貞観九年、蕭瑀(しょうう)は尚書左僕射(政府の副長官)に任じられていた。
ある日、宴席で太宗は房玄齢に対して語った。
「武徳六年以降、父の高祖は、私の兄(皇太子・建成)を廃しようとしていた。
そのころ私は兄弟から憎まれており、たとえ大きな功績を挙げても、それが認められない危惧があった。
そんな不安定な政治状況においても、蕭瑀は利に惑わされず、刑罰を恐れず、正道を貫いた。
まさに天下国家を支える忠臣である」
この言葉とともに、太宗は蕭瑀に詩を贈った。
「疾風(しっぷう)に勁草(けいそう)を知り
板蕩(はんとう)に誠臣(せいしん)を識る」
すなわち、強風が吹いたときにこそ根強い草がわかり、乱世の混乱に際してこそ誠の臣下が誰かが見える――という意味である。
蕭瑀はこれを拝受し、深く感激して答えた。
「このようなお言葉をいただき、忠誠を認められたことで、たとえ命を終えようとも、魂は生き続けるものと存じます」
引用(ふりがな付き)
「疾風(しっぷう)に勁草(けいそう)を知(し)り、板蕩(はんとう)に誠臣(せいしん)を識(し)る」
「誡訓(かいくん)を蒙(こうむ)り、忠諒(ちゅうりょう)を許(ゆる)さる。死(し)するの日(ひ)といえども、生(せい)ける年(とし)なり」
注釈
- 蕭瑀(しょう・う):南朝・陳の皇族出身。唐では文官として活躍し、剛直・忠義の臣として知られる。
- 尚書左僕射(しょうしょ さぼくや):尚書省の最高官の一人。政府運営の実務を担う中枢役職。
- 武徳六年(ぶとくろくねん):西暦623年。李建成と李世民の確執が頂点に達しつつあった時期。
- 疾風知勁草(しっぷう けいそうを しる):乱れた環境において真価が試されるという意味の成語。
- 板蕩(はんとう):政治や社会が混乱し、国家の基盤が揺らいでいる状態。
パーマリンク(英語スラッグ)
loyalty-in-times-of-turmoil
「混乱の時にこそ忠義が光る」という核心を表現したスラッグです。
代案として、true-loyalty-is-tested-in-storms
(真の忠義は嵐の中で試される)、unswayed-by-fear-or-gain
(利にも刑にも動じない)などもご提案可能です。
この章は、「忠義とは平時の美徳ではなく、むしろ混乱や危機の中でこそ発揮されるものだ」という太宗の信念を明確に示しています。
蕭瑀のように、権力の風向きに惑わされず、誠をもって国家と主君に仕えた臣こそが、後世に名を残すのだという姿勢が強調されています。
以下は『貞観政要』巻一より、貞観九年・蕭瑀に関する章句の整理と注釈です。
貞観政要 巻一「蕭瑀を讃えた太宗の詩」
1. 原文(復元)
貞観九年、蕭瑀、尚書左僕射と為る。
嘗て宴集の際、太宗、房玄齡に謂いて曰く、
「武徳六年以後、太上皇に廃立の心有り、我れこの日に当たりて、兄弟の情を以て容せず、実に功高くして賞されざるの懼れあり。
蕭瑀は厚利を以て誘うべからず、刑戮を以て懼るべからず。真の社稷の臣なり」。
乃ち詩を賜うて曰く、
「疾風に勁草を知り、板蕩に忠臣を識る」。
瑀、拝謝して曰く、
「臣、特に誡訓を蒙り、臣をして忠諒を許されしむ。死の日といえども、生の年とするがごとし」。
2. 書き下し文
貞観九年、蕭瑀、尚書左僕射と為る。
宴集に因り、太宗、玄齡に謂いて曰く、
「武徳六年以後、太上皇に廃立の心あり。我この日に当たりて、兄弟を以て容さず、実に功高くして賞無きことを懼る。
蕭瑀は厚利を以て誘うべからず、刑戮を以て懼るべからず。真に社稷の臣なり」。
すなわち詩を賜うて曰く、
「疾風に勁草を知り、板蕩に忠臣を識る」。
蕭瑀、拝して謝し、曰く、
「臣、誡訓を特に蒙り、忠諒の者として許されしこと、死の日といえども、生の年に等し」。
3. 現代語訳(逐語)
- 貞観9年、蕭瑀は尚書左僕射に任命された。
- 宴の席で、太宗は房玄齡に言った。
- 「武徳6年以降、太上皇には廃嫡を考えるような気持ちがあり、私はその状況に直面し、兄弟間の情をもって甘くすることはしなかった。
- そのため、自分の功績があまりに大きく、かえって賞されないことを恐れたことすらある。
- だが、蕭瑀という人物は、金銭によって動かされず、刑罰によっても屈しない。まさに国家の柱石たる忠臣である」と。
- そして彼に詩を贈った。
「疾風に勁草を知り、板蕩に忠臣を識る」(強風が吹いてこそ草の強さが分かり、乱世にあってこそ忠臣の真価が明らかになる)
- 蕭瑀は拝して答えた。
- 「このようなご訓戒を賜り、私を忠実誠実な人間として認めてくださったことは、たとえ今死んでも、生きる価値を得たように思えます」
4. 用語解説
用語 | 意味 |
---|---|
尚書左僕射 | 中央行政を統括する高官。現代でいえば「副首相」や「官房長官」に相当。 |
武徳六年 | 唐の太宗がまだ皇太子であった頃。兄弟間での皇位継承争いがあった時期。 |
社稷の臣 | 国家を支える忠臣のこと。「社(神)」と「稷(農神)」を守る人=国家の柱。 |
疾風勁草 | 強風が吹いてこそ、草の強さが分かる。すなわち、困難な状況にあってこそ人の真価が問われる。 |
5. 解釈と現代的意義
この章句は、「忠臣を讃える太宗の言葉」として非常に有名な一節です。蕭瑀は、皇帝の信頼を受けて高位にありながら、決しておごらず、金や地位にもなびかず、国家と正義のために進言を辞さなかった忠臣でした。
太宗が示した「疾風知勁草、板蕩識忠臣」の詩句は、困難な時期にこそ真の価値ある人間が明らかになるという、人事・組織運営における普遍的な真理を表しています。
6. ビジネスにおける解釈と適用
項目 | 解釈 |
---|---|
評価は逆境で決まる | 危機の際に冷静・誠実に行動できる人こそ、本当に信頼すべき人材である。 |
報酬では動かない忠誠心 | 組織の中で「理念」「使命」で動く人材は、組織の中核を担うべき存在である。 |
リーダーの賞賛が力になる | 言葉による評価・信任の明示は、部下の忠誠心と自信を高める。 |
7. ビジネス用の心得タイトル
「逆境にこそ真価が出る ― 勁草たる者を見抜け」
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