第一話
U社は、S県に拠点を置く農業資材の商社だ。同県内での業界ランキングでは第5位に位置し、有力な業者とされるのは第6位まで。それ以下はさほど注目される存在ではない。ただし、この業界には特に抜きん出た存在はなく、言うなればどんぐりの背比べといったところだ。ただし、「経済連」のような別格の存在があるのは言うまでもない。U社の拠点は県の中央部、やや北寄りの位置にある。
市場戦略を構築するにあたり、経済地理的観点から市場を細分化し、自社と競合他社の勢力分布や、現状の戦略(と呼べるほど精緻ではないものの)を分析してみることにする。
「A地域」は、U社を中心とした半円形のエリアであり、地元密着型の強みを最大限に発揮している。訪問頻度の高さが功を奏し、現在は60%の占有率を維持しており、あと一歩で独占的な支配が実現できるドル箱の地域だ。このA地域に隣接して、隣県の単作野菜の大規模産地が広がるエリアがある。かつてU社はこの地の利を活かし、高い占有率を誇っていたものの、近年では他社による積極的な市場侵食が続いており、じわじわとシェアを奪われつつある。苦戦を強いられているこのエリアを、仮に「r地域」と呼ぶことにする。
「B地域」は、A地域の東南に位置するエリアで、第6位のJ社が地元勢力として君臨している。J社の占有率は40%に達しており、地元での根強い影響力を示している。一方、U社は長年にわたり地道な取り組みを続けてきたものの、占有率はわずか2%にとどまっている。この地域では、U社は依然として苦しい立場にある。
「C地域」は、A地域の南に位置する小規模なエリアで、業者たちが競り合う草刈り場のような場所だった。それでも、U社がこの地域で確保していたシェアはおよそ20%程度だった。
「D地域」は県南部に広がる広大なエリアだが、過疎化が進んでいる場所だった。U社はこの地域にサブ店舗を3つ構えているのみで、占有率はわずか1%にも届いていなかった。
「E地域」は、A地域の西に広がる広大なエリアで、穀倉地帯として知られている。経済の70%以上が特定の業者に独占されているため、他の業者はほとんど進出を諦めている状況だ。この地域にはU社を含む3社が進出しているのみである。
「F地域」は県の北部に位置し、果物の一大産地として知られている。このため、県内のほとんどの業者が集結し、激しい競争が繰り広げられていた。一方で、U社はこの地域には一切手を出していない。社長は「阿果らしくて手を出す気になれない」という考えを抱いていたからだ。
次に行うのは、自社の戦力分析だ。市場戦略を立てる上で最も重要な資料は、「売上高年計表」と「得意先別売上高ABC分析表」である。これらのデータを基に、自社の強みや弱みを具体的に洗い出し、戦略の方向性を見定めていく。
社長が最も驚いたのは、昨年の得意先別売上高ABC分析表にセールスマンの訪問回数を加えて分析したときだった。売上高の下位5%に位置する得意先への訪問回数が全体の半数以上を占めていたのだ。さらに、その多くがわずか2%の占有率しかない「B地域」の得意先だったことが判明した。
隣接地域で距離的には近いにもかかわらず、第6位のJ社が地元で大きな占有率を握っていた。このため、セールスマンたちにとっては目の上のたんこぶのような存在だったのだろう。
何とかしてJ社の牙城を崩そうと試みたが、相手は他地域にはほとんど進出せず、この地で強固な防御態勢を敷いていたからだ。J社長にとって、この地域を守ることが生活の糧そのものであり、まさに生き残るための戦略だったのだ。
セールスマンを自由意思に任せて動かすと、このような結果になる。彼らは会社全体の事業や利益を考慮するのではなく、自分の判断ややりやすさに基づいて行動するものだ。
U社長は、この数字を目にして、自らの「任せる」という姿勢がいかに怠慢であったかを痛感したと語った。こんな基本的な事実すら把握できていなかった自分を深く反省させられたという。
もしこの地域での訪問活動をすべて中止すれば、他の地域ではセールスマンを一挙に3倍増員したのと同じ効果を得られる計算になる。この事実は、新たな市場戦略の展開に向けて、セールスマン不足を心配していた社長を大いに勇気づける結果となった。
さらに、他社の動向を分析する中で、いくつかの特徴的な行動パターンが明らかになった。「だ地域」では、どの業者もシーズン中だけ活動し、冬の半年間はまったく訪問を行わないという状態だった。U社も例外ではなく、同じように冬場の「だ地域」を放置していた。
