あるとき、孔子が「東方の九夷(きゅうい)——いわゆる文化的に遅れているとされた辺境の地に住んでみたい」と語った。
それを聞いた誰かが、驚いてこう問いかけた。
「あんな野蛮で下品な場所に、どうして住もうとなさるのですか?」
すると孔子は、揺るぎなくこう答えた。
「君子が住めば、どんな場所でも善くなる。だから問題はないのだ」
この一言には、環境によって自分が変わるのではなく、自分によって環境を良くしていくという、君子の積極的な在り方が凝縮されている。
つまり、「どこに住むか」よりも、「どう生きるか」「どう関わるか」が大切なのだ。
場所が荒れているからといって、自分まで荒んでよい理由にはならない。
徳ある人は、どこにいてもその徳をもって周囲を照らす——それが、孔子の信念だった。
原文(ふりがな付き)
「子(し)、九夷(きゅうい)に居(お)らんと欲(ほっ)す。或(ある)ひと曰(いわ)く、陋(いや)し、之(これ)を如何(いかん)せん。子(し)曰(いわ)く、君子(くんし)之(これ)に居(お)らば、何(なん)の陋(いや)しきことか之(これ)に有(あ)らん。」
注釈
- 九夷(きゅうい)…古代中国から見た東方の「未開の地」とされた地域。文化的に遅れていると見なされていたが、孔子は偏見を持たなかった。
- 陋(いや)し…粗野で下品なこと。文化や礼のない様子。
- 君子(くんし)…高い徳と品性を備えた人物。環境に流されず、むしろ周囲を変えていく存在
原文:
子欲居九夷。或曰、陋如之何。子曰、君子居之、何陋之有。
書き下し文:
子(し)、九夷(きゅうい)に居(お)らんと欲(ほっ)す。
或(ある)ひと曰(いわ)く、陋(ろう)なり、之(これ)を如何(いかん)せん。
子曰く、君子(くんし)之に居(お)らば、何(なん)の陋(ろう)なることか之に有(あ)らん。
現代語訳(逐語/一文ずつ訳):
- 子、九夷に居らんと欲す。
→ 孔子は「私は九夷に住みたい」と言った。 - 或る人曰く、陋なる、之を如何せん。
→ ある人が言った。「そこは田舎で粗末な地だが、本当に住むのですか?」 - 子曰く、君子之に居らば、何の陋なることか之に有らん。
→ 孔子は答えた。「君子(人格者)がそこに住んでいるなら、どうして“陋しい(みすぼらしい)”と言えるだろうか。」
用語解説:
- 九夷(きゅうい):中国の東方に住む異民族を指す。文化的には「未開の地」と見なされていた。
- 陋(ろう):粗末・卑しい・文化的に劣っているとされること。都市中心の価値観における差別的な表現。
- 君子(くんし):徳を備えた高潔な人、人格者。儒家が理想とする人物像。
全体の現代語訳(まとめ):
孔子はこう言った:「私は九夷に住んでもよいと思っている。」
するとある人が言った:「あんな田舎で文化も粗末なところに住むなんて、どうなんですか?」
孔子は答えた:「もし君子(徳ある人物)がそこに住むなら、その地はもはや陋しいとは言えない。」
解釈と現代的意義:
この章句は、環境や外見ではなく“中身=人”が場の価値を決めるという、孔子の価値観を明確に示しています。
- 社会的に“田舎”と見なされる地域でも、徳のある人がいれば、そこは尊い場所となる。
- 真に大切なのは “どこにいるか”ではなく“どう生きるか” である。
- 孔子は、文化や地理的中心にこだわることなく、価値を自らの徳によって創造する覚悟を持っていました。
ビジネスにおける解釈と適用:
1. 「場の価値は、そこにいる人が決める」
- 地方や過疎地、古びた部署、マイナー業界であっても、そこに高い理念や志を持った人がいれば「価値ある場所」になる。
- 起業や支店展開においても、人材こそがブランドそのものである。
2. 「場所や肩書きに依存しない自律的価値創出」
- 「どこで働いているか」「何をしているか」よりも、「どのように在るか」が信頼と成果の源。
- 孔子のように「環境に価値を与える人間」になることが、リーダーの本質。
3. “みすぼらしさ”を変えるのは“徳ある者の振る舞い”
- 小さな会社、スタートアップ、苦境のプロジェクトなども、君子のような振る舞いがあれば変革の起点となる。
- 高潔なリーダーシップが、周囲の目を変え、環境そのものを変える。
ビジネス用心得タイトル:
「場の価値は“人”が決める──君子たれば、陋しき地なし」
この章句は、拠点戦略・地方創生・企業文化形成・リーダー教育などに大きなヒントを与えてくれます。
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