MENU

厳粛なる師の志は、太子をして頭(こうべ)を垂れさせる

――威儀と敬意が、人を導く

皇太子の補佐役であった李綱(りこう)は、足の病に悩まされながらも、師としての威厳と気概を失わなかった。
太宗は彼を深く尊重し、輿を賜って親衛軍に担がせ、皇太子自らに宮殿へ昇らせて拝礼させた。これほどの礼遇が示されたのは、李綱の人格と教養が群を抜いていたからである。

李綱は、皇太子に対して君臣の道・父子の礼を教え、行儀作法を丁寧に説いた。
その言葉は理にかない、話の筋道が明晰で、聞く者を飽きさせなかった。

ある日、太子が忠義の話を持ち出すと、李綱は厳しくも温かく応えた。
「六尺の孤に国を託すのは難事と言われるが、太子がこのようであれば、綱にとっては容易いことです」

発言のたびに、気迫に満ちて志がぶれず、皇太子ですら自然と背筋を正し、畏敬の念を抱いたという。


引用とふりがな(代表)

「託(たく)するに六尺(ろくせき)の孤(こ)、寄(よ)するに百里(ひゃくり)の命(めい)、古人(こじん)以(もっ)て難(かた)しと為(な)す。綱(こう)以(もっ)て易(やす)しと為す」
――真の師は、重責をも難事としない


注釈(簡略)

  • 李綱(りこう):隋末から唐初に活躍した名臣。皇太子・李建成の補佐役を務め、誠実な指導者として高く評価された。
  • 六尺の孤(ろくせきのこ):幼い皇子や皇帝を指す表現。身長六尺(約1メートル)という意。
  • 百里の命(ひゃくりのめい):一国を任される統治の重責を指す。
  • 懍然(りんぜん):威厳に満ちて厳粛な様子。
  • 慷慨(こうがい):気概あふれる感情や言葉。

以下は『貞観政要』巻一より、貞観三年 太子少師李綱と皇太子の交流について、これまで通りの構成で整理した内容です。


目次

『貞観政要』巻一:貞観三年 太子少師李綱の教育と皇太子の敬意

1. 原文

貞觀三年、太子少師李綱、有脚疾、不堪踐履。太宗賜步輿、令三衞舉入東宮、詔皇太子引上殿、親拜之、大見崇重。綱爲太子陳君臣父子之義、問寢視膳之方。理順辭直、聽者不倦。
太子嘗商略古來君臣名節、竭忠盡節之事。綱懍然曰「託六尺之孤、寄百里之命、古人以爲難。綱以爲易」。
每吐論發言、皆辭色慷慨、有不可奪之志、太子未嘗不聳然禮敬。


2. 書き下し文

貞観三年、太子少師(たいししょうし)の李綱(りこう)は脚の病を患い、歩行が困難であった。太宗はこれを聞いて、歩輿(ほよ:かご)を賜い、三衛(近衛の兵)に命じて東宮(皇太子の宮殿)に輿を担がせて送り届けた。
また、皇太子に詔を下し、李綱を上殿に迎えて、みずから拝礼させ、極めて重んじた。

李綱は皇太子に対して、君臣・父子の関係、また寝所や食事を気遣う礼儀について教えた。その言葉は筋道が通り、語り口はまっすぐで、聞く者は飽きることがなかった。

ある時、皇太子が古来の忠臣や義士の事績について論じた際、李綱は厳然として言った。
「六尺の孤(幼い君主)を託され、百里の政(地方の政務)を任されることは、古人は難しいと言ったが、私はそれほど難しいとは思いません」と。

彼の発言や意見はいつも辞(ことば)も色(表情)も慷慨(こうがい)とし、決して奪うことのできない節義を持っていたため、皇太子はいつも尊敬の念を持って接していた。


3. 現代語訳(逐語)

  • 李綱は足が悪く歩けなかったため、太宗が輿を贈り、衛兵に担がせて皇太子のもとへ送った。
  • 皇太子は自ら彼を迎えて拝礼し、極めて尊重した。
  • 李綱は太子に対して、君臣や父子の義、日常における礼儀を諄々と説いた。
  • その教えは筋が通り、率直で聞く者を飽きさせなかった。
  • 皇太子が歴代の忠義の士について議論した時、李綱は「それは困難ではない」と断言した。
  • 李綱の言動は常に誠実で力強く、皇太子も尊敬していた。

4. 用語解説

  • 太子少師:皇太子の教育係で、太子三師(太師・太傅・太保)に準ずる重職。
  • 歩輿(ほよ):歩けない人を乗せて運ぶための輿(こしかけ)。
  • 三衛:宮廷を護る近衛兵部隊。
  • 六尺の孤:背丈六尺の幼い君主、すなわち年若い皇子を意味する。
  • 百里の命:一地方(百里四方)の政務を担う任務のこと。転じて重要な政治的任務。
  • 慷慨(こうがい):義憤に駆られて熱く語ること。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

貞観三年、太子の教育係である李綱は脚を患っていたが、太宗はその徳と職務を尊び、輿を与えて護衛により太子の元に運ばせた。皇太子はこれを迎え、上殿して直に拝礼するなど極めて重んじた。李綱は太子に対して、君臣や親子のあるべき関係や日常生活の礼儀を理にかなった言葉で説き、聞く者を惹きつけた。あるとき、忠臣の話題に及ぶと、「幼君を補佐し、政務を担うのは難しくない」と毅然と答え、信念を貫いた。その姿勢に太子は常に深い敬意を抱いていた。


6. 解釈と現代的意義

本章は、「真の教育とは、教える者の信念と実行力に裏打ちされたものである」ことを示しています。李綱は病を抱えながらも教育を怠らず、理と義をもって太子を導きました。これは現代のリーダー育成においても通じるものであり、形式よりも「人格による教導」がいかに強い影響を与えるかを物語っています。

また、太宗・皇太子ともに李綱の節義と知見を深く敬い、制度以上に「人を敬う姿勢」がいかに重要かが描かれています。


7. ビジネスにおける解釈と適用

  • 信念ある教育者は組織文化を変える力がある
     → 経営幹部や後継者育成において、経験と志を持つ「師」の存在が極めて重要。
  • 形よりも人格。形式的な育成より実のある対話を重視せよ
     → 礼儀や知識よりも、誠実で筋の通った教育・指導が人を育てる。
  • 敬意は形式ではなく行動で示す
     → 李綱を迎える太子の姿勢は、リーダーシップの模範とも言える。人を敬うことは尊敬を育む土壌。

8. ビジネス用の心得タイトル

「人を育てるは信と志 ― 敬意は人格に宿る」



よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次