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民の生活を安定させよ。道徳はその上に成り立つ

飢えた民に徳は育たず。政治の急務は、暮らしの保障にある

文公が治国の道を問うと、孟子はこう答えた。
「民の暮らしに関すること――特に農事や衣食住といった生存の基盤は、最優先で対応すべき急務である」と。

孟子は『詩経』を引いて、春の種まきに備える庶民の生活を描いた。

「昼は野に出て茅を刈り、夜は縄を綯い、すみやかに屋根を修理せよ。種まきの季節が始まるのだ」

これは、民の生活は季節と共に巡るものであり、ゆるがせにすれば国家の根が揺らぐという警告でもある。

そして孟子の核心的教えが続く:

「恒産ある者は恒心あり。恒産なき者は恒心なし」

つまり、安定した仕事と収入がなければ、人の心は安定しない。
食うに困れば、放縦・邪道・奢侈といった悪行にも手を染める。
それでいてあとから罰するのは、まるで罠を仕掛けて民を落とし込むようなものだ。

仁ある者が為政者であるならば、どうしてそんなことが許されようか?
民の徳を育てたければ、まずは生活の安定を――
これが孟子の仁政の出発点である。


引用(ふりがな付き)

恆產(こうさん)有(あ)る者(もの)は恆心(こうしん)有(あ)り。恆產(こうさん)無(な)き者(もの)は恆心(こうしん)無(な)し。

是(こ)れ民(たみ)を罔(あみ)するなり。焉(いずく)んぞ仁人(じんじん)位(くらい)に在(あ)りて、民(たみ)を罔(あみ)して為(な)す可(べ)けんや。


簡単な注釈

  • 民事:ここでは主に農業や衣食住など、民の生存に直結する暮らしのこと。
  • 恒産・恒心:生活基盤(恒産)があってはじめて、道徳や安定した心(恒心)も育つという儒家思想。
  • 放辟邪侈(ほうへきじゃし):道を外れた悪徳のこと。社会の不安が人の道をも崩すと孟子は警告している。
  • 罔民(もうみん):網で人をかけるように、あえて貧困に陥らせておいて処罰すること。極めて非道とされる。

1. 原文

公問爲國。孟子曰、「民事不可緩也。詩云:『晝爾于茅,宵爾索綯,亟其乘屋,其始播百穀。』民之爲業也。
恒産者有恒心,無恒産者無恒心。苟無恒心,放辟邪侈,無不爲已,陷於罪,然後從而刑之,是罔民也。焉有仁人在位,罔民而可爲也!」


2. 書き下し文

公、国を為(おさ)むるを問う。孟子曰(いわ)く、
「民の事(こと)は緩(ゆる)うすべからざるなり。

詩に云(い)う、
『昼は爾(なんじ)茅に于(い)たり、夜は爾索(さく)を綯(な)い、亟(すみや)かに其の屋に乗れ。其れ始めて百穀を播(ま)かん』と。

民の業(わざ)たるや、恒産有る者は恒心有り。恒産無き者は恒心無し。
苟(いやしく)も恒心無ければ、放辟(ほうへき)邪侈(じゃし)、為(な)さざる無し。罪に陥るに及んで、然る後これに従って刑す。

是れ民を罔(あなど)るなり。焉(いずく)んぞ仁人位に在(あ)りて、民を罔して為す可けんや。」


3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)

  • 「公問為國」
     → 文公が国の治め方について孟子に尋ねた。
  • 「孟子曰、『民事不可緩也』」
     → 孟子は言った。「民の暮らしに関わることを、決して後回しにしてはならない。」
  • 「詩に云う…」
     → 『詩経』にこう書かれている:
     「昼は茅を刈り、夜は縄をなう。すぐに屋根を葺いて、ようやく百穀の播種が始まる。」
     → これは民の働きがいかに絶え間なく、急務であるかを示す。
  • 「恒産者有恒心、無恒産者無恒心」
     → 安定した生計(恒産)がある人には落ち着いた心(恒心)がある。
     → 逆にそれがなければ、心も安定しない。
  • 「苟無恒心、放辟邪侈、無不為已」
     → 恒心なき者は、放蕩・横暴・邪悪・贅沢に走り、どんな悪事でもするようになる。
  • 「陷於罪、然後從而刑之」
     → そして罪を犯した後に罰するのでは、あまりにも遅すぎる。
  • 「是罔民也」
     → それは「民を罠にかけるようなもの」である。
  • 「焉有仁人在位、罔民而可為也!」
     → 仁ある為政者が、民を罠に陥れて政策を行うなどということがあってよいだろうか(いや、あってはならない)。

4. 用語解説

  • 民事不可緩:民の生活・生業に関することを後回しにしてはならない。
  • 詩経:古代の詩歌集。道徳や暮らしの手本とされる。
  • 恒産(こうさん):安定した生業・財産・収入源。
  • 恒心(こうしん):道徳心・自律心・誠実な心。
  • 放辟邪侈:道を外れた奔放、邪悪、贅沢なふるまい。
  • 罔民:民を欺く、罠にかけること。道義に反する統治の比喩。
  • 仁人:仁徳を備えた理想の政治家、為政者。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

文公が孟子に「国をどう治めればよいか」と尋ねた。孟子はこう答えた:

「民の生活に関わる事柄は、一刻たりとも遅らせてはなりません。
『詩経』にも、昼は草を刈り、夜は縄を編んで屋根を作り、その上でようやく農作業を始めるとあります。
つまり、民の暮らしには常に切迫した労苦があるのです。

安定した生業があれば、人の心も落ち着きます。逆にそれがなければ、心が乱れて、放蕩や暴力、不正や贅沢へと走り、ついには罪を犯してしまいます。

そしてそれを捕まえて罰するのでは、まるで最初から民を陥れる罠を仕掛けたようなものです。

そんなやり方を、仁ある政治家がしてよいはずがありません。」


6. 解釈と現代的意義

この章句は、経済的安定と道徳的秩序の連関を強く訴えます。

  • 貧困と犯罪・堕落はつながっている
     人は「食えない」「将来が見えない」とき、不正や逸脱に走るリスクが高まる。
  • 善悪は“環境”によって育つ
     個人の善悪を断じる前に、社会的構造・制度がその人をどう扱っているかを見るべき。
  • 為政者は“予防の倫理”を持て
     罰するのではなく、「罰しなくて済むようにする」。この姿勢こそ仁政の要。

7. ビジネスにおける解釈と適用

「経済的安定なくして、倫理は育たない」

  • 不安定な雇用、過剰なノルマ、理不尽な人事──社員の“恒産”を奪う制度では、心は荒む。
  • 安定した待遇と透明な評価が、“恒心”=誠実さ・意欲を育む。

「ルール違反を責める前に、制度の構造を見よ」

  • ミスや不正の原因を個人に求める前に、「なぜそうなったか」を制度・風土に問う視点が重要。
  • 罠にかけておいて処罰するような運用は、組織への信頼を損なう。

「リーダーは、結果でなく“原因”を治めよ」

  • トラブルを“起きた後”に処理するだけでなく、起きない仕組みを“先に”整える。
  • 教育・待遇・仕組みづくりがリーダーの本務。

8. ビジネス用心得タイトル

「恒産が恒心を育てる──安定なくして、誠実なし」


この章句は、国家経営・組織運営における最も根本的な原理の一つを説いています。
「人を責める前に、環境と制度を正せ」──孟子のこの理念は、現代の経営にも通じる強い教訓です。


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