一、原文(抄出)
今時の奉公人を見るに、いかう低い眼の着け所なり。スリの目遣ひの様なり。
大方、身のための欲得か、利発だてか、または少し魂の落着きたる様なれば、身構へをするばかりなり。
我が身を主君に奉り、すみやかに死に切つて幽霊になりて、二六時中、主君の御事を嘆き、事を整へて進上申し、御国家を堅むると云ふ所に眼を着けねば、奉公人とは言はれぬなり。
上下の差別あるべき様なし。このあたりに、ぎしと居すわりて、神仏の勧めにても、少しも迷はぬ様覚悟せねばならず。
二、書き下し文(要所)
今の奉公人たちは、欲得や見栄にとらわれ、まるで盗人のような目つきになっている。
中には少し落ち着いた風に見せている者もいるが、それもただの体裁にすぎない。
本来あるべき奉公人の姿とは、自らの身命を主君にささげ、すみやかに死んだつもりで、生きながらにして鬼神のごとく、四六時中主君の安泰と国の繁栄のために尽くすことだ。
この覚悟に、上も下も関係ない。神仏にすら惑わされぬような揺るぎない心構えが必要である。
三、逐語現代語訳
- 「スリの目遣ひ」:ごまかしや打算に満ちた目つき。欲望と保身のあらわれ。
- 「すみやかに死に切って幽霊になりて」:すでに死んだ者として生きる、つまり私心を捨てて完全に主君のために尽くすという比喩。
- 「二六時中」:四六時中、すなわち常に。
- 「神仏の勧めにても…」:どれほど尊いものの導きであっても、自らの覚悟を曲げてはならないという強い意志。
四、用語解説
用語 | 意味・背景 |
---|---|
奉公人 | 主君に仕える者。現代で言えば組織人・公僕・ビジネスパーソンも含まれる。 |
幽霊になりて | 肉体の欲を捨てた存在として主君に奉仕することの比喩。 |
主君 | 直属の上司や会社、あるいは理念・社会的使命などと置き換えても読める。 |
国家を堅むる | 国家や組織を安定させ、栄えさせること。 |
神仏すら迷わせぬ覚悟 | どんな誘惑や圧力があっても、自らの志を曲げないという決意。 |
五、全体現代語訳(まとめ)
現代の奉公人の多くは、欲や損得にとらわれ、見かけばかりを整えた偽りの姿に満足している。
だが本来、真の奉公人とは、自らを主君(組織や使命)に完全に捧げ、私欲を捨てて、生きながら“鬼神”のごとく奉仕する者のことである。
日夜、主君のことを思い、組織のため、国のために動き、いかなる迷いにも揺るがない覚悟をもってこそ、「真の仕える者」と言える。
六、解釈と現代的意義
この章句は、奉公=人生の全存在を懸ける行為であることを説いています。
常朝のいう「死に切って生きる」とは、自己の損得や感情に振り回されず、全存在を「任務」「理念」「忠義」に預けるという生き方です。
これは、現代においても、「社会のために生きる」「顧客のために死力を尽くす」「会社に忠誠を誓う」といった意味ではなく、自分の存在を何に捧げるかを真剣に問う姿勢として読むべきです。
「神仏の勧めにても迷わぬ」ほどの信念を持つという言葉からは、精神的自律と使命感の極致が伺えます。
七、ビジネスにおける応用(実践項目)
項目 | 解釈・応用 |
---|---|
使命感の確立 | 単なる業務遂行ではなく、「自分は誰のために、何のために働くのか」を明確にする。 |
自己犠牲と献身のバランス | 「捧げること」は無私ではあるが、戦略性と目的意識も必要。理念への忠誠として捉える。 |
表面的な優秀さの否定 | 利口ぶった態度・見栄えだけの人材は、組織の本質に役立たないとする鋭い警鐘。 |
忠義と揺るがぬ心 | 短期的評価に動揺せず、信じることに全力を注ぐことで信用を勝ち取る。 |
上下の区別なき責任 | 役職や地位ではなく、その志と覚悟において人の価値が決まる。 |
八、心得まとめ
「鬼神とは、捨てた者の覚悟なり」
生きながら鬼神となるとは、自我を捨て、心をひとつの目的に集中させた状態である。
それは、ただ上司に媚びるのでも、任務をこなすだけでもなく、魂のすべてを投じて、己の使命に奉仕する姿勢である。
欲にまみれた者、才覚を誇る者の多い世の中で、信念に生きる者こそが、時代と組織の柱となる。
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