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無明を断ち、智慧の光で岸を離れよ


■ 引用(出典)

二一C*
池に生える華の茎や花をば、水にもぐって折り取るように、
迷妄をすっかり断ち切った修行僧は、
こちらの岸を捨て去る。
蛇が旧い皮を脱皮して捨て去るようなものである。
(『ダンマパダ』第18章 第21偈C)


■ 逐語訳

  • 池に咲く花の茎を、水面の下に潜って根元から丁寧に摘み取るように、
  • 修行僧は、自らの中にある**迷妄(無明・錯覚・無知)**を、根から断ち切る。
  • そして、煩悩と苦悩に満ちた「こちらの岸(この世)」を、
  • 蛇が古い皮を脱ぎ捨てて生まれ変わるように、静かに超えてゆく。

■ 用語解説

用語解説
迷妄(アヴィッジャー)仏教における「根本的無知」。物事の真実(無常・無我・苦)を知らず、執着と苦しみに陥る原因。
華の茎や花煩悩や執着の象徴。ここでは「無明に支えられた認識や思い込み」。
水にもぐって折り取る表層的でなく、深層の心の構造に向き合い、根本的な誤解を正す。
こちらの岸現世的執着・迷妄・輪廻に満ちた苦しみの領域。
蛇の脱皮古い自分から抜け出して、より清浄で自由な自己へと進化する象徴。

■ 全体現代語訳(まとめ)

池に咲いた花を、水の底に手を入れて根ごと摘み取るように、
修行者は、自らの中にある無知と錯覚を見つめ、
その根源から断ち切る。
そして、執着と苦しみに満ちた世界を静かに離れ、
蛇が皮を脱ぎ捨てるように、軽やかに再生の道を歩む。


■ 解釈と現代的意義

この偈が扱う「迷妄(無明)」は、仏教で最も根深い煩悩とされます。
なぜなら、欲望も怒りも、無知から生まれるからです。
私たちは「永遠に続くものがある」「私は特別だ」「他人のせいで不幸だ」など、
数々の幻想を現実と誤解し、苦しみを作り出しています。

この偈は、その根源的な誤認から目覚めることで、はじめて本当に岸を越えられるのだと教えてくれます。


■ ビジネスにおける解釈と適用

観点応用の仕方
構造的誤解の見直しビジネス上のトラブルや非効率の原因は、制度や相手のせいではなく、自分たちの認識の誤りにあることが多い。
学びの継続「知っているつもり」「分かっているつもり」が組織を停滞させる。無知を自覚し、学び続けることで進化が始まる。
価値判断の再構築利益・効率・勝敗だけで判断せず、「何が真に価値あることか」を見直す視座を持つことで、長期的な信頼と成果が得られる。
マインドセットの脱皮「こうするべき」「こうでなければならない」という凝り固まった思考を脱ぎ捨てて、新しい視点で物事を再構築する。

■ ビジネス心得タイトル

「知らぬことを知る者が、境界を超える」

人は「分かっているつもり」の中に迷う。
それが迷妄という名の「皮」である。
池の底に手を伸ばすように、
心の底にある思い込みを静かに摘み取れ。
そして、蛇のように脱皮せよ。
迷いを脱いだ先にこそ、智慧と自由が待っている。


この二一C偈によって、情欲・憎しみ・迷妄という三毒の全てが描かれ、
**仏教における「心の浄化と解脱の完成系」**が象徴的に示されます。

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