孟子は襄王に向かって、こう語りかける:
「王よ、苗のことをご存じでしょうか?」
七月・八月、日照りが続くと苗は立ち枯れてしまう。しかし、天が油然と雲を起こし、沛然と雨を降らせれば、枯れた苗もまた浡然と(むくむくと)蘇る。
この様子は、誰にも止められない。
孟子は、これを民の心の動きにたとえる。
現在の天下の諸侯は、誰もが戦を好み、人を殺すことを厭わない。
そんな中に、もし一人でも「人を殺すことを嫌う王」が現れたなら、天下の民は、首を長くして(引領して)その王を仰ぎ望むだろう。
そしてそのとき、民は自然にその王のもとへと帰属していく。
それはちょうど、水が高いところから低いところへ流れるように――
「仁政の王に民が従うのは、自然の摂理であり、誰にも止めることはできない」
補足:仁政は“無敵”を超えて、“不可避”である
孟子は、仁政を行う君主のもとに民が集まるのは、単なる結果ではなく「必然の自然現象」であると説きます。
雨が降れば苗が蘇る。水は高きから低きへ流れる。
それと同じように、民は仁ある統治者のもとへと向かう。
これは、「仁政には敵なし(5−3)」という考えを超えて、
「**仁政には抗えない(=止められない)」**という哲理にまで至った宣言です。
現代の社会でも、信頼と人望に基づくリーダーシップの価値が問われています。孟子のこの章句は、民の心を得るとはどういうことかを、雄弁に、かつやさしく説いています。
原文
王知夫苗乎?
七八月之閒,旱則苗槁矣。
天油然作雲,沛然下雨,則苗浡然興之矣。
其如是,孰能禦之?今夫天下之人牧,未有不嗜殺人者也。
如有不嗜殺人者,則天下之民皆引領而望之矣。
誠如是也,民歸之由水之就下,沛然,誰能禦之?
書き下し文
王、夫(そ)の苗を知るか。
七・八月のあいだ、旱(ひでり)すれば則ち苗は槁(か)れん。
天、油然として雲を作し、沛然として雨を下せば、則ち苗は浡然(ぼつぜん)としてこれに興(お)こらん。
これ是(かく)の如くなれば、孰(たれ)か能くこれを禦(ふせ)げんや。
今、夫れ天下の人牧(じんぼく)、未だ人を殺すを嗜(この)まざる者有らざるなり。
もし人を殺すを嗜まざる者有らば、則ち天下の民、皆領を引(ひ)いてこれを望まん。
誠に是の如くならば、民のこれに帰すること、水の下きに就くがごとく、沛然たり。
誰か能くこれを禦(ふせ)げんや。
現代語訳(逐語・一文ずつ訳)
- 「王よ、苗(稲の若芽)のことをご存じですか?」
→ (孟子)「王よ、稲の苗の様子をご存じでしょうか?」 - 「七月、八月の間に干ばつになれば、苗は枯れてしまいます」
→ 夏の間に雨が降らなければ、苗はすぐに干からびてしまいます。 - 「しかし空に自然と雲が湧き、どっと雨が降れば、苗は一気に元気を取り戻します」
→ 天が自然に雲を生み、大雨を降らせば、苗は見違えるほどに生き返るのです。 - 「このような現象を、誰が防げるでしょうか?」
→ その変化を、誰が止めることができましょうか? - 「今の天下の統治者たちは、皆人を殺すことを好んでいます」
→ 今の諸侯たちは、厳罰や戦争を好み、民を痛めつけています。 - 「もし人を殺すのを好まない者が現れれば、民は皆、首を長くしてそれを待ち望むでしょう」
→ もし仁をもって民を治める王が現れれば、人々は希望を抱いてその者を仰ぎ見るのです。 - 「もし本当にそのような者が現れたなら、民がその者のもとに集まるのは、ちょうど水が自然に低きに流れるように、盛んで誰にも止められない」
→ 民は自然の摂理のようにその王に帰服します。それは大雨のように強く、誰にも防げないのです。
用語解説
- 旱(ひでり):干ばつ。作物にとって死活的な危機。
- 槁(かれる):枯れる、しおれる。
- 油然(ゆうぜん):自然に、しっとりと。
- 沛然(はいぜん):どっと、勢いよく。
- 浡然(ぼつぜん):急に勢いを得て盛んになるさま。
- 人牧(じんぼく):人を治める者。為政者。
- 引領(いんりょう):首を伸ばして期待するさま。
- 水の下きに就く:水が自然に低きに流れるように、民も自然に仁徳に集まるという意味。
全体の現代語訳(まとめ)
孟子は言った:
「王よ、苗(稲)のことをご存じですか?
七月・八月の時期に干ばつが起きれば、苗は枯れてしまいます。
しかし、空に自然と雲が湧き、どっと雨が降れば、苗は生き返るように元気になります。
このような天の働きを、誰が止められましょうか?
今の世の為政者は、皆人を殺すことを好んでいます。
もし、人を殺すことを嫌い、仁をもって治める者が現れたならば、
民は皆、首を長くしてその人物を望みます。
そして民がその人物のもとに集まるさまは、水が自然に低いところへ流れるように盛んで、
誰にも止めることなどできないのです。」
解釈と現代的意義
この章句は、仁政の求心力は自然現象のように圧倒的であることを、美しい自然比喩によって説いています。
孟子は、干ばつでしおれた苗が、雨によって一気に甦る様を示し、
仁政を行う者が現れたときの民の反応も同じように自発的で不可抗力的だと言います。
これは、徳による統治の正当性と力強さを詩的に、かつ論理的に証明する一節です。
ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
- 「仁政=真のリーダーシップが現れると、人は自然と集まる」
リーダーが本当に社員を思いやる姿勢を見せれば、外発的な動機づけなしに人は協力し、組織は自律的に動き出す。 - 「組織の疲弊は“干ばつ”、誠実な施策は“雨”」
過度な競争、厳罰主義、成績至上主義は、社員の心を枯らす。
信頼の回復、尊重、支援こそが水のように人の力を甦らせる。 - 「仁ある経営は止められない流れを生む」
サステナブル経営やエシカルブランディングは、世の中の支持を得て強力な動きとなる。
その信頼と支持は、他社の妨害や資本力にも勝る力となる。
まとめ
「仁政は、大雨のように民心を動かす──水のごとく集まる信頼を築け」
この章句は、孟子の政治哲学の詩的頂点であり、現代のリーダーにも通じる**“信頼の本質”**を鮮やかに描いています。
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