貞観元年、太宗・李世民はある日の談話で、隋末の義士・姚思廉について語った。
「白刃に臨んでも怯まず、忠節を示した彼の気骨は、古人にも劣らぬ」と感嘆した太宗は、遠く洛陽にいた思廉へ、絹三百疋を贈り、その忠義への敬意を伝えた。
その忠義のいきさつとは、唐の高祖・李淵が長安に入城したときにさかのぼる。
当時、姚思廉は隋の代王・楊侑に仕え、講書の役を担っていた。宮中が混乱する中、多くの臣下は逃げ去ったが、思廉だけは王の側を離れなかった。
唐の兵士が宮殿に上がろうとしたその時、思廉は一喝した。
「唐公が義兵を挙げたのは、王室を正すためである。ならば代王に無礼な振る舞いはするな!」
その気迫に圧された兵士たちは、階段下に退き整列した。
これを聞いた李淵は、「義士である」と彼を称え、代王を護送することを許した。思廉は涙ながらに拝礼し、王のもとを後にした――その姿に、周囲の者は皆、心打たれたという。
引用(ふりがな付き)
「姚思廉(ようしれん)は兵刃(へいじん)を懼(おそ)れず、大節(たいせつ)を明(あき)らかにす」
「仁者(じんしゃ)は必(かなら)ず勇(ゆう)あり。勇者(ゆうしゃ)は必ずしも仁(じん)あらず」
注釈
- 姚思廉(よう・しれん):南北朝から隋・唐に仕えた文人。忠義に厚く、歴史編纂にも携わった。
- 代王楊侑(だいおう・ようゆう):隋の末期に擁立された形式上の最後の皇帝。実権は唐に移る直前の象徴的存在。
- 順陽門(じゅんようもん):長安城の門のひとつ。王族や高官の出入りに使われた要所。
- 義兵(ぎへい):正義のために挙兵した軍。李淵が掲げたスローガン。
- 仁勇一致(じんゆういっち):孔子の「仁者必勇」の思想に基づく。「仁」と「勇」の両立が真の忠義の基準とされる。
パーマリンク(英語スラッグ)
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「恐れを超えた忠義」――姚思廉の精神力と忠義を表したスラッグです。
代案として、righteous-in-the-face-of-blades
(刃に向かっても正道を守る)、virtue-with-courage
(仁にして勇あり)などもご提案可能です。
この章は、「真の忠義は、生死を分かつ場面でこそ試される」という古典的な理念を見事に体現しています。
また、太宗のように敵味方を問わず忠義を尊ぶ姿勢が、徳治政治の真価をさらに際立たせています。
以下は『貞観政要』巻一に記された、姚思廉(よう・しれん)の忠義に関する記述の整理です。
『貞観政要』巻一「姚思廉の忠節と太宗の賞賛」
1. 原文
貞觀元年、太宗嘗從容言隋末之事、慨然歎曰、「姚思廉不懼兵鋒、以明大節。求諸古人、亦何以加也」。思廉時在洛陽、因寄物三百段、幷附其書曰、「想卿忠節之風、故有斯贈」。
初、大業末、思廉爲隋代王侑侍讀。及義旗尅京城時、代王府僚多駭散、惟思廉侍王、不離其側。兵士將昇殿、思廉厲聲謂曰、「公舉義兵、本匡王室、卿等不宜無禮於王」。衆愧其言、於是稍却、布列階下。須臾、高祖至、聞而義之、許其扶代王侑至順陽閤下。思廉泣拜而去。見者咸歎曰、「忠烈之士、仁者有勇、此之謂乎」。
2. 書き下し文
貞観元年、太宗嘗(かつ)て從容として隋末の事を語り、慨然として歎じて曰く、「姚思廉、兵鋒を懼れず、大節を明らかにす。これを古人に求むるも、何を以てか加えんや」と。思廉、時に洛陽に在り。因りて物三百段を寄せ、あわせてその書を附し、曰く、「卿の忠節の風を想う。故にこの贈り有り」と。
初め、大業の末、思廉は隋の代王侑に侍読として仕えたり。義旗、京城を克つに及び、代王の府僚多く駭散す。惟だ思廉のみ王に侍し、その側を離れず。兵士、まさに殿に昇らんとす。思廉、厲声して謂いて曰く、「公は義兵を挙ぐ。本は王室を匡すためなり。卿等、王に無礼あるべからず」と。衆、その言に愧じて、於是稍(やや)却り、階下に布列す。須臾にして高祖至り、その義を聞きて之を賞し、代王侑を扶けて順陽閤の下に至らしむるを許す。思廉、泣きて拝して去る。見る者、みな歎じて曰く、「忠烈の士、仁者は勇有り、これを謂うなり」と。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ)
