孟子は、歴代の明君(賢明な王たち)の基本姿勢についてこう述べます:
「明君たちは、まず民の“産”――生活手段を安定させる政策を行った。
上を見ては親に仕えられ、下を見ては妻子を養うことができるようにし、
豊作の年には長く飽きるほどの生活を保障し、凶作の年にも餓死を出さなかった」
そして、その経済的な土台ができて初めて、教育や礼義を施し、人々もそれを素直に受け入れたと説明します。
この順序が肝心です:
生活 → 安心 → 道徳 → 仁政の完成
現在の政治はどうか? その逆である
孟子は、今の諸侯(君主たち)を次のように批判します:
- 民の生活を安定させる施策がない
- 親に仕える余裕もなく、妻子も養えない
- 豊作でも苦しく、凶作では餓死する
- 生きるために精一杯で、礼儀・道徳を学ぶ余裕などない
つまり、「民が犯罪や無礼に走るのは、心がけや教育の問題ではなく、制度と生活の問題である」と明言しているのです。
結論:仁政を望むなら、根本に立ち返れ
孟子は王に呼びかけます。
「王よ、もし本当に仁政を行いたいと願うなら、
その根本に立ち返りなさい(蓋ぞ其の本に反らざる)」
ここでの「本」とは、民の産(生活)を整える政策=経済的安定の保障です。
つまり、仁政とは単に優しい心ではなく、制度設計の問題であると孟子は明確にしています。
引用(ふりがな付き)
「是(こ)れの故(ゆえ)に明君(めいくん)は民(たみ)の産(さん)を制(せい)す。
必(かなら)ず仰(あお)いでは以(もっ)て父母(ふぼ)に事(つか)うるに足(た)り、
俯(ふ)しては以て妻子(さいし)を畜(やしな)うに足り、
楽歳(らくさい)には終身(しゅうしん)飽(あ)き、凶年(きょうねん)には死(し)を免(まぬが)れしむ。
然(しか)る後(のち)駆(か)りて善(ぜん)に之(ゆ)かしむ。故(ゆえ)に民(たみ)の之に従(したが)うや軽(かろ)し。今(いま)や民の産を制して、仰いでは以て父母に事うるに足らず、
俯しては以て妻子を畜うるに足らず。
楽歳には終身苦しみ、凶年には死を免れず。
此(こ)れ惟(ただ)死を救(すく)うて而(しか)も贍(た)らざるを恐(おそ)る。
奚(なん)ぞ礼義(れいぎ)を治(おさ)むるに暇(いとま)あらんや。
王(おう)之(これ)を行(おこな)わんと欲(ほっ)せば、則(すなわ)ち蓋(けだ)し其の本に反(かえ)らざるのみ」
注釈
- 民の産を制す…民の生活基盤(農・商・職)を整える政策を行うこと。
- 楽歳・凶年…豊作の年と飢饉の年。
- 終身飽き・終身苦しみ…長く飽きるほどの豊かさ、または長く続く苦しみ。
- 駆りて善に之かしむ…善(道徳・礼儀)へと導く。
- 本に反る…根本に立ち返る。ここでは「仁政の出発点として民の経済生活を整えること」。
パーマリンク案(英語スラッグ)
livelihood-before-virtue
(徳より先に生計を)policy-before-morality
(道徳の前に政策を)feed-before-you-teach
(教える前に養え)
補足:生活の安定は、すべての教育と徳の土台である
孟子のこの章は、現代の社会政策、教育政策、福祉政策においても核心的な論点です。
- 生活困窮者に「マナー」を求める前に、まず食べさせること。
- 貧困層の子どもに「勉強せよ」と言う前に、家庭の経済的基盤を支えること。
- 道徳教育をするなら、それを受けられる環境を整えてからにせよという姿勢。
これは、単なる慈悲ではなく、実践的な統治哲学です。
そして、これこそが孟子の仁政の本質であり、王道政治の起点である――その主張が力強く展開された章です。
1. 原文
是故明君制民之產,必使仰足以事父母,俯足以畜妻子,樂歲終身飽,凶年免於死亡,然後驅而之善,故民之從之也輕。
今也制民之產,仰不足以事父母,俯不足以畜妻子,樂歲終身苦,凶年不免於死亡。
此惟救死而恐不贍,奚暇治禮義哉!
