このテキストでは、伝統的な管理論が上司と部下の関係において部下の期待に焦点を当て、上司が部下のためにあるという思考に疑問を投げかけています。
著者は上司の役割は部下の期待を満たすことではなく、上司が部下に何を求めているかを理解し、客観的な状況に対処するために上を向くことだと主張します。
上司の方針や企業の目標に連絡を取り、それを部下に伝えることが重要であり、経営担当者はこの役割を果たすべきだと述べています。
また、部下には外部の情勢や組織の方針を理解し、それに基づいて働くことが期待されると指摘しています。最後に、部下だけに注力する経営担当者は、客観情勢の変化に対処できず、顧客の要望にも応えられないと警告しています。
したがって、経営担当者は上司との連絡を重視し、部下に明確な指示を与えるべきだと強調しています。
上を向け
伝統的な管理論は、「部下を管理する」ことのみに関心を示し、「上司の意図を理解し補佐する」という、経営担当者の最も大切な役割については、ぜんぜん教えようとしない。
まことに不思議な思想である。
皮肉ないい方をすれば、「上司は部下のためにある」という思想である。上司は部下のためにあるのではなくて、部下が上司のためにあるのだ。
経営担当者は、まず上を向かなければならない。
上司の意図をよく理解してはじめて、部下に何をさせたらいいかがわかるのであり、客観情勢の変化を知らずに、これに対処することはできないからである。
目標が示されているからといって、経営担当者は上を向かなくてよいということにはならない。客観情勢が変われば、目標は変わらなくても上司の方針が変わることもある。
客観情勢の変化と、それに対処するトップの方針を常に知っていなければ、これからの経営担当者はつとまらないのだ。
伝統的な管理論は、上役として必要なことは、「部下は自分に何を期待しているか」を知り、部下の期待にこたえてやるというのだから、どう考えてもおかしい。
部下の個人的な期待ならいざ知らず、会社の仕事についてこのように考えるのは、明らかに間違いなのである。こんなことをしていたら、企業の目標は見失われ、会社はどこへゆくのかわからなくなってしまうであろう。
だから、経営担当者は、部下に対してよりは、まず上役との接触を重視しなければいけないのだ。たえず上役と連絡をとり、新しい外部の情勢やそれに対処する上司の方針を知ることにつとめなければならないのである。
そして、それをただちに部下に流し、部下に対する要望(手に入れてもらいたい結果)を明瞭に示すのである。こうなってこそ、部下は働ける。
新しい事態もわかり、それに対する会社の方針を知れば、それにそって努力をするのが人間なのである。部下のほうばかり向いている経営担当者は、客観情勢の変化に対処することを知らず、顧客の要望が二のつぎになる。
このような経営担当者は、企業にとって最も好ましくないタイプであるだけでなく、部下のためにも、けっしてよい上司とはいえない。
まとめ
「上を向け」と題されたこのテキストは、伝統的な管理論が部下を管理することに焦点を当て、上司の役割を無視している問題について述べています。
リード文では、経営担当者の役割に関する古典的なアプローチが部下に焦点を当てており、上司の役割について無視していることについて問題提起しています。
このアプローチは皮肉にも「上司は部下のためにある」という思考に通じ、経営担当者はまず上司の方針と客観情勢に注目すべきであると主張されています。
また、部下への指導が上司との連絡から派生し、部下が目標を達成できるようになると説明されています。最終的に、経営担当者が上司と連携し、部下に明確な指示を出すことが重要であり、部下への配慮だけではなく、企業の成果にも寄与すると強調されています。
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