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忠義は、生死を超えて誓うもの


一、原文引用(抄)

勝茂公が江戸で逝去されたとの報せが届いた。
軽輩の大島外記は、畑で作業中に妻からその知らせを受けた。

「行水を沸かせ、帷子を出せ。わしは追腹を切るぞ」

家人たちは、身分不相応だと止めるが、外記はこう語る:

「かつて西日での御狩りの際、大猪を一刀で仕留め、殿の目に留まった。
組を尋ねられ、福地覚左衛門組の者と申し上げたところ、
『さてさて曲者かな、よき家来なり。何か取らせよ』との仰せで、銀一つかみを賜った。
このとき、殿に殉じようと心に決めたのだ。誰に止められても思いは変わらぬ」

そう言って、実際に追腹を遂げた。


二、現代語訳(要約)

勝茂公の訃報が飛脚により佐賀に届いた日、大島外記は畑で仕事をしていた。
知らせを受けると、即座に入浴と白装束(帷子)の準備を指示し、「殉死する」と言い切る

周囲が引き止めるなかで外記は、過去の思い出を語る。
狩りの場で大猪を仕留め、殿から直接「よい家来である」と銀を賜ったこと。
それを生涯の誉れとして、殿が逝かれた際には必ず殉じると心に決めたこと。

その信念通り、外記は自刃。
当時9歳だった孫の善助がそのときの記憶を語っている。


三、用語解説

用語意味
追腹(おいばら)主君の死に殉じて自らも腹を切る行為。殉死。江戸中期以前には見られたが、鍋島藩では早期に禁止された。
帷子(かたびら)死に装束として使われる白の単衣。切腹の際に身にまとう。
巾着の銀一つかみ一匁銀十二枚程度。特別な褒美として与えられた金銭。

四、全体の現代語訳(まとめ)

大島外記は身分こそ軽輩であったが、一度主君に功績を認められたことを生涯の誇りとし、
その記憶を胸に「いずれはこの殿のために死ぬ」と決めていた。

主君の死の知らせを聞いた瞬間、迷うことなく行動に移し、
止める周囲の声にも耳を貸さず、かつて受けた恩をもって自刃した。


五、解釈と現代的意義

■ 忠義とは、地位や損得ではない

殉死を「子孫のための保障手段」とする説もあるが、外記の場合は明らかに純粋な情の発露である。
一度の褒賞、たった一言の賛辞で一生の覚悟を決めた忠義の心には、自己犠牲を超える倫理的信仰がある。

■ 過去の恩を一生忘れない生き方

殿の一言「よき家来なり」を忘れず、それに報いる形で命を絶つ。
現代の企業・組織においても、**「恩を受けたことをどう返すか」**は信頼の根幹となる。

■ 志の誓いは、他人の評価を超える

家人たちは「身分不相応」と止めたが、外記にとっては「自分の心に決めたこと」。
これは現代でいうところの、**「自分の信念に従って行動する人生観」**と重なる。

■ 追腹の禁止と、その倫理的意味

鍋島藩は当時としては異例に早く殉死を禁止した藩だが、それでもこうした事例が残るということは、
制度では止められない心の忠義が存在していた証拠である。


六、ビジネスにおける適用(個別解説)

項目現代的示唆
忠誠心と信頼の原点報酬よりも「認められた経験」が人の忠誠心を生む。部下への誠実な言葉が生涯を変える可能性すらある。
自主的な志の尊重組織の命令や制度ではなく、「自分の誓い」に従う人材は、困難な場面で最も頼れる存在。
行動の迅速さ殿の死を聞いたその瞬間に迷わず動く姿勢は、意思決定と行動力の見本。現代のリーダーにも通じる。
一期一会の覚悟一度の出会いや評価が一生を左右することがある。どんな仕事でも「一期一会」の心で臨むべき。

七、心得の結び:「誓いは、言葉でなく命で立てよ」

武士とは、恩を受けた瞬間からその恩に報いる準備を始める者である。
それがどれほどの地位か、どれほどの報酬かではなく、
**「その一言があったから、私は生きてこられた」**という心がすべての判断基準となる。

忠義とは、命をもって答える「ありがとう」である。


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