という主張は、実に重要なポイントだ。経営計画書は、必要な情報を一元化し、無駄な作業や資料を省くための基盤であり、それが整備されているだけで多くの非効率が解消される。これは経営の効率化に直結する本質的な課題である。

その「重要性」とは、単に最小限管理に役立つという理由ではない。経営計画書ほど、自社の実態を正確に把握できるものはない、という点にある。このことを私は特に強調したい。経営計画書は、経営の現状を正しく認識し、的確な意思決定を行うための不可欠なツールである。

経営計画書がもたらす効果は絶大だ。これによって、社長の抱える不安や迷い、悩みがどれほど解消されるか、そして将来の見通しがどれだけ明確になるかは計り知れない。さらに、経営計画書は社員の動機づけにも極めて有効であり、これ以上の手段は存在しないと言っても過言ではない。

このことは、経営計画書を作成した社長が、例外なく私に語ってくれる事実だ。ただし、ここで言う経営計画書とは「一倉式」のものを指しており、他の方式については私の関与するところではない。その効果と価値は、「一倉式」に基づく計画書に特有のものだと言える。

「最小限管理」とは、必要最小限の管理によって企業運営を効率化し、コストを削減する考え方です。管理の目的は、会社の業務を円滑に進めることですが、その管理にはコストがかかり、過剰な管理は不要な人員増や経費増を招きます。

管理人員の削減

管理部門は、往々にして人員が増えがちです。管理業務を合理化し、必要な人員を見直すことで無駄を省くことが重要です。例えば、ある建設会社では、総務部次長が三年かけて人員を半減させる目標を掲げ、部下に仕事の見直しと効率化を促しました。結果的に、余分な人員を削減することができました。このように、「何人まで減らすか」という具体的な目標を示し、各部門に自主的な改善を促す方法が効果的です。

管理のコストと成果のバランス

管理には費用がかかるため、その管理によって得られる成果が費用を上回ることが求められます。しかし、管理が目的化すると、必要以上に人員やリソースが割かれ、結果的に非効率になります。そのため、管理は「成果対費用」の観点で最小限に抑えるべきです。管理にかける費用がその効果を上回らないように、慎重な見極めが重要です。

最小限管理の実践方法

最小限管理を実現するためには、退職者の人数に合わせて新規採用を抑えるなど、自然な形での減員が有効です。こうした方法では、社員への負担が少なく、管理人員を徐々に削減できます。また、退職者の半数だけ新規採用する方針で、管理部門の人員を減らし、自然に人員配置のバランスを保つことも効果的です。

結論

最小限管理は、企業の生産性を高めるために重要な戦略です。企業経営では、管理コストを抑えつつ、必要な業務を円滑に進めるために、常に「最小限の管理」を心がけることが求められます。

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