――師傅いかんが、君主の器を決める
太宗は、皇太子や親王の将来を案じ、補佐役=師傅の選定がいかに国家の安定に直結するかを強調した。
高潔な人物は自然と悪に染まらないが、中庸の知恵しか持たぬ者は、近くにいる人の影響を強く受けてしまう。
成王が賢人に囲まれて立派な聖君となった一方で、胡亥は趙高の影響で残虐な君主となり、秦は滅びた。
だからこそ、太宗は家臣たちに命じた――
「太子や親王に付ける師傅には、正直で忠義ある者を選べ。それぞれ数人ずつ推薦せよ」と。
これは、君主教育の核心である「人格は側近の質によって決まる」という思想の、極めて実践的な表れである。
引用とふりがな(代表)
「人の善悪は、近習(きんじゅう)によって決まる」
――そばにいる者の徳が、その人をつくる
「正直忠信(せいちょくちゅうしん)の者を訪(と)いて、各(おのおの)三・二人を挙(あ)ぐべし」
――義ある人物を見出し、推薦せよ
注釈(簡略)
- 上智(じょうち)・中智(ちゅうち):最も優れた知恵を持つ者と、平均的な知識しかない者の分類。中智は外的影響に左右されやすい。
- 胡亥(こがい):秦の二世皇帝。趙高の操り人形となり、暴政により短命に終わった。
- 趙高(ちょうこう):宦官出身の悪臣。胡亥の補佐を名目に権力を専横した。
- 式瞻礼度(しきせんれいど):礼儀や節度を尊び、それに従う態度。
以下は『貞観政要』巻一より、貞観八年における太宗の「太子と諸王への師傅任命」に関する発言について、標準構成に基づいて整理したものです。
『貞観政要』巻一:貞観八年 太宗の太子・諸王への師傅任命についての発言
1. 原文
貞觀八年、太宗謂侍臣曰、
「上智之人、自無染。但中智之人無恆、從風而變。況太子師保,古難其人。周成王幼小,周公・召公爲保傅。左右皆賢,日聞雅訓,足以長仁養德,使爲賢君。
秦之胡亥,用趙高作傅,專以刑法,敗其嗣位,誅功臣,殺親族,暴不已,旋踵而亡。故知人之善惡,在於所近。
今爲太子・諸王置正直忠信之師傅,令其式瞻禮度,有所裨益。公等可訪正直忠信者,各舉三兩人。」
2. 書き下し文
貞観八年、太宗が侍臣に語って言った。
「上智の人は、自ずから染まることはない。だが、中智の人は一定せず、周囲の影響によって変化しやすい。ましてや太子の師や保(傅)は、古来よりその人選が難しいものである。
周の成王は幼少であったが、周公や召公が保傅を務めた。左右に賢者がいて、日々雅訓を耳にし、仁を養い、徳を育て、立派な君主となった。
一方、秦の胡亥は趙高を傅とし、専ら刑法によって支配し、皇位の継承を破壊し、功臣を誅し、親族を殺し、暴虐を尽くしてまもなく滅んだ。
このことから、人の善悪は誰と近くにいるかによって決まると知ることができる。
今、太子や諸王に正直で忠信ある師傅を置いて、礼儀と規範の模範とし、人格形成に資するようにすべきである。
そなたたちは、正直かつ忠信なる者を探し、三人から二人ずつ推薦せよ。」
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ)
- 上等の知恵を持つ者は、周囲に流されることはない。
- だが中程度の者は一定せず、周囲に染まりやすい。
- 太子に仕える師傅は、昔から適任者を見つけるのが難しい。
- 周の成王は幼くして即位したが、周公と召公という賢者を師傅とした。
- そのため日々正しい教えを受け、仁徳を備えた良君に成長した。
- 逆に秦の胡亥は、趙高を傅としたため、悪の道に染まり、国を滅ぼした。
- 人の善悪は、誰と近くにいるかで決まる。
- したがって、太子や諸王の近くには正直で忠実な者を置くべきである。
- 君たちは、そのような者を三人か二人ずつ挙げなさい。
4. 用語解説
- 上智・中智:上級の知恵を持つ者と、平均的な知恵を持つ者。
- 師傅:皇太子や諸王に付き、教育・道徳を教える者。師は教養、傅は補佐の意。
- 胡亥:秦の二代皇帝。始皇帝の子。暴政と短命の象徴。
- 趙高:秦末期の奸臣。権力を専横し、秦の滅亡を早めた。
- 式瞻(しきせん):模範となること。
- 裨益(ひえき):助けとなり、利益となること。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
太宗は「上智の者は自らを律することができるが、普通の人は環境に流されやすい。だからこそ、太子や王子に仕える師傅は慎重に選ばなければならない」と説いた。成王が立派な君主になれたのは周公・召公という師傅のおかげであり、胡亥が国を滅ぼしたのは趙高の影響によるものだと例を挙げる。太宗はこの教訓から、「誰と共に過ごすか」が人格形成に決定的であるとし、正直で忠義ある人物を太子や諸王の教育係として推薦せよと命じた。
6. 解釈と現代的意義
この発言には、「人は環境によって善にも悪にもなる」という人間観と、「リーダー育成には指導者(メンター)が不可欠である」という教育哲学が現れている。
太宗の意識は単に王子たちの学問にとどまらず、**人格形成と政治的道義観の涵養(かんよう)**にあったといえる。太宗が魏徴ら側近に「正直で忠信なる人物を推薦せよ」と命じたことは、制度的教育と個別的選抜の併用という非常に現代的な人材育成の手法でもある。
7. ビジネスにおける解釈と適用
- リーダーの育成には優れたメンターが不可欠
→ 若手経営者・幹部候補に対し、適切なロールモデルを配置すべきである。 - 「誰と過ごすか」が人を変える
→ チーム編成や職場環境は、能力よりも人間性に大きく影響を与える。 - 中途半端な人ほど周囲の善悪に染まりやすい
→ 意志の弱い人材ほど、良き指導者の近くに置く必要がある。 - 人材の選抜には信頼と公正が必須
→ 推薦や指名においても、「忠信(誠実さと信頼性)」を最優先すべきである。
8. ビジネス用の心得タイトル
「近きを見て人を知る――育成は人を選び、人で育つ」
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