貞観六年、太宗は陳叔達に礼部尚書の官職を授けるにあたり、かつての忠言への感謝を述べた。
「武徳年間、兄弟たちが私を排斥しようとしたとき、そなたは高祖に進言し、私の功績を認め、排除すべきではないと説いてくれた。
私の性格が剛烈であることから、無理に抑えれば怒りが病を招くとも忠告してくれた。
今回の任官は、その忠義に報いるものだ」と語った。
これに対し、陳叔達は謙虚にして明快に答えた。
「私は、隋の皇族が互いに争い、ついには滅亡に至った前例を見ていました。
その轍(てつ)を再び踏むことがあってはならぬと考え、誠意をもって高祖に諫めたのです」
太宗はこれを聞いて深く感銘を受け、
「そなたは、私個人のためにではなく、国家のために忠言を尽くしてくれたのだ」と言い、国家の安寧と未来を見据えた忠義の本質を見抜いた。
このやり取りは、忠義とは特定の人物への私的な忠誠にとどまらず、国と民を思う公的な精神に基づくべきという太宗の政治哲学を明確に示している。
引用(ふりがな付き)
「公(こう)を賞(しょう)するは忠謇(ちゅうけん)にあり。此(これ)に授(さず)く有(あ)り」
「隋氏(ずいし)は父子(ふし)自(みずか)ら相(あい)誅戮(ちゅうりく)して、以(もっ)て滅(ほろ)びたり。
どうして目(もく)に車(くるま)を見て、轍(わだち)を改(あらた)めざるを容(い)れんや」
「知(し)る、公(こう)は独(ひと)り一人のために非(あら)ず、実(じつ)に社稷(しゃしょく)のためなり」
注釈
- 陳叔達(ちん・しゅくだつ):南朝陳の皇族出身。文才と政治力に優れ、隋から唐にかけて高官を歴任した。
- 礼部尚書(れいぶしょうしょ):儀礼・科挙・祭祀・外交などを管掌する中央官庁の長官。
- 社稷(しゃしょく):国家を象徴する語。社は土地神、稷は穀物神。転じて「国そのもの」の意。
- 轍(てつ):車輪の跡。転じて「前例・過ち」を意味し、「前人の誤りを繰り返すこと」を戒める表現。
パーマリンク(英語スラッグ)
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「忠義は国家のために尽くすもの」という章の核心を明確に伝えるスラッグです。
代案として、advice-for-the-realm
(国を思う諫言)、beyond-personal-loyalty
(私情を超えた忠義)などもご提案可能です。
この章は、「忠義」という言葉に込められた公的責任と倫理の重さを改めて教えてくれる内容です。
陳叔達の進言は、兄弟の争いを越え、王朝の命運を左右する判断を促した。そこにあるのは「個人への忠」ではなく、「国と歴史への責任」でした。
以下は『貞観政要』巻一、貞観六年における、陳叔達に関する記述の整理です。以下の構成で詳しく解説します。
貞観政要 巻一「陳叔達への礼遇と直諫の評価」
1. 原文
貞觀六年、授左光祿大夫陳叔達禮部尚書、因謂曰、「武德中、公曾直言於太上皇、明朕有克定大功、不可黜退云。公本性剛烈、若有抑挫、終不勝憂憤、以致疾斃之危。今賞公忠謇、有此授」。
叔達對曰、「臣以隋氏父子自相誅戮、以致滅亡。豈容目覩覆車、不改前轍。臣願竭誠極諫」。
太宗曰、「朕知公非獨爲一家計、實爲社稷之謀」。
2. 書き下し文
貞観六年、左光祿大夫・陳叔達に禮部尚書を授く。因りて謂(い)ひて曰はく、「武德の中、公、曾て太上皇に直言し、朕に克定(こくてい)の大功あるを明かし、退けるべからずと云へり。公は本性剛烈にして、もし抑挫あれば、終(つい)に憂憤に勝へず、疾斃の危(あやう)きに至らん。今、公の忠謇(ちゅうけん)を賞して、此の授け有り」。
叔達對(こた)へて曰はく、「臣、隋氏父子、相誅戮して滅亡に致れるを以て、豈に覆車を目にして、前轍を改めざらんや。臣、願はくは誠を竭(つ)くし、極諫(きょくかん)を致さん」。
太宗曰はく、「朕、公の謀(はか)らんとするは、一家の計にあらずして、まさに社稷のためなりと知る」。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 貞観6年、陳叔達に左光禄大夫・礼部尚書の官を授けた。
- 太宗は彼に対してこう語った。「あなたは武徳年間、太上皇に対し、私(李世民)には天下を平定した大きな功績があるとして、退けてはならぬと直言した。
- あなたの本性は剛烈であり、もし不当に抑えつけられれば、憤りに耐えきれず、病に倒れて命を失うような危険もあった。
- 今、あなたの忠義と正直さを評価して、この地位を授けるものである」。
- 陳叔達は答えて言った。「私は、隋の滅亡が父子の骨肉相食む誅殺によるものであったことを見ております。
- 転覆した車を見ながら同じ轍(てつ)を踏まぬよう、誠心を尽くして諫言してまいります」。
- 太宗は言った。「私は、あなたが一族のためではなく、国家全体のために考えていることを理解している」。
4. 用語解説
- 光禄大夫:高位の文官に与えられる名誉的な称号。
- 礼部尚書:儀礼・教育などを司る重要な官職。
- 克定大功:乱世を平定し、国家を安定させた大きな功績。
- 忠謇(ちゅうけん):忠義で正直なこと。
- 覆車の戒め(覆車不改前轍):過去の失敗から学ばず同じ過ちを繰り返すことの愚かさを戒める成語。
- 社稷(しゃしょく):国家。国家の安定・命運のことを象徴する語。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
貞観六年、太宗は陳叔達に高位である左光禄大夫と礼部尚書を授けた。これは、かつて太上皇に対して李世民の功績を認め、退けるべきでないと直言した忠義に報いるものであった。太宗は、彼の剛直な性格が抑圧されれば身を損ねかねないと憂慮し、今こそその誠実さに報いる時であると述べた。陳叔達はこれに応えて、隋の滅亡が父子の不和と誅殺によるものだったことを教訓に、誠を尽くして正道を諫めていくと誓った。太宗は彼の心が私情ではなく、国家全体のためのものであると高く評価した。
6. 解釈と現代的意義
この対話は、直言を厭わぬ忠臣への敬意と、トップのあるべき器量を示しています。権力に近い者が諫言するのは難しいが、あえてそれを貫いた陳叔達の姿勢が、太宗の信任と栄誉につながりました。また、為政者の側がその忠誠と正義を理解し、それに応える態度をとった点にも、理想的な君臣関係が見えます。
7. ビジネスにおける解釈と適用
- 進言を受け入れるリーダーの姿勢:部下の進言を評価し、過去の忠誠を忘れずに報いることは、信頼と組織の風通しのよさを生む。
- 過去の失敗を繰り返さない教訓化:失敗例(覆車)を直視し、同じ轍を踏まない姿勢は、事業戦略・マネジメントにも重要。
- 公(パブリック)志向の判断基準:私利私欲でなく、組織全体のために行動する人物の価値を認める文化形成が、企業の健全な発展に寄与する。
8. ビジネス用の心得タイトル
「誠を尽くし、忠を讜(ただ)す ― 公のための進言が組織を救う」
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