王欲行之,則盍反其本矣。
2. 書き下し文
是の故に明君は民の産を制す。必ず仰いでは以て父母に事うるに足り、俯しては以て妻子を畜うに足り、
楽歳には終身飽き、凶年には死亡を免れしむ。然る後に駆りて善に之かしむ。故に民の之に従うや軽し。
今や民の産を制するに、仰いでは父母に事うるに足らず、俯しては妻子を畜うに足らず、
楽歳にしても終身苦しみ、凶年には死亡を免れず。
此れ惟(た)だ死を救いて而も贍(た)らざるを恐る。
いずくんぞ礼義を治むるに暇あらんや!
王、これを行わんと欲せば、則ち盍(なん)ぞ其の本に反らざる。
3. 現代語訳(逐語・一文ずつ訳)
- だからこそ、賢明な君主は、民の生活基盤(生業や収入)をきちんと整える。
- 上は親の扶養に足りるように、下は妻子の養育に足りるようにする。
- 豊作の年には一生暮らしていける安定があり、凶作の年にも命を落とすことがないようにする。
- そうしたうえで善を教え導けば、民は自然とついてくるものだ。
- しかし今は、民の産を整えることができず、親の面倒も見られず、妻子も養えない。
- 豊作でも暮らしは苦しく、凶作になれば飢え死ぬ者が出る。
- これは、命を助けることすらままならず、支援も行き渡らないという状態である。
- そのような中で、どうして礼儀や道徳を教えられようか!
- 王が善政を望むなら、まずはこの“本(生活の根本)”に立ち返るべきだ。
4. 用語解説
- 制民之産(せいみんのさん):民の生業・収入源・生活基盤を整える政策。
- 仰(あお)いでは~俯(ふ)しては~:上(親)・下(子)という縦の世代責任を象徴。
- 楽歳(らくさい):豊作の年。
- 凶年(きょうねん):不作の年、飢饉の年。
- 終身飽く(しゅうしんあく):一生食に困らない。
- 贍(た)る:補って足りる。援助や支援が行き届くこと。
- 礼義(れいぎ):儀礼・道徳・倫理の学びや実践。
- 盍反其本(なんぞ その もと に かえらざる):根本に立ち返るべきであるの意。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
だから、賢明な王は民の生活の基盤を整え、
親を養い、子を育てるだけの収入を保障する。
そうすれば、豊かな年には安心して暮らせ、
不作の年にも命を落とさずに済む。
そのうえで善や徳を教えれば、人々は自然と従うようになる。
しかし今の政治はその逆で、民の生活が苦しく、
豊作でも報われず、凶年には命さえ守れない。
これでは道徳や礼儀を教えるどころではない。
人の命を救うこともできずに、どうして倫理を語れるのか。
王よ、仁政を本気で行いたいなら、
まず“生活の安定”という根本に立ち返るべきである。
6. 解釈と現代的意義
孟子が強調しているのは、
倫理教育や道徳の前に、まず「暮らせる社会」をつくれという徹底した現実主義です。
経済基盤がない中で、徳を説くことは空虚な理想論にすぎません。
これは教育論であり、福祉論であり、政治論でもあります。
現代においても、格差拡大や不安定な雇用、社会保障の弱体化が進む中、
「道徳教育」や「自助努力」を強調する前に、孟子のこの言葉を思い出すべきです。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
- 「社員の行動指針より、まず安定した待遇設計を」
ルールや評価制度を作る前に、
社員が安心して働ける環境──基本給・福利厚生・労働時間など──を整えることが優先。 - 「顧客にマナーや道徳を求める前に、生活支援を」
支援現場や社会サービスで、非マナー的な対応に直面しても、
根本にある生活困窮・制度不備を見落としてはならない。 - 「理念よりも、まず“食える仕組み”」
スタートアップや社会起業では、高尚なビジョンだけでなく、
メンバーや関係者がきちんと生活できるモデルがあってこそ、継続と信頼が生まれる。
8. ビジネス用の心得タイトル:
「礼義の前に、生計を──“暮らせる”ことが人を動かす」
孟子のこの教えは、
現代の行政・教育・企業経営においても政策と理念の順序を正す根本原理です。
倫理とは、空中に浮かぶものではない。
“食えること”、“暮らせること”を守ることが、すべての善き営みの出発点です。
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