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忠義は生者のためだけにあらず、死者を悼む礼にもあらわれる

貞観二年、玄武門の変で命を落とした太宗の兄・李建成(息隠王)と弟・李元吉(海陵王)の葬儀が行われることとなった。
そのとき、かつて建成に仕えていた魏徴と王珪が、葬儀への参列を願い出た。

二人はかつて皇太子に忠誠を尽くし、朝廷に仕えていた旧臣であったが、建成の死後、罪を問われることなく、太宗の朝廷に再び登用された。
その恩義を胸に刻み、彼らはこう述べた――

「私たちは、本来なら皇太子の罪と運命を共にする覚悟でありました。しかし処罰されることもなく、今また朝廷に仕えることを許されております。
この御恩に報いるには、生涯をかけても足りません。せめて、旧主の葬儀に列して、哀悼の意を表したいのです」

この誠実な願いに対し、太宗は「義ある行為」として快く認め、皇太子の旧幕僚たち全員に葬送を許した。
それは、敵対した過去を超えて、忠義と礼を重んじる太宗の度量を示す出来事であった。


引用(ふりがな付き)

「喪(そう)に君(きみ)ありて君に仕(つか)う。事(こと)君(きみ)の礼(れい)を展(の)べるといえども、宿草(しゅくそう)いまだ列(つら)ならず。往(い)にし哀(あい)を申(もう)さず」
「瞻(み)る九原(きゅうげん)、義(ぎ)は凡百(ぼんぴゃく)よりも深(ふか)し」


注釈

  • 魏徴(ぎ・ちょう):もと李建成に仕えた重臣。のちに太宗に登用され、「諫臣」として高名。
  • 王珪(おう・けい):唐初の政治家。魏徴とともに諫言・実務に優れ、太宗から信任された。
  • 棠棣(とうてい):兄弟の親愛を象徴する『詩経』の語句。「棠棣の花」として比喩される。
  • 九原(きゅうげん):黄泉・墓地の意。死者の眠る地。
  • 宿草(しゅくそう):墓前に自然に生い茂る草。古来、弔意や長い年月を象徴する語。

パーマリンク(英語スラッグ)

loyalty-beyond-death

「死を越えて尽くされる忠義」を示すスラッグです。
代案として、honor-to-the-fallen(死者への敬意)、mourning-as-duty(喪にこそ忠義)などもご提案可能です。


この章は、「忠義は生きて仕えることだけでなく、死者に対して礼を尽くすことにも通じる」という、儒教的価値観を体現した一節です。
また、太宗自身が兄弟との過去を乗り越え、国家と情愛の両面において「義」を貫いた姿勢が強く印象づけられます。

以下は、『貞観政要』巻一より「貞観二年、息隠王建・海陵王元吉の葬儀に魏徴・王珪が上表して陪葬を願い出た」章句の内容を、以下の構成にて整理したものです。


目次

貞観政要 巻一「魏徴・王珪の陪葬上表」整理

1. 原文

貞觀二年、將葬故息隱王建・海陵王元吉、詔書右丞魏徵與黃門侍郞王珪、令預陪葬。上表曰、
「臣等昔受命太上、委質東宮、出入龍樓、垂將一紀。
東宮結釁宗社、得罪人神、臣等不能死難、甘從夷戮、負其罪戾、寘錄行、徒竭生涯、將何以上報。
陛下德光四海、冠冕諸王。陟岡有感、追懷棠棣、明社稷之大義、申骨肉之深恩、卜葬二王、已有期日。
臣等永惟疇昔、自曰舊臣、喪君有君、雖展事君之禮、宿草將列、未申追往之哀。瞻望九原、義深凡百。
願於葬日、得至墓所」。
太宗義而許之、於是宮府舊僚吏、盡令陪葬。