- 貞観元年、太宗はある時、ゆったりとした場で隋の末期のことを語り、しみじみと感嘆して言った。
- 「姚思廉は敵兵を恐れず、大義を守った。その節義は古人に比しても勝るほどだ」と。
- 当時、姚思廉は洛陽にいたので、太宗は物資三百段を贈り、「あなたの忠義の心を慕っている。そのためこの贈り物を送る」と書き添えた。
- そもそも姚思廉は、隋の代王・侑の侍読(文を読む側近)であった。
- 義旗(李淵が挙兵した軍)が都・長安を攻略した際、王の側近たちは恐れて逃げ去った。
- ただ姚思廉だけが代王侑の側にとどまり、離れようとしなかった。
- 兵士たちが殿内に突入しようとしたとき、姚思廉は大声で彼らを叱りつけた。
- 「あなたがたは義兵を掲げて王室を正すために来たはず。王に無礼な振る舞いをしてはならない」と言った。
- 兵士たちはその言葉に恥じ入り、少し後退して階段の下に整列した。
- まもなく高祖(李淵)が到着し、その話を聞いて姚思廉の義心を賞賛した。
- 代王侑を順陽閤に連れて行くことを許し、姚思廉は涙ながらに拝してその場を去った。
- この光景を見た人々は皆、「これぞ忠義の士。仁者には真の勇気がある」と感嘆した。
4. 用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
姚思廉 | 隋末〜唐初の文人。忠臣として名を残す。『梁書』『陳書』などの撰者でもある。 |
義旗 | 李淵が挙兵して隋に反抗した軍。後に唐朝を建てる。 |
代王侑(だいおう ゆう) | 隋の皇族で、形式的に最後の皇帝となった人物(隋恭帝)。 |
順陽閤 | 長安の離宮の一つ。戦乱の際の避難所的な意味で登場する。 |
侍読 | 皇族に読書を補助する学者的側近。 |
5. 全体の現代語訳(まとめ)
唐の太宗は、隋の忠臣・姚思廉の節義を思い出し、深く感嘆した。姚思廉は隋の末期、代王侑に仕えていたが、都が陥落する際も王の側を離れず、敵兵にも礼節を持つよう毅然と振る舞った。この忠節ある行動により、敵軍も彼の言葉に従い、王を守った。太宗はこの行為を賞賛し、物資を贈ってその忠義をねぎらった。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、「逆境における真の忠義」と「礼を尽くす姿勢の力」を教えてくれます。
- 忠義は逆境でこそ真価を発揮する:姚思廉は敗戦という状況下でも逃げずに主君を守り、その姿勢が敵軍の礼を引き出しました。
- 信念と勇気の言葉が状況を変える:彼の一喝によって兵士たちの行動が変わり、混乱が収まったのは、誠実な人格があったからこそ。
- 為政者が忠義を賞賛する姿勢が、国家の価値観を育てる:太宗がこの行動を公に賞賛したことで、忠義の価値は国の規範になりました。
7. ビジネスにおける解釈と適用
- 組織の危機でも信念を貫く人材は極めて貴重:困難時に逃げず、顧客や会社のために誠実に行動する社員は企業の宝です。
- 状況に流されず、正しい行動を主張できる人が組織文化を変える:リーダーや中核人材は、周囲に迎合せず倫理を守る勇気が求められます。
- 上司の「見守り」と「賞賛」が忠義を育てる:トップがその姿勢を正当に評価し、感謝を伝えることで、組織全体に誠実さが根付きます。
8. ビジネス用心得タイトル
「逆境にて真価を示せ――忠義を貫く人こそ組織の支柱なり」
このように『貞観政要』における忠義の逸話は、現代のリーダーシップや人材育成にも深い示唆を与えてくれます。
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