一、原文の引用と現代語訳(逐語)
原文(抄)
公事沙汰、または言ひ募ることなどに、早く負けて見事な負けがあるものなり。
相撲の様なるものなり。勝ちたがりて、きたな勝ちするは、負けたるには劣るなり。
多分きたな負けになるものなりと。上り屋敷の事。回達。
現代語訳(逐語)
訴訟や争論などでは、あえて早々と引いて「見事な負け」をする場合がある。
それは、相撲での潔い負けと同じようなものだ。
勝ちに執着しすぎて、汚いやり方で勝ったとしても、それは負けるよりも見苦しい。
結局、そのような勝ちは、将来的に「きたない負け」となってしまうのである。
二、用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
公事沙汰 | 訴訟や裁判事。現代では法的トラブルや対立を指す。 |
言ひ募ること | 口論、論争。現代では議論、交渉、SNSでのバトルも該当。 |
きたな勝ち | 策を弄したり、礼を欠いたり、卑劣な方法で得た勝利。 |
見事な負け | 品格・誠意・矜持をもって、相手に勝ちを譲る形での敗北。 |
三、全体の現代語訳(まとめ)
争いや訴訟、論争では、あえて早く負けるという選択もまた「見事な勝利」となりうる。
むやみに勝ちを狙い、手段を選ばず汚く勝つくらいなら、潔く負けた方が美しく、長い目で見て信頼を得ることができる。
勝つことが目的ではなく、人としてどう振る舞うかが最終的な「勝ち負け」を決めるという思想がそこにある。
四、解釈と現代的意義
なぜ「負ける」が「勝ち」になるのか
常朝は、「きたなく勝つ」ことを最も忌み嫌いました。
なぜなら、勝ちとは本来、品位と道理を伴ってこそ意味があると考えていたからです。
潔い負けは、短期的には損でも、人望・信用・信義という長期的な価値を得る「勝ち」へとつながるのです。
「上り屋敷の事」の例(補足)
この章の末尾に記される「上り屋敷の事」は、実際に家臣が主君の名を汚さないよう自ら身を引き、「負け」を引き受けた事例とされます。
それは単なる自己犠牲ではなく、信を通す覚悟の証明でした。
五、ビジネスにおける解釈と適用(個別解説)
項目 | 解釈・適用例 |
---|---|
顧客対応/クレーム処理 | 相手に譲る、謝罪することで関係性が長期的に良くなる。「正論」で勝つより、「誠意」で負ける方が勝ちにつながる。 |
利益配分・交渉 | 一時の勝ちを狙って利を奪うより、相手に利を譲り、信頼関係を築く方が次のチャンスに繋がる。 |
社内対立/意見衝突 | 部下や同僚との衝突において、「正しさ」を主張しすぎず、一歩引く姿勢が人を動かす。 |
経営判断・撤退 | 愚直に続けて損失を広げるより、早めに「見事に撤退」することが、経営者としての真価を示す場合もある。 |
六、補足:「礼節」と「品格」が勝敗を超える
この章句が伝える最重要ポイントは、**「勝ち負けは外見の問題、真の勝敗は人の品にあり」**という思想です。
常朝が重んじたのは、勝敗の結果ではなく、それに至るまでの「人間の姿勢」でした。
勝つよりも、信を守れ。
勝つよりも、道を失うな。
それが『葉隠』における、“勝者とは何者か”という逆説的問いかけなのです。
七、まとめ:この章句が伝える心得
「負けるが本当の勝ちである。潔く譲る者は、信頼と品格という報酬を手にする。」
勝ちにこだわることは、時に卑しさや執着を生む。
だが、あえて引く、あえて譲る、あえて負ける――その覚悟こそが、人格の器を証明する。
真のリーダー、真のプロフェッショナルは、「負ける勇気」を持っている人なのです。
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