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上を向け。地を見て歩く者に、未来は切り拓けぬ


一、原文と現代語訳(逐語)

原文抄(聞書第三)

嘆かはしき事は、最早肥前の槍先に弱みが付きたると思はるるなり。其方など心得候て罷在るべく候。
往来の人を見るに、大かた上瞼打下ろし、地を見て通るものばかりになりたり。気質がおとなしくなりたる故なり。
勇むところがなければ、槍は突かれぬものなり。
律義・正直にばかり覚えて心が逼塞して居ては、男業成るべからず。
間にはそら言をも云ひちらし、張り懸りたる気持が武士の役に立つなり。

現代語訳(逐語)

嘆かわしいことに、もはや肥前の者たちの「槍先(やりさき)」――つまり気概や戦う心に、弱さが見えはじめたように感じられる。
人々の様子を見ると、大抵がうつむいて歩いており、目線は地面に落ちている。
それは気質が穏やかになったためであり、決して悪いことではないが、これでは武士として戦うことができぬ。
律儀や正直だけに固執し、心が小さくなっていては、大きな仕事はできない。
時には虚勢を張り、気勢を上げて突き進む心こそが、武士にとって必要なものである。


二、用語解説

用語解説
槍先に弱み武士の魂とも言える“戦う気概”が薄れてきたことの比喩。
上瞼打下ろし目を伏せる、うつむくという描写。心の萎縮や内向きな姿勢の象徴。
張り懸りたる気持気を大きく持って前へ進む、勢いある態度。
そら言大げさな話・虚言。ここでは“自信あるふるまい”の表現として肯定的に使われている。

三、全体の現代語訳(まとめ)

藩祖直茂公は、世が平和になる中で人々の気概が失われていることを危惧し、
「皆がうつむいて地を見て歩いている」姿に、武士の気風の衰退を感じ取った。
正直であろうとするあまり、内向きで控えめな精神にとらわれていては、行動力が失われる。
大事なのは、「時に虚勢でもよい。堂々と前を向き、勢いを持って事に当たること」――それこそが、武士に必要な姿勢であると説いた。


四、解釈と現代的意義

この章句は、“律義”や“堅実さ”の美徳に隠された危うさを鋭く突いています。
直茂公は「平和の代償として失われる“勢い”」を見抜き、「上を向け、張り懸かれ」と喝破したのです。

現代においても、以下のような状況は数多くあります:

  • 「真面目すぎて挑戦できない若者」
  • 「失敗を恐れて踏み出せない組織人」
  • 「ルールや空気を読みすぎて縮こまるチーム」

このとき大切なのは、少々の“そら言”=自信の演技でもよいから、前向きな態度を見せることです。
行動には“気”が要る。そしてその“気”が、周囲を巻き込む「勢い」となっていくのです。


五、ビジネスにおける解釈と適用(個別解説)

項目解釈・適用例
チームマネジメント真面目で内向的な雰囲気を打破するには、「上を向いて堂々とふるまう」先導者の存在が不可欠。
若手育成失敗を恐れて足踏みしている若手に、「勢いでやってみろ」という後押しも必要。
組織文化の活性化正確さや礼儀に偏りすぎた文化には、「虚勢でもいいからチャレンジを楽しむ空気」を取り戻す。
プレゼン・営業自信を持って話す姿勢(=そら言に見えるほどの勢い)が、相手の心を動かす。

六、補足:なぜ“そら言”が必要か?

直茂公は、そら言(大げさな言葉や勢い)を肯定しています。
これは「ウソをつけ」という意味ではありません。
現実に心が追いつかなくても、まず“姿勢”や“言葉”から勢いをつけることで、現実が動き始めるという知恵です。

この考え方は、ビジネス心理学で言う「アクション・ファースト(行動が感情を変える)」と近いものです。


七、まとめ:この章句が伝えるメッセージ

  • 平和や安定のなかで、気概を失ってはならない。
  • 常に上を向き、地を見て歩くような生き方をするな。
  • 律義さだけでは、戦うべきときに力を発揮できない。
  • 時には“気張って”“見栄を張って”でも、堂々と前に出よ。
  • 武士とは、常に張った気持ちを保ち、自らを鼓舞して突き進む者である。

目次

🔚現代への置き換え:

「真面目さだけでは壁を越えられない。上を向き、勢いをもって突破せよ」――それが、現代の武士道である。


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