MENU

天に住もうとも、欲に縛されれば死に屈す


目次

📖 引用原文

神々の群は、愛する好ましきかたちの楽しみに結ばれて、別々に住んでいるが、(楽きわまって)殃いを招き、あわれにも*死王の支配に屈してしまう。
——『ダンマパダ(法句経)』第5章 第十句


🧩 逐語訳

  • 神々の群は、
     天界に住むとされる高次の存在たちでさえも、
  • 愛する好ましきかたちの楽しみに結ばれて、
     美しいものや快楽的なものを愛し、それに魅了され、執着している。
  • 別々に住んでいるが、
     それぞれ異なる天界・境地に住み分けているが、
  • (楽きわまって)殃いを招き、
     快楽を極めたことでかえって災い(=堕落・執着・転落)を招き、
  • あわれにも死王の支配に屈してしまう。
     最後には無常の法則=死の力(閻魔)に従わざるを得なくなる。

🔍 用語解説

用語解説
神々(デーヴァ)天界に住むとされる存在。高徳や福徳により生まれるが、仏教では輪廻の一部とされ、究極の解脱ではない。
好ましきかたち美・快楽・感覚的喜び。視覚的・官能的魅力を指す。
結ばれて執着し、心を縛られている様子。
殃い(わざわい)不運・堕落・苦の原因となる出来事。
死王(閻魔)無常・死・輪廻を支配する象徴。天界であっても死は避けられない。

🗣 全体の現代語訳(まとめ)

たとえ天界に住む神々でさえ、
美しいもの・快いものに心を奪われ、そこに執着すれば、
やがては快楽の果てに災いを招き、
無常なる「死」という法則には逆らえず、衰えていく。
つまり、快楽は高次の存在さえも堕落させる危ういものであるという戒めの句である。


🧠 解釈と現代的意義

この句は、**「高みにある者であっても、欲に執着すれば転落する」**という普遍的な真理を説いています。
仏教における神々(デーヴァ)は、一時的な福報として高い境地に生まれた存在にすぎず、彼らもまた「無常」の中にあります。

現代においては、「成功者」「富裕層」「有名人」などが象徴的な“現代の神々”といえるかもしれません。
しかし、そのような人々も快楽や慢心に溺れれば、一瞬にして堕落し、終焉を迎えることがあります。
この句は、**「高く上がるほど、心は慎ましくなければならない」**という真理を語っているのです。


💼 ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
成功と慢心一時の成功に酔いしれ、原点を忘れたリーダーは、組織崩壊や信頼喪失を招くことがある。
権力と誘惑地位が上がるほど、贅沢や快楽への誘惑も増えるが、それに負ければ転落は早い。
ブランド神話の崩壊高評価の企業が慢心・傲慢・倫理軽視によって急落する例は後を絶たない。
精神的リスク管理高報酬・高地位の人ほど、内省と謙虚さを持ち続けなければメンタルが崩れやすい。

🧭 心得まとめ

「いかに高く飛ぼうとも、欲に縛されれば、死王の手から逃れられぬ」

欲望に支配された心は、どれほどの地位・名声・快楽を得たとしても、
最後にはその執着によって滅びていきます。
神々ですら、快に耽り死に屈するのなら、
人間である私たちは、なおさら欲と距離を置く意識が必要です。

謙虚に、慎ましく、執着せず――それこそが、真の安定と持続的成長の道であるのです。


よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次