孟子は続けて、景公が晏子の進言をどう受け止めたかを語る。
斉の景公は、晏子の忠告に心から感銘を受け、非常に喜んだ。
そしてすぐに大規模な仁政の布告を出し、自ら郊外に出て民の暮らしぶりを視察するなど、具体的な行動に移した。
その際、彼は初めて:
- 民政を奨励し(興発)、
- 米倉を開いて、民の食糧不足を補い、
- 音楽の長官(大師)を呼び寄せて、「君臣がともに喜び合うこと」を主題とする楽曲をつくらせた。
その時に生まれた曲が「徴招(ちょうしょう)」「角招(かくしょう)」と呼ばれるものである。
その歌詞の中に、次のような一節がある:
「君に諫言したのは、君を心から思ったからだ。
だからこそ君臣は一体となって喜び合うべきものであり、どうして責めたり憎んだりする理由があるだろうか」
孟子はこれをもって説く:
諫言とは、君を愛する心から出た真の忠誠である。
責めるためのものではなく、共に道を正し、共に喜ぶためのものなのだ。
ふりがな付き原文と現代語訳
「景公(けいこう)説(よろこ)び、大(おお)いに国(くに)を戒(いまし)めて、出(い)でて郊(こう)に舎(やど)す。是(ここ)に於(お)いて始(はじ)めて興発(こうはつ)し、足(た)らざるを補(おぎな)う。
大師(たいし)を召(め)して曰(い)わく、『我(われ)が為(ため)に、君臣(くんしん)相(あい)説(よろこ)ぶの楽(がく)を作(つく)れ』と。
蓋(けだ)し徴招(ちょうしょう)・角招(かくしょう)是(こ)れなり。其(そ)の詩(し)に曰(い)く、
『君(きみ)を畜(いさ)めるを何(なに)ぞ尤(とが)めんや。君を畜める者(もの)は、君を好(この)むなり』と」
現代語訳:
景公は(晏子の進言を)喜び、大々的に仁政の布告を出した。自ら郊外に出向いて民情を視察し、そこではじめて民政を奨励し、米倉を開いて民の不足を補った。
そして音楽の長官を召してこう命じた。
「私のために、君臣が互いに喜び合うことを主題とした音楽を作ってほしい」と。
このとき生まれたのが、「徴招」「角招」という楽曲である。
その歌の中に、こんな一節がある:
「君に諫言したことを、どうして責めることなどあろうか。
諫言したのは、君を心から愛しているからなのだ」
注釈
- 説び(よろこび)…喜ぶこと。王が忠言を受け入れて喜ぶさま。
- 戒む(いましむ)…国中に仁政の方針を示すこと。命令・布告の意。
- 興発(こうはつ)…政治的改革を始動すること。
- 大師(たいし)…音楽の長官。国家儀礼や宮廷音楽を司る高官。
- 徴招・角招…当時実際に作られたとされる音楽名。内容は忠臣と君主の喜びの共有。
- 畜むる(いさめる)…君に諫言する。止める、諭すの意。ここでは忠誠心からの進言。
- 「君を畜むる者は君を好むなり」…真に君を思えばこそ、苦言を呈するという意味。
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この章は、忠臣の諫言を受け止めてこそ王の徳が高まるという孟子の信念を象徴しています。
またその背景には、「諫言は対立ではなく、共に喜ぶための橋渡しである」という、深い信頼と愛情があることを教えてくれます。
この理念は、日本の武士道にも受け継がれ、忠臣が主君を戒めることは“命を懸けた愛”であるという価値観にまで昇華されました。
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