2. 書き下し文

貞観二年、故息隠王建・海陵王元吉を葬らんとし、詔して右丞魏徴・黄門侍郎王珪に、預(あらかじ)め陪葬せしむ。
表を上(たてまつ)りて曰く、
「臣ら昔、太上(皇)より命を受け、東宮に質を委ね、龍楼に出入すること、将(まさ)に一紀(十年)に垂(なんな)んとす。
東宮、宗社に釁(まが)を結び、人神に罪を得たり。臣ら難に死すること能わず、甘んじて夷戮に従わんとし、其の罪戾を負ひ、寘録の行に処し、徒らに生涯を竭す、将(なん)ぞ以て上に報いんや。
陛下の徳は四海を光らし、諸王の冠たるものなり。岡に陟りて感有り、棠棣を追懐し、社稷の大義を明らかにし、骨肉の深恩を申し、二王の葬を卜し、既に期日有り。
臣ら永く疇昔を惟(おも)ひ、自ら曰く旧臣と。君を喪すれば君に事ふべし。事君の礼を展(の)ぶと雖(いえど)も、宿草将に列せんとし、追往の哀未だ申さず。九原を瞻望し、義は凡百よりも深し。
願はくは葬の日に、墓所に至らしめたまへ」。
太宗、其の義を嘉(よみ)して之を許し、すなはち宮府の旧僚吏、尽く陪葬を令す。


3. 現代語訳(逐語)

  • 貞観2年、故・息隠王李建成と海陵王李元吉の葬儀が行われるに際し、太宗は魏徴と王珪に陪葬するよう詔を下した。
  • 両名は上表してこう述べた。
    • 「私たちはかつて太上皇から命を受け、太子(建成)のもとで仕え、龍楼(宮中)に出入りすることすでに10年に及ぼうとしています。
    • 太子は宗廟に禍いを起こし、天と人に罪を犯しました。我々はその難に殉じることもできず、死を共にしようとしたものの叶わず、生き延びてはいますが、その罪は免れません。
    • 陛下(太宗)は徳が四海を照らし、諸王の中でも群を抜いておられます。丘に登れば感慨にふけり、兄弟の情を思い出され、社稷の大義を明らかにし、親族への深い情をお示しになりました。二王の葬儀を行う日もすでに定められています。
    • 我々は昔を思い、自ら旧臣と称しております。主君を喪えば、次の主君に仕えるのが道理です。礼に従って弔意を表すとはいえ、墓前に草を添える列にも入らず、心の奥底にある追悼の情をいまだ述べておりません。九原(冥府)を仰ぎ見るにつけ、これはまさに深い義と申せましょう。
    • どうか、葬儀の日に墓所に赴くことをお許しください」
  • 太宗はその義心を嘉し、これを許した。宮府で仕えた旧臣たちも皆、陪葬することを許された。

4. 用語解説

  • 陪葬(ばいそう):喪儀に参列すること。墓所に同行する礼制。
  • 垂将一紀(すいしょういっき):まもなく10年になろうとしていること。
  • 宗社に釁(まが)を結ぶ:国家の大義を損ない、祀るべき神々に罪を犯す意。
  • 夷戮(いりく):刑殺されること。臣下の殉死や覚悟ある死を指す。
  • 九原(きゅうげん):死者が住む黄泉の国の意。
  • 宿草(しゅくそう):古墓に供える草花の意。弔意の象徴。

5. 全体現代語訳(まとめ)

魏徴と王珪は、かつて太子李建成に仕えていた過去を踏まえ、彼の乱行に連座する形で本来ならば命を絶たねばならないところを赦されたことに深く負い目を感じていた。太宗が建成・元吉の葬儀を行うことを知り、旧臣としての礼を尽くすべく、墓所に赴くことを願い出た。この忠義の申し出に太宗は深く感じ入り、これを許可した。


6. 解釈と現代的意義

この章句は、敗者に仕えた者の忠義と、その後の態度における誠意がいかに高潔であるかを描いています。魏徴らはただの「生き残り」ではなく、あくまで節義を貫いた旧臣であり、その悔悟と責任の取り方に、組織における「過去との向き合い方」の一つの模範が見られます。


7. ビジネスにおける解釈と適用

  • リーダー交代時の忠誠心の示し方:新体制に移行する際、旧体制に仕えた者がどう振る舞うべきかの一つの姿を描いている。
  • ミスや過失に対する誠実な補償行動:過去の不始末に対し、口先ではなく行動で示す姿勢が、後の信頼獲得につながる。
  • 人事における寛容と恩情のマネジメント:太宗のように、過去の行動だけで人を裁かず、義をもって包容するリーダーシップが人心を掌握する鍵。

8. ビジネス用の心得タイトル

「敗軍の将にも義はあり ― 謝罪と忠誠は行動で示す」


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