――寵愛は公平を欠き、子を苦しめる刃にもなる
親を想えばこそ、子を溺愛してはならない。
それが馬周の諫言であり、太宗も深く納得した教訓である。
馬周は、親王の待遇に偏りが生じることが、将来の争いを招くと警告した。
漢や晋では、皇帝が一部の子を特別に可愛がったことで、後に兄弟間での争いが起こり、国家の根幹が揺らいだ。魏の武帝・曹操が寵愛した曹植は、兄・曹丕の恐れを買い、囚人のような晩年を送ることになった。
子を思うなら、偏らず、法に則り、万代に通じる規律を定めよ。
感情にまかせて特別扱いすれば、それはやがて子をも国をも苦しめることになる。
引用とふりがな(代表)
「武帝の陳思を寵(ちょう)するは、苦(くる)しめんがためなり」
――かわいがったつもりが、結果的には苦しめた
注釈(簡略)
- 馬周(ばしゅう):唐の名臣。公平無私の姿勢で知られ、数々の上奏で太宗の信頼を得た。
- 陳思王(ちんしおう):曹操の三男・曹植。詩才で名高いが、政治的には兄に劣り、寵愛が仇となって不遇をかこった。
- 食実封(しょくじつほう):実際に収入のある封地。親王たちに与えられる生活保障の一つ。
- 俚語(りご):「貧は倹を学ばず、富は奢を学ばず」――人は環境により自然と行動が決まるという教訓。
『貞観政要』巻一:貞観十一年 馬周の上疏(王侯の定分に関して)
1. 原文
貞觀十一年、侍御史馬周上疏曰、「漢・晉以來、諸王皆爲樹置失宜、不預立定分、以至於滅亡。人主熟知其然、但溺於私愛、故前車覆而後車不改轍也。今諸王承寵私之恩有甚厚者、臣之愚慮、不惟慮其恃恩驕矜也。昔魏武帝寵樹陳思、及文帝卽位、防守禁閉、有同獄囚、以先帝加恩太多、故嗣王從而畏之也。此則武帝之寵陳思、反以苦之也。且帝子何患不富貴。身食大國、封邑不少、好衣美食之外、更何所須。而每年別加優賜、曾無紀極。俚語曰『貧不學儉、富不學奢』。言自然也。今陛下以大聖創業、豈惟處置見在子弟而已。當須制長久之法、使萬代可行」。
疏奏、太宗甚嘉之、賜物百段。
2. 書き下し文
貞観十一年、侍御史の馬周、上疏して曰く、「漢・晋以来、諸王は皆、設置を誤り、あらかじめ定分(ていぶん)を立てずして、ついには滅亡に至った。君主はその事実をよく知りながらも、私情に溺れてしまうため、前車(ぜんしゃ)の覆るを見て後車が轍(てつ)を改めざるなり。
今、諸王は寵愛を受けており、その恩は甚だ厚い。臣の愚かな考えでは、それらが恩に驕り高ぶることを憂慮するのみならず、昔、魏武帝が陳思王(曹植)を寵愛したがために、文帝(曹丕)が即位後にその弟を牢人のごとく防ぎ閉ざしたのも、恩が過ぎたゆえである。
すなわち、帝王の過度な寵愛は、かえって子を苦しめるのである。
しかも、帝の子ともなれば、富貴に悩むことはなく、大国の領地を持ち、封邑も十分与えられており、美食美衣に恵まれている。それに加えて、年々優遇措置が増され、その度合いは際限がない。
俚諺に『貧は倹約を学ばず、富は奢侈を学ばず』と言うが、これは人の本性である。
陛下は大聖の事業を創め給う身であれば、目の前の子弟の配置だけでなく、万代に及ぶ制度として長久に通用する仕組みを定めるべきである」。
この上疏が奏されると、太宗はこれを非常に賞賛し、馬周に絹百段を賜った。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「漢・晋以来、諸王は皆、設置を誤り、定分を立てなかったので、最終的に国が滅んだ」
- 「君主はそれを分かっていながら、愛情に流されて同じ過ちを繰り返す」
- 「今、皇子たちは恩寵が厚く、奢り高ぶる恐れがある」
- 「魏武帝が陳思王を過度に寵愛したせいで、文帝が兄弟間に不信を持ったのがその例」
- 「そもそも、皇子は地位も財も備わっており、過剰な恩賞は不要」
- 「ことわざに『貧しい者は倹約を学ばず、富める者は奢侈を学ばず』という通り、それが人情である」
- 「ゆえに、今後万代に通じる制度として『長久の法』を制定すべきだ」
4. 用語解説
- 定分(ていぶん):分限、役割・地位の明確な境界を定めること
- 魏武帝・文帝:曹操(魏武)とその子・曹丕(文帝)。曹操の寵愛した曹植(陳思王)が、兄の警戒心を買った実例。
- 前車覆轍:前の車がひっくり返った轍(わだち)を、後の車が改めずに同じ失敗をする喩え。
- 俚語:「貧不學儉、富不學奢」は、人の境遇と習性を語る俗諺。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
馬周は太宗に対して、歴代の王朝で王族に対する地位や職責が明確でなかったため、国が滅びる例が多かったことを指摘した。皇帝の愛情からくる優遇策がかえって王子たちの慢心や将来の対立を招くとし、太宗に「万代に通じる制度」、つまり王族の分限と待遇を明確にした永続的な法制度を定めるよう提案した。
6. 解釈と現代的意義
この章は、「私情が制度設計を歪めてはならない」という厳格な組織哲学を提示しています。馬周は、人間関係に基づく配慮(寵愛)ではなく、長期的・制度的な視点での人事と構造改革の必要性を訴えています。特に経営層に対する**「権限の制限と適切な評価制度の整備」**の必要性に通じます。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
- 「後継者の期待と評価を曖昧にすると争いの火種になる」
→ 家族経営や創業者主導型の企業で、跡継ぎへの過剰な期待や寵愛は組織崩壊の要因になり得る。 - 「特定の個人への恩恵が制度を歪める」
→ 一人にだけボーナス、特別待遇が続くと組織全体の士気が下がる。 - 「規範がなければ、感情は常に逸脱する」
→ 人間は環境によって行動が左右される以上、制度設計で制御することが不可欠。
8. ビジネス用の心得タイトル
「恩は制してこそ、組織は続く」
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