心の本体(しんたい)が正しく、清らかで、明るく輝いていれば、
たとえ周囲が暗く、不安や恐れに包まれていようとも、自分の中には晴れやかな青空が広がっている。
逆に、心の中が曇り、よからぬ想念で覆われていると、
どれほど明るい日中であっても、自分自身が不安や疑心、邪気に取りつかれてしまう。
つまり、外の光に頼るのではなく、内なる「光」を持てるかどうかが大切だ。
澄んだ心は、周囲に左右されず、どんな環境にあっても正しい道を見失わない。
そしてそれは、怨霊や悪魔さえも寄せつけない、静かな強さを生むのである。
原文とふりがな付き引用
心体(しんたい)光明(こうみょう)なれば、暗室(あんしつ)の中(なか)にも青天(せいてん)有(あ)り。
念頭(ねんとう)暗昧(あんまい)なれば、白日(はくじつ)の下(もと)にも厲鬼(れいき)を生(しょう)ず。
注釈(簡潔に)
- 心体光明(しんたいこうみょう):心の本質が清らかで光に満ちていること。明るく、澄んでいる心。
- 暗室の中にも青天あり:外が暗くても、心が清明なら内側に光がある。恐れに負けない境地。
- 念頭暗昧(ねんとうあんまい):心が曇っていて迷いに満ちていること。
- 白日の下にも厲鬼を生ず:明るい場所にいても、心が邪気に満ちていれば悪を生み出す。光の中の闇。
1. 原文
心體光明、暗室中有靑天。念頭暗昧、白日下生厲鬼。
2. 書き下し文
心体(しんたい)光明なれば、暗室(あんしつ)の中にも青天(せいてん)有り。
念頭(ねんとう)暗昧(あんまい)なれば、白日の下にも厲鬼(れいき)を生ず。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳す)
- 心體光明、暗室中有靑天。
→ 心が明るく清らかであれば、たとえ暗い部屋の中にいても、そこには晴れわたる空のような清明さがある。 - 念頭暗昧、白日下生厲鬼。
→ 反対に、心の中の思いが曇り、邪念に満ちていれば、たとえ真っ昼間でも恐ろしい鬼のようなものを生み出してしまう。
4. 用語解説
- 心体(しんたい)光明(こうみょう):心の本体が明るく清浄である状態。仏教的には「本性の明るさ」や「仏心」とも通じる。
- 暗室(あんしつ):真っ暗な部屋。外的な状況が暗く、閉ざされていることの象徴。
- 青天(せいてん):晴れた空。心の爽快さ、明るさ、自由の象徴。
- 念頭(ねんとう)暗昧(あんまい):思考が曇っており、正しい判断ができない状態。
- 厲鬼(れいき):怨霊や猛鬼。仏教的には悪念や妄想が生み出す恐れや苦しみの象徴。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
心が清らかで明るい人は、たとえ閉ざされた暗い場所にいても、そこに青空のような明るさを感じられる。
一方、心が曇り、邪念に満ちた人は、たとえ日の光の中にいても、恐ろしい鬼のような妄念を生み出してしまう。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、「環境よりも内面が世界を決定づける」という深い真理を説いています。
- 明るい心の持ち主は、たとえどんな苦境でも、その場に光を見いだすことができる。
- 一方で、心が曇っていれば、どんなに恵まれた状況でも、自ら苦しみや不安を生み出してしまう。
これは、“幸福”や“恐怖”といった感情は、外的条件よりも、心の状態に大きく依存しているという仏教的・哲学的洞察でもあります。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
▪ 心の在り方が環境を変える
困難なプロジェクトやトラブル時でも、前向きで誠実な姿勢を持つ人は、チームに安心と光をもたらす。「光明の心」はリーダーシップの源泉。
▪ 外部条件より「メンタル環境」の整備を
どれほど設備や給与が整っていても、職場の空気がギスギスしていれば生産性も幸福感も下がる。
逆に、心が通った職場では、困難もチャンスに変わる。
▪ 思考が曇ると「無いもの」を生み出す
被害妄想、不信感、過度なストレスは、現実には存在しない“鬼”を心に呼び込む。
冷静・明朗な心を保つことで、無駄な葛藤を避けられる。
8. ビジネス用の心得タイトル
「心に光を、環境に青空を──すべては“内面の天気”が決めている」
この章句は、現代においても「心の在り方が世界を変える」ことの大切さを静かに、しかし力強く伝えてくれます。
苦しみの中にあっても光を見いだす人こそが、本当の意味で“豊かな人”であり、“周囲を照らす人”なのです。
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