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暗き世に、我が心の燈をともせ


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📜引用原文(日本語訳)

何の笑いがあろうか。何の歓びがあろうか?
世間は常に燃え立っているのに。
汝らは暗黒に覆われている。どうして燈明を求めないのか?
(ダンマパダ 第十一章「老いること」第146節)


🔍逐語訳

  • 何の笑いがあろうか、何の歓びがあろうか?
     → 人はなぜ笑い、なぜ喜ぶのか?
  • 世間は常に燃え立っているのに
     → この世界は常に煩悩や苦しみに燃えている。
  • 汝らは暗黒に覆われている。どうして燈明を求めないのか?
     → 君たちは無知や無明に覆われているのに、どうして智慧の光を求めようとしないのか?

🧾用語解説

  • 笑い/歓び:娯楽や快楽を指し、真理に背を向けた享楽的生き方の象徴。
  • 燃え立つ世間:「貪・瞋・癡(三毒)」によって煩悩が燃え盛る世界。
  • 暗黒(無明):真理に無知であること。仏教における根本的な迷い。
  • 燈明:仏法・智慧・悟りの光。暗闇を照らす真理の象徴。

💬全体の現代語訳(まとめ)

この世は煩悩によって絶えず苦しみの炎に包まれている。
にもかかわらず、人々は笑い、喜びに耽り、何の疑問も持たずに日々を過ごしている。
しかし実際には、私たちは無知という暗闇に覆われた存在だ。
その闇を照らす光(智慧)を求めるべきではないのか?――と、仏陀は私たちに問いかけている。


🧠解釈と現代的意義

この詩句は、浮かれた日常への厳しい警鐘です。
世の中が不安・苦悩・争いに満ちているにもかかわらず、私たちは見て見ぬふりをし、快楽に逃げ込もうとします。
仏陀はここで、「無明」の中で彷徨う人々に、内なる目覚め智慧を求める勇気を促しています。

現代社会においても、情報過多や感情の波に流され、自分を見失うことが多い中、
「真理を見極める目(燈明)」を持つことが、生き方を根底から変える力になると説いているのです。


💼ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
現実逃避 vs 問題直視業績不振・組織課題から目を背けて一時の慰めに逃げるよりも、根本的原因に向き合うことが成長につながる。
無明とは何か「知らないことすら自覚していない状態」で判断・行動することの危うさ。学ぶ姿勢の欠如が企業の停滞を招く。
燈明を持つとは真理や理念を羅針盤にすること。数値や表面的な成果だけでなく、企業の価値観やビジョンが「光」となる。
リーダーシップチームが迷っているとき、リーダーが「智慧の光」を掲げ、方向を示す責任がある。

📝心得まとめ

「世界が燃えていると知る者は、真の光を求める」

娯楽や表面的な喜びに溺れるのではなく、
苦悩に満ちた現実の中でこそ、智慧と向き合う生き方が求められる。

ビジネスにおいても、暗闇に光を灯すように、
「理念」や「学び」こそが困難を切り拓く道しるべとなる。
逃げずに学び、照らす存在となること――それが現代に生きる我々の修行である。


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