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人は欺かれて死すより、知らされて生きるを選ぶ


一、原文の引用(抄)

友田正左衛門は、小姓として光茂公に仕えていた。
芝居役者・多門正左衛門に入れ込み、名前や家紋まで真似、生活費が尽きたあげく、同僚の刀を盗み質入れ。
槍持ちの告発により発覚し、両名とも死罪に。
処刑場では、介錯人が誰であるかを偽り、別の者が脇から不意に斬る段取りがされた。
正左衛門はそれに気づき「そなたに首は切らせぬ」と叫び立ち上がり、錯乱。
最後は取り押さえられて斬られた。
山本五郎左衛門は後に、「だましさえしなければ、見事な最期を遂げただろうに」と語った。


二、現代語訳(逐語)

  • 正左衛門は、役者への愛着から名や紋を変え、衣服や道具まで注ぎ込み、生活が困窮。
  • 最終的に同僚の刀を盗んで質に入れたことが発覚し、死罪となる。
  • 処刑にあたり、落ち着いた最期を迎えるはずだったが、介錯人を偽る策略により、直前に心乱れ暴れてしまう。
  • 「騙さなければ、潔く死ねたはずだ」との処刑官の反省が残された。

三、用語解説

用語意味
小姓若年の武士で、主君の身の回りの世話をする側近。多くは若く美貌をもつ。
多門正左衛門芝居の立役者。名や紋を真似るほどの熱愛ぶり。
死罪江戸期においては斬首刑。大罪でない限り、通常は切腹や追放が多い。
介錯人斬首・切腹の補佐を行う役割。儀式的な重要性があり、事前の心構えに影響を与える。
御徒士(おかち)軍役の一種で、歩兵的な下級武士。処刑にも携わる。

四、全体の現代語訳(まとめ)

友田正左衛門は、主君の小姓でありながら、浮ついた情に流され、生活が破綻。
ついには同僚の刀を盗むという武士としての一線を越え、死罪となった。
しかし、その死に方は不意打ちのような欺きによって、美しい最期を台無しにされた。

処刑官であった山本五郎左衛門が、「正直に伝えておけば見事に死ねただろう」と内々に語ったことは、
「死に方すら奪う欺瞞」が、人間の尊厳をどれほど傷つけるかを物語っている。


五、解釈と現代的意義

■「死に様」にすら品格を求めた武士道

この話の本質は、「いかに死ぬか」が重視される価値観にある。
正左衛門はたしかに道を外れたが、それでも最後は落ち着いて最期を迎えようとした。
しかし、命を奪う以前に、「心の準備」を奪われたことで、人間としての最期の尊厳をも失った。

■欺瞞の裁きは、裁く側の品格をも汚す

処断の過程において、だまし討ちという手法が使われたことは、被処刑者だけでなく、処刑者の品格すら問うことになる。
その結果、武士道の本懐である「潔さ」はどこにもなかった。

■「見事な死」とは、正直な準備と対峙によって可能となる

武士にとっては、死ぬ瞬間こそが**「自らを語る最後の場」であった。
だからこそ、それを
偽りによって狂わせることは、最も残酷な処断**であったといえる。


六、ビジネスにおける適用(個別解説)

項目現代的応用と警句
人事評価・解雇対象者に対し、正しい理由と段取りを説明し、納得のある形で対応せよ。いきなりの「切り」や背後からの解雇は組織への信頼を損なう。
説明責任不都合な真実でも、正しく説明することが、人の信頼と納得を得るための最低条件である。
トラブル対応事前に「納得感あるシナリオ」を持たせることが、その後の混乱や怨恨を防ぐ。
リーダーの裁量感情的な裁断ではなく、相手の“立場”に配慮した透明性ある対応が、結果として組織の品格を守る。

七、心得の結び:「最期まで誠を尽くせ、たとえ相手が不忠であっても」

人は、どんなに過ちを犯した者でも、最期の瞬間に人としての尊厳を保つ権利がある。
それを奪ったのは、誤りではなく、であった。
山本五郎左衛門の「惜しみ」の言葉は、組織の中で真の誠を尽くすことの重さを物語っている。

裁く者にこそ、「誠実さ」という名の死に装束が求められる。


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