「E地域」は経済連による独占的なエリアではあるものの、独占にありがちな顧客サービスの質の低さが原因で、顧客の不満が相当程度蓄積していることが調査で明らかになった。
U社の市場戦略方針
- 最重点地域:「A地域」
従来通りの高密度訪問を継続し、さらなる占有率の向上を図る。主力地域としての地位を確固たるものにする。 - 表敬訪問強化:「だ地域」
不需要期においても月1回程度の表敬訪問を実施し、顧客とのスキンシップを強化。需要期を待たずに受注を確保することを狙う。訪問の目的は売り込みではなく、顧客関係の維持・確保に重点を置く。 - 縮小撤退:「B地域」
「A地域」に近い拠点を1つ残し、それ以外からは撤退。売上の減少はわずかにとどまり、セールスマンの労力を大幅に削減。他地域へのセールスマンの再配置により、投入効率を約3倍に引き上げる。 - 重点地域:「C地域」
訪問回数を倍増し、占有率40%を目標とする。業者間の占有率変動が激しいこの地域で、安定的なシェアを確保し、主導的地位を築くことを狙う。 - 成行任せ:「D地域」
今後の可能性を見据え、現状の二次店2拠点への限定的活動を継続。セールスマンと営業部長が月1回、社長が年2回訪問するにとどめる。 - 重点戦略地域:「E地域」
経済連の独占的地位の弱点を突くべく、「B地域」から引き上げた戦力の2/3を投入。頻繁な訪問と顧客サービスの向上により、占有率を大幅に拡大する。 - 放棄地域:「F地域」
競争や効率性を考慮し、この地域への活動は完全に中止する。
この方針に基づき、各地域の特性と現状を活かしつつ、U社全体の市場占有率と効率性の向上を目指す。
この戦略の狙いは、「A・C・Eの三地域を制覇することで、県中央部に『Y字型』のU社勢力圏を形成し、それを基点として県全体を効率的に掌握する」という構想にある。このY字型の勢力圏は、県北・県東・県南の三つのエリアを分断する役割を果たし、敵対する業者の勢力を地域ごとに孤立させ、統制力を低下させることを目指している。
この戦略は、実質的にセールスマンの数を三倍に増やしたうえで、一人当たりの訪問回数をさらに2〜3割増加させることを目指している。その結果、従来の3.5倍以上の営業力を、従来よりも狭い地域に集中させることが可能となり、圧倒的な成果を期待することができる。効率的なリソース配分と高密度の営業活動により、重点地域での市場支配を実現する狙いだ。
第二話
F社はG県のほぼ中央部に位置するM市に拠点を構える業務用品の問屋だ。県内の業界ランキングでは第4位に位置しており、上位の1位から3位までは県都であるK市に拠点を置く競合他社が占めている。一方、第5位の業者はF社と同じM市に本社を構えている。F社長の長年の悲願は、県内で第1位の業者になること。この目標は非常に現実的かつ正当なものといえる。
私はいつものように、「経営計画」の作成を通じて目標を明確に設定し、商品と得意先の整理を行った後、市場戦略の立案に着手した。G県は海に面した細長い地形をしており、その地理的特徴から、大きく二つのエリアに分かれていた。この特性を踏まえ、戦略を練る必要があった。
「A地域」は過疎地帯であり、F社からの距離がやや遠い場所に位置している。この地域では、隣接するS県とN県から進出してきた業者が県内業者と二つ巴の競争を繰り広げていた。F社も数店の小売店と取引を行っていたが、その取引金額は大きなものではなかった。
「B地域」は、県中央部に広がる最も幅広い地域であり、その中心にはF社が本拠を置くM市が位置している。この地域は、小都市が適度な間隔で点在する「面経済」の特性を持ち、経済活動も比較的活発だ。M市は現時点では県都の半分以下の人口規模だが、交通網の要衝であることから、将来的には県都を上回る経済的な発展が期待されている。
「C地域」は県都K市を中心とするエリアで、地域の性質が二分されている。一方は「B地域」に隣接する「面経済」のエリアであり、K市を核とした県全体の経済の中心地となっている。他方は細長い農業地帯で、小さな町が2~3か所点在するだけの「線の市場」としての特徴を持つ。
これらの状況を踏まえ、F社の市場戦略は次のように地域ごとに策定された。
「A地域」では、地域の中心都市で県内3位の人口を誇るA市と、交通の要衝であるJ市に絞り、数店の得意先を選定して拠点作戦を展開する。訪問頻度は週に1回程度とし、効率的な営業活動を行うことで、限られたリソースの中で最大の成果を狙う。
