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勝者の礼は、敗者への思いやりにあらわれる

―『貞観政要』巻一より

🧭 心得

勝利を誇るのではなく、かつての敵をも思いやること――それが真の王者の礼である。
蕭瑀が、戦功をたたえる舞楽に敵将の姿を生々しく描写したいと申し出たのに対し、太宗はこれを退けた。
それは、敗者の旧臣たちが朝廷に仕えている中で、かつての主君が辱められるような場面を見ることは、忠義を尽くした者たちの心を傷つけることになるからだと語った。
太宗のこの配慮には、敵を憎まず、人の心を重んじる深い度量がうかがえる。

🏛 出典と原文

貞觀七年、太常卿(たいじょうけい)蕭瑀(しょうう)奏言して曰(いわ)く:
「今『破陣楽舞(はじんがくぶ)』は天下の共に伝えるところなり。然(しか)れども、聖徳の美(び)を形容するに、なお未だ尽(つく)さざるところ有り。
陛下がかつて破(やぶ)られし劉武周(りゅうぶしゅう)・薛挙(せつきょ)・竇建徳(とうけんとく)・王世充(おうせいじゅう)らの形状を図(えが)き、攻戦(こうせん)奪取(だっしゅ)の様を楽舞に写(うつ)したく存じます」。

太宗曰:「当時、四方未定にして、天下を焚(や)き溺(おぼ)れるより救わんとし、やむなく戦伐(せんばつ)を行(おこな)えり。これにより、民間にこの舞曲(ぶきょく)あり、国家もこれに因(よ)りて制定せし。
されど、雅楽(ががく)の姿(すがた)は、あくまで梗概(こうがい)を述(の)ぶべきものなり。
詳(くわ)しく写(うつ)せば、状(じょう)明らかに識(し)るべし。
今、我が将相の中にも、かつて彼らに仕(つか)えし者多く、一日(いちじつ)と雖(いえど)も君臣の交(まじ)わりを持(も)ちたり。
もし、旧君が擒獲(きんかく)されし姿を重ねて見せられれば、心中に堪(た)えがたいものがあるであろう。
ゆえに、私は彼らを思い、これをなさぬのである」。

蕭瑀謝して曰、「このこと、まことに思慮の至らぬところにございました」。

🗣 現代語訳(要約)

蕭瑀は戦功を称える舞楽に、敵将たちを明確に描写することを提案したが、太宗は、敗者の旧臣たちの心情を配慮し、それは礼を欠く行為だとして却下した。太宗は、勝利の表現よりも人の情を重んじる姿勢を示した。

📘 注釈

  • 破陣楽舞(はじんがくぶ):戦勝を記念して創られた舞楽。
  • 梗概(こうがい):大筋・要点のみを示すこと。
  • 擒獲(きんかく):敵を捕えること。
  • 雅楽(ががく):儀礼や祭祀のために用いられる、節度ある古典音楽。
  • 一日君臣(いちじつくんしん):わずかな時間でも主従の関係があったこと。

🔗 パーマリンク案(英語スラッグ)

  • mercy-in-victory(主スラッグ)
  • 補足案:honor-the-defeated / no-glory-in-humiliation / empathy-over-exaltation
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