孔子はあるとき、ふと自分の衰えを感じてこう言った。
「私はもう、尊敬する周公旦の夢を見なくなってしまった」と。
それは、学びへの情熱や理想の追求が、かつてほど熱く保たれていないことへの寂しさであり、
同時に「志を抱き続けること」の尊さを語る一言でもあった。
夢に見るほど思いを強く持てる対象があることは、学び手にとって最高の原動力である。
原文・ふりがな付き引用
子(し)曰(い)わく、甚(はなは)だしいかな、吾(わ)が衰(おとろ)うや。久(ひさ)しいかな、吾(われ)復(ま)た夢(ゆめ)に周公(しゅうこう)を見(み)ず。
注釈
- 甚だしいかな … 深い驚きや嘆き、心からの実感を込めた言葉。
- 吾が衰うや … 自分自身の衰え、特に志や情熱の衰退を自覚している。
- 夢に周公を見ず … 理想とする人物(周公)を夢に見ることすらなくなった、つまり意識や情熱の希薄化を表す。
- 周公旦(しゅうこうたん) … 孔子がもっとも理想とした人物。政治・礼制の完成者であり、人格の規範とされた。
1. 原文
子曰、甚矣、吾衰也、久矣、吾不復夢見周公也。
2. 書き下し文
子(し)曰(いわ)く、甚(はなは)だしきかな、吾(わ)が衰(おとろ)えや。久(ひさ)しきかな、吾(われ)復(ま)た夢に周公(しゅうこう)を見ず。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「子曰く、甚だしきかな、吾が衰えや」
→ 孔子は言った。「ああ、私は本当に衰えてしまったものだ。」 - 「久しきかな、吾復た夢に周公を見ず」
→ 「もう長い間、私は夢の中でさえ周公の姿を見ることがなくなってしまった。」
4. 用語解説
- 甚矣(はなはだしいかな):強い感情を表す感嘆詞。「ひどいことだ」「大いに嘆かわしい」といった意味合い。
- 衰(おとろ)え:ここでは肉体的な衰えよりも、精神や志の減退を意味する。
- 復(また)夢に見ず:再び夢に現れることがない。心から思い続けてきた対象が、夢にも出てこなくなるほど関心が薄れたことを暗示。
- 周公(しゅうこう):周の武王の弟で、賢臣・聖人と称される理想的な政治家・礼楽の祖。孔子がもっとも敬慕した人物。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
孔子はこう言いました:
「私は本当に衰えてしまった。長い間、かつて敬愛してやまなかった周公の姿を、夢の中でさえ見ることがなくなってしまった。」
6. 解釈と現代的意義
この章句は、孔子の深い自己省察と精神的な嘆きを語るものです。
孔子が心の理想とした周公への強い憧れは、生涯の原動力であり、彼の道徳・政治・礼楽への探求心の源でした。
しかし年を重ねるにつれて、その憧れや情熱が薄れてきたことに、自ら悲しみと危機感を抱いているのです。
これは現代にも通じる、“志を持ち続けることの難しさ”や、“理想を追い続ける心の老い”への自覚と警鐘とも解釈できます。
7. ビジネスにおける解釈と適用
■「理想を忘れたとき、人は本当に衰える」
──事業の創業理念、組織の存在意義、顧客への使命感など、原点の情熱を失えば、日々の仕事は惰性になってしまう。
■「夢に出るほどの目標を、今も持っているか」
──最初に胸を熱くした理想や目標が、今も自分の中で息づいているか。自問自答と再確認がキャリアの原点回帰となる。
■「尊敬する人物像を失ったとき、学びも止まる」
──ロールモデルやメンターがいなくなると、目指すべき方向もぼやける。常に高みを見て歩む姿勢が成長を支える。
■「感性の老いを自覚せよ」
──経験を重ねるほどに新しい感動や理想への渇望が薄れていく。それに気づき、抗う姿勢こそ真のプロフェッショナリズム。
8. ビジネス用心得タイトル
「夢を見なくなったときが、本当の衰え──理想への渇望を忘れない」
この章句は、単なる年齢的な“老い”ではなく、精神的な衰え=理想を見失うことへの戒めを含んでいます。
経営者・リーダー・ミドル層のキャリア中盤において、特に深く響く内容です。
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