「B地域」は第一次重点戦略地域に指定し、三点攻略法を用いて各都市の占有率を順次引き上げていく。この地域は地理的な優位性があり、それを最大限に活かす形で、徹底した巡回作戦を展開する。効率的な訪問と密な関係構築を通じて、成果が期待できる戦略となっている。
「C地域」では、県都に三社の強力な競合がひしめいている状況を考慮し、焦らず慎重に攻略作戦を展開する。拠点の確保と信頼関係の構築を優先し、長期的な視点で着実に占有率を高めていく方針とする。
この地域での作戦の要点は、県都への攻撃のタイミングが来るまでは、営業活動を一切行わず、徹底的な情報収集に専念することだ。攻撃対象は、県都の周辺都市、いわば「出城」にあたる地域とし、その中でも県都から遠い場所から順に攻略していく方針をとる。このようにして、周囲を徐々に制圧し、最終的に県都という「本城」を孤立させる作戦である。
この作戦では、県都から約20キロ離れた町にある上得意先を拠点とし、そこをさらに強化することから始める。その拠点を基点として、本社と結ぶ「線の市場」を両方向から攻める形を取る。そして、この攻撃ラインをさらに延長し、県都の背後へと回り込む。こうして、県都を包囲し、外から徐々に圧力をかけて封じ込めるのが戦略の狙いである。
県都への最終的な攻撃は、少なくとも3年はかけて準備しなければならないだろう。その理由は、県都に拠点を構える三社が非常に強力な競合であるためだ。これらの強敵に対抗するには、弱点を見つけ、そこを重点的に攻めるのが最も効果的である。
調査の結果、県都の三社に共通する弱点が判明した。それは「配送を行っていない」という点だ。この事実から推測できるのは、これらの企業が「営業姿勢が高い」、つまり顧客に対する積極的なサービス提供を必ずしも重視していない可能性があるということだ。この弱点を突くことが攻略の鍵となるだろう。
将来、県都への攻撃を開始する際には、この「配送していない」という弱点を徹底的に突く戦略を採る。具体的には、頻繁な訪問活動を行い、加えて迅速で丁寧な配送サービスを提供することで、差別化を図る必要がある。
しかし、本社から直接配送を行うのでは距離が遠すぎ、十分なサービスを維持するのは困難だ。そのため、どうしても県都近郊に配送センターを設置し、迅速かつ効率的な物流体制を構築する必要がある。この拠点の設置が、県都攻略の鍵となるだろう。
偶然にも、K市から少し離れたL町で問屋センターの建設計画が進行しており、F社長はそこに配送センターを作りたいと考えていた。しかし、私は慎重を期し、次のように進言した。
「この件は隠密に進めなければならない。L町の問屋センターに入るのは避けるべきだ。そこに拠点を構えれば、たちまち敵に警戒される危険がある。配送センターの場所は、K市に近くて便利であればどこでも構わないが、できるだけ人目につかない場所が望ましい。例えば、K市攻撃の拠点として予定しているD町の郊外に設置すれば、D町の得意先との関係もより緊密になる。さらに、倉庫を建てた場合でも、外壁に会社名を大きく掲げるなどの目立つ行為は厳禁だ。」
このように、目立たずに効率を確保する戦略が必要だと伝えた。
この配送センターは、単にK市攻略のための拠点にとどまらず、「C地域」全体の市場戦略において重要な役割を担う物流の要となる。その設置によって、迅速かつ効率的な商品供給が可能になり、地域全体での占有率拡大や顧客満足度の向上に寄与することが期待される。この拠点は、F社の戦略的展開における鍵となるインフラとして機能することになるだろう。
この市場戦略は、「B地域」で着実に成果を上げ始めた。この動きは、県都の三社に対してじわじわと圧力をかける形となり、結果として彼らは「B地域」で失った売上を県外で補おうとする動きを見せ始めた。しかし、地元での売上を県外で補うというのは、効率やコスト面でどう見ても不利な選択である。この不利な状況は、K市の三社の力を徐々に削ぎ、F社がK市に進出する際の有利な条件を生むこととなる。このように、間接的な攻撃が競合の弱体化を促し、F社の戦略をさらに後押ししているのである。
これまで市場戦略がなかった時期には、上位との差を縮めるどころか、むしろ差を広げられる状況が続いていた。しかし、市場戦略を明確に立てた瞬間から、F社は上位をじわじわと追い上げ始めた。この変化は、計画的な戦略と効率的なリソース配分がもたらした成果であり、従来の無計画な営業活動との違いを如実に示している。
全国戦略では、大局的な視点に基づく状況判断が重要である一方、ローカル戦略では、地域ごとの特性に応じた細やかな分析が求められる。一つ一つの地域について、その地理的・経済的な特性、競合業者間の力関係、そして販促方針だけでなく、実際の販売活動の現状をしっかりと把握することが鍵となる。これを実現するためには、細心の注意を払った観察と、現場の実態に基づく柔軟な対応が欠かせない。
観察を通じて明らかになった地域ごとの状況を基に、各地域における具体的な戦略方針を決定する。その際、我が社の戦力とのバランスを考慮し、作戦の範囲と優先順位を明確に定める。このプロセスにより、限られたリソースを効率的に配分し、最も効果的な形で市場を攻略する体制を整えるのである。
ローカル戦略は、現実の市場戦略の中で最も重要な要素であり、全国戦略を展開する上でも不可欠な作戦単位となる。一つ一つのローカル戦略が成功するか否かが、企業全体の命運を左右することを認識しなければならない。それぞれの地域での成功が積み重なり、全国的な優位性を築く礎となるため、細心の注意を払い、徹底的に実行することが求められる。
ローカル戦略の考察
1. 市場の細分化と戦力分析
U社の市場戦略は、地域ごとの特性を詳細に分析し、戦略を緻密に展開することを目的としています。特に重要なのは、地域ごとの業界勢力分布を理解し、どの地域に注力するべきかを見極めることです。U社の状況を考えると、地元の強みを活かしつつ、他社が強い地域での競争を避け、弱い地域に集中することが戦略の基本になります。
例えば、A地域はU社が強いものの、他社の攻勢が強化されているため、これを防衛する戦略を取ります。一方、B地域では他社が強いため、U社は「A地域」に近い拠点を設けて撤退戦略を取ることが合理的とされます。このように、地域ごとの優先順位と戦力の配置をしっかりと行うことが重要です。
2. 営業活動の効率化
U社の営業活動には、セールスマンの訪問回数に関するデータをもとにした反省が示されています。特に、B地域での売上が低いにもかかわらず、セールスマンが過剰に訪問していることが判明し、これが効率の悪さを生んでいました。U社長は、訪問回数を見直すことで、セールスマンの活動を効率化し、他地域にリソースを集中させることができることに気づきました。
このように、営業活動の無駄を排除することは、市場戦略の中で非常に重要なステップです。訪問活動の回数を管理し、リソースを有効に使うことで、限られた営業力で最大の成果を上げることができます。
3. 地域ごとの戦略方針
U社は、各地域ごとに異なる戦略を適用しました。具体的には、以下の戦略を採用しています:
- A地域: 強い地域であるため、従来通り高い密度で訪問し、占有率をさらに高める。
- B地域: セールスマンの手間を減らし、拠点を一つに絞ることで他地域への投入量を増やす。
- C地域: 草刈場として競争が激しいが、訪問回数を倍増させることで占有率40%を目指す。
- D地域: サブ店を維持しつつ、訪問は最小限にとどめる。
- E地域: 経済連の独占地域だが、弱点をつき、訪問とサービスを徹底する。
- F地域: 完全に放棄する。
これらの戦略は、各地域の特性と競合の状況に基づいて最適化されています。また、A、C、Eの三つの地域を制覇することによって、U社の勢力圏を広げることが狙いです。
4. 戦略的撤退と再投入
戦略的に撤退することも重要な戦術です。B地域では、U社は拠点を一つ残して撤退を決定し、これによりセールスマンの負担を軽減し、他地域にリソースを投入できるようにしました。このような戦略的撤退は、無駄なリソースを削減し、より重要な地域に集中できるため、企業全体の効率を上げる効果があります。
5. 競合の弱点をつく
E地域においては、U社は経済連の独占的支配を打破するため、経済連の弱点をつく戦略を取ります。具体的には、顧客サービスの悪さをつき、訪問とサービスの質を徹底的に強化することによって、占有率の拡大を目指しました。競合の弱点を突くことは、特に強い競争環境の中で有効な戦術です。
6. まとめ
ローカル戦略は、地域ごとの特性に応じた柔軟で戦略的なアプローチが求められます。U社のケースでは、地域ごとの分析とリソースの適切な配分、競争環境を把握した上での戦略的な撤退や攻撃が大きな成果を上げる鍵となりました。この戦略の成功には、精密なマーケットリサーチとセールスマンの行動管理が不可欠です。
また、ローカル戦略は、全国戦略の実行において基本となる作戦単位であり、地域ごとの成功が最終的な企業の成長に繋がることを理解することが重要